第5話人魚の私と、不思議な夏時間

 高校生の私は人魚になった。


 これはコスプレとかじゃなくて、リアルな人魚。


 下半身に尾ひれがついた、絵本とかで見るあの姿だ。


 始まりは合唱コンクールで落選したことがきっかけだ。


 やけになった真夏の暑い日のことだ。


 頭がぼーっとした状態で小道に迷い込んだ私は、そよ風に導かれるように細い路地を進む。


 すると眼前に開けた空が広がった。


 絵具で塗ったようなコバルトブルーの海と、白い砂浜。


 視線の先で白い看板を立てていたのは、同じクラスのあなただった。


『人魚募集』の文字が目に留まり、「これは何?」と尋ねてみる。


 どうやら人魚になって働いてもらいたいらしい。


 人魚になって働く?


 ……意味がわからない。


 怪しい仕事かと疑う私に、あなたは「試してみる?」と言いながら指をパチンと鳴らした。


 そうしたら私の下半身が人魚の尾ひれになり、海の中でも普通に呼吸ができるようになった。


 水中で目を開けても痛くないし、遥か彼方まで見通せる。


 私は感動した。


 とはいえ、人魚のバイトってどんなことをするの?


 聞いてみたら、主な仕事は海中のパトロールや漂流した流木を拾うことらしい。


 たまに遭難者を助けることもある。


 人魚の時給はそれなりによかったので、私はしばらくこの仕事を続けてみることにした。


 ――そして時間が経ち。


 夏休みが終わるころ。


 あなたは私に最後の仕事を伝える。


 それは歌を歌うことだった。


 とりあえず、沈む夕日に向かって歌い続ける。


 するとあなたはにっこりと笑って、


「夕日を沈めるなんて、やっぱりキミの声は本物だね」


 なんて言う。

 

 沈めるって……ギリシア神話に登場するセイレーンのことを言ってるの?


 なんか恥ずかしいこと言う人だなとか思っていると、私にかけられていた魔法が徐々に解けていった。


 つまり。


 人魚から人間に戻った――。


 ――それから数日後。


 夏も終わり、いつもの学校生活が戻ってくる。


 同じクラスのあなたは、どういうわけか教室にいない。


 なぜか机もない。


 どうしたのか気になって先生に聞いてみると、はじめからあなたという存在はいなかったという。


 クラスの友達もあなたのことを話すと首をかしげるばかり。


 どうなってるの?


 ほんとに消えちゃった?


 まるで泡のように。


 パッとはじけていなくなった。


 それからというもの、私はよく海にでかける。


 放課後の浜辺でひとりきり。


 海を眺めて目を瞑る。


 そして歌う。


 尾ひれを失った今でも、あのとき感じた世界が、私の声をつくる。


 瞼の裏に広がる、果てしない青の世界。


 ひと夏の不思議な出来事を、この歌にのせて――。

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