第1章「世間が悪い」

第4話「空席」



 入学式はいつの間にか終了しており、入れ替わりで伊織達在校生が体育館に入り、始業式が始まった。ハルは出席番号が1番だった。そのため、3年2組のクラスメイトや、彼女が転校生だと気がついた他のクラスの生徒達の注目を集めた。


「3年生のみなさん、4月から受験の話はあまり聞きたくないかもしれません。しかし、後悔先に立たず。後になって悔やむことのないように、常に前もって準備をしておくことが重要です。この一年で、そんな局面に立ち会うことが何度もありますので……」


 生徒達は校長の長い退屈な話にうんざりし、早く終われ早く終われと、校長の光る禿げ頭にテレパシーを送った。それが仇となったのか、話は30分近く続いた。

 ようやく式から解放された時、生徒達の腰は化石になったかのように強ばっていた。各々愚痴を語り合う。


「あ~、やっと終わったぁ……」

「疲れたね」


 教室に戻ってきた伊織と麻衣子は、肩を回して強ばった体をほぐしていた。他の生徒も同じように肩や腕を回している。


「お疲れ様。あの長い話に耐えた君達は、前より強くなったはずだ。社会に出たら、ああいうくだらない話にも付き合わなければならない場面がたくさんある。今日を乗り越えた君達は、また一歩大人に近づいたね」


 この学校の教員の一員として、如何なものかと思われる発言をする石井先生。しかし、彼女のこのつかみどころのない性格が好きだという生徒は、意外と少なくない。


「じゃあ、最後に色々重要書類を配るから。今日はこれで解散だ」


 石井先生が束になったプリントを数枚手に取り、先頭の席の生徒に渡していく。プリントを全て受け取った生徒達は、各自席を立って下校の準備を始める。今日は入学式と始業式のみであり、早帰りの日程である。


「この後カラオケ行こうぜ!」

「オッケー」

「プリ撮ろうよ! プリ!」

「いいねぇ」


 通常より早く終わった学校を飛び出し、クラスメイトは友人と共にどこか出かけるようだ。伊織は特に用事がないため、真っ直ぐ家に帰るつもりである。


「そういえばあの子は?」


 あっという間に下校する支度を終えた麻衣子が、伊織に問う。彼女が近づいてくると、一緒に帰らなければならない雰囲気が出来上がってしまう。


「あの子って?」

「転校生よ。青樹ハル! もういなくなったの?」

「ハルさんか。そういえば見当たらないね」


 伊織は教室を見渡す。ハルもいつの間にか姿を消していた。学校鞄も無くなり、座られていない彼女の席が忘れ物のように残されていた。教室を出るスピードがやけに早い。


「まぁ転校生だし、色々忙しいんじゃないかな」


 伊織は学校鞄を肩にかけ、麻衣子と共に教室の出口へと歩いて行った。早速ハルと仲良くなれる機会が見当たらない。


「ねぇ、ハルちゃんって、なんか変な子よね」


 すれ違ったクラスメイトの女子の何気ない会話に、なぜか伊織の足が止められる。いや、聞くからに陰湿な会話だ。


「どうしたのよ?」

「ハルちゃんに、この後ファミレスにでも行こうって言ったの。ちょっとした歓迎会も兼ねてね。でも、『私はそういうのはちょっと……』って逃げられちゃった」

「そうなの」

「うん。住んでるところとか趣味とか、色々質問しても嫌そうな顔して逃げていくの」

「あんたの話しかけ方が悪いんじゃないの?」

「えぇ、そんなことないと思うんだけどなぁ~」


 女子達はハルの話題を淡々と続ける。どうやら、ハルはせっかく仲良くなろうと近づいてきたクラスメイトと、距離を置いているようだ。その理由は女子達にも、もちろん伊織にも分からない。そもそも、伊織は彼女に話しかけてすらいないが。


「確かに。なんかあの子、覇気がないのよね」


 麻衣子もハルの態度が少々気になっていた。彼女とは違い、麻衣子は良くも悪くも堂々としている。


「きっと、転校初日でまだ緊張してるんだよ。今はそっとしておいた方がいいんじゃないかな」


 身の回りが急に知らない者だらけにでもなれば、あれだけ緊張して萎縮してしまうのも無理はない。伊織はそう思い、彼女が学校生活に慣れるまでは、話しかけることはなるべく避けようと考えていた。

 そもそも、仲良くなることを半ば諦めかけているのだ。それに加え、話しかける勇気がない。今はハルのことは、遠くで見守ってやろうと決めた伊織だった。




   * * * * * * *




「……」


 誰にも気づかれずに学校を出た私は、プチクラ山という名前の山にやって来た。みんな積極的に話しかけてくれることは嬉しいけど、あまりにもの圧迫感に堪えられず、逃げて来てしまった。

 山の入り口の階段を上っていき、ハイキングコースとは別の山道を進んだ。十数分経って、私は“帰宅”した。私の家は、プチクラ山の山道を少し進んだ奥に建っているログハウスだ。


「ただいま……」

「おかえり。どうだった?」


 玄関を開け、オレンジ色の髪をした若い女性が私を迎え入れた。この人は松下天音まつした あまねさん。訳あって、一緒に住んでいる科学者だ。


「予想以上にみんな積極的に接してくれるから、思わず逃げ帰っちゃった」

「それじゃあ意味ないじゃない。学校に行きたいって言ったのは、ハルでしょう?」

「うん。そうだけど……」


 私は返す言葉を探し、しばらくの間黙り込む。


「なんか……最初はもっと学べることがたくさんあると思ってたけど、早くもそんな気がしなくなったというか……その……」


 曖昧な返事しかできない私に、天音さんは続けた。


「まぁ、ハルの好きなようにしたらいいわ。一応手続きはしておいたけど、私は強制するつもりはないから。行きたい時に行きなさい」


 天音さんはそれだけ私に伝え、床の扉を開けて地下へと下りていった。私は窓から、遠目でうっすらと見える七海町の景色を眺める。

 この大地を初めて踏み締めた時から、不安がいっぱいだ。あれから2週間は経ったものの、未だに人と関わることに慣れていない。


「はぁ……」


 果たして、この街に自分の生きる理由は見つかるのか。今の私には皆目検討もつかなかった。


「……ん?」


 私は腹部に違和感を抱いた。


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