第1話 発見

「ほら、スージー、ご飯だぞ。」

 ノアは、波打ち際の砂浜に立つと、日課のペットの餌やりを行うべく声を掛けた。彼の呼び掛けに答えるように、ペットの鮫、スージーは海中から姿を現わす。主人に付き従う犬のようにスージーはノアの近くへと寄って行き、砂浜に上がらない程度の距離を置いてから口を開けた。ノアはその口に餌として先刻釣った魚を放り込んだ。スージーはそれを噛み砕くと喜んだようにクルクルと海面を泳いだ。ノアはそれを見て満足したと判断し、スージーに手を振ると家へ帰っていった。彼女もまた海面から頭を出し別れを告げると、自分の住処へと戻っていった。

 ノアとスージーのこのような関係が始まったのは五年程前、ノアがこの島の浜辺に打ち上げられた卵を見つけてからだ。ノアはその卵にある種の希望を見出した。あの惨劇から五年、変わらない日々の中に一つの変化が見られたことで、もしかするとこれが切っ掛けとなって何かが起きるのではないかという、淡い期待を抱いていた。そして孵化した後、それが鮫、即ち母ミーナの仇であることに気づいた時には、殺意を覚えなかったと言うと嘘になるが、そこに至るまでの成長過程を見てきたことによる愛情の方が勝っていた。結果として彼と彼女は強い絆で結ばれる家族となっていったのだった。

 無論、《残された島》の住人達の殆どはそうではなかった。スージーの卵を気味悪く思い叩き割るべきだと言い、更に孵化した後それが鮫の卵だったことに気付いてからは処理すべきだと叫んだ。しかしその度にノアが「何かあったら自分で何とかするから」と言い説き伏せた。また、スージーも例の鮫達とは異なり、小さく、大地を食べるようなサイズではなかったし、また魚を食べる程度で人も大地も食う気配が無かったことから、様子を見て場合によっては処理するという暗黙の条件の元、住人達も理解を示した。それから月日は流れたが、住人達が危惧するようなことは起きず、むしろノアとスージーの友情は深まるばかりで、時にはノアを乗せて海を泳ぐことすらあった。そのため住人達は、今ではノアとスージーの事を暖かく見守るようになっていった。また一部の者は、口にこそしないが、この島が《残された島》で無いと知るための最後の希望として見るようにもなってきた。

 《残された島》・・・元はこの島はそのような名前ではなく、そもそも島ですらなかった。イギリスの内陸部、何の変哲も無い普通の村だった。しかし、十年前のあの八体の巨大鮫による惨劇により、眼前までその鮫達の食事が続いた結果、島となっただけである。その食事は、いよいよ次は我が身と村の住人が思ったその瞬間、突如として終わりを告げた。鮫達は村を取り囲んだが、何かを恐れるように街の周りを回遊し、そして何処へと去っていったのだ。村の住人達はその光景を見て、まずは「自分達が助かった」という、その奇跡としか言い様の無い状況を神に感謝した。そして次に絶望した。この村、否、もはや島以外周りには何も無く、そしてその島にはそれを確かめる術が無かったのだ。船もない。泳げる者も居ない。正確には、泳いで調べる勇気のある者が居ない。そうした諦めが住人を支配した。結果、たった十年間で元の名前は忘れられ、ただ《残された島》などと呼ばれるようになった。

 しかし今は違うと考える者も出て来た。ノアとスージーが居る。周りにあの巨大鮫達が居るようにも見えない。もしかすると彼らであれば、この島が《残された島》などでは無く、他に島があることを証明してくれるのではないか。そう考える者も島の中には居た。だが口に出す者は居なかった。ノアはこの絶望的な十年にも関わらず、誠実で純朴、優しい子に育った。スージーも同様に他の鮫とは違い人に慣れ大人しい子に育った。とてもそのような危険な旅に出ろと言える者は居なかったのだ。それは父親であるイーザックも同じだった。十年前の惨劇で妻ミーナを亡くしてから、彼はノアを一人で育てていた。途中鮫を飼うと言い出した時は何を考えているのかと叱ったものだが、今では仲良くゃっているノアとスージーを見て、ただただ健やかに成長してくれれば良いとただ考えるだけとなっていた。


 さて、ノアは家に帰ると、自室に貼られた地図にバツ印を付けた。そのバツ印が付けられた場所は、スージーに餌をやる前、釣りをすると父親に言って出掛けた先だった。ノアは島民達のように外に思いを馳せるようなことはしていなかった。彼は別の事を考えていた。「何故この島は残されたのか」という事だ。十年前の惨劇と奇跡の日、他の島民達は自分達が生き残った事に喜ぶと共に、喰われたであろう他の人々に悲しむ事だけをしていた。しかしノアは、そうした思いと共に、一つの疑問が過って頭を離れなかった。巨大鮫達は、喰おうとすればこの島も簡単に喰えたはずだ。しかしそうしなかった。何故だろう?幼いノアの頭の中では、そんな思いがずっと頭の中で燻っていた。

 成長したノアは小さな冒険に出ることにした。この《残された島》に何か秘密があるのではないかと考え、それを探す旅に出たのだ。旅といってもそんな大掛かりなものではない。島自体それほど広いものでも無い。スージーの餌を釣るついでの散歩のようなものである。それを始めたのは五年前。スージーを見つけたのもこの時だった。そして今日バツを付けたのは、島で調べていない最後の場所だった。地図には、スージーを見つけた場所には丸が、それ以外の場所には至るところにバツが書き込まれていた。「ダメだったかぁ」誰かに言うわけでもなく、ノアは思わず呟いた。その言葉には落胆の意が多分に含まれていた。この島に秘密など無かった。十年前に食われなかったのは偶然だったのだ。あの時ようやく腹いっぱいにでもなったのだろう。彼はそう思う事にした。希望など持たない方が良い。幸い、魚は釣れるし、畑なども無事で、島民達が生活していくにはそこまで困らない。そう、とにかく生きているのだ。それだけで十分なのだ。彼は自分に言い聞かせて、ベッドに横になると布団を被り眠りに付こうとした。その晩の寝付きは、十年前のあの日並みに特に悪かった。

 翌日、ノアは再びスージーのところにやってきた。餌をあげた後、ノアはスージーに手招きをした。スージーが寄ってきたのを見てノアはスージーに語りかけた。

「ねぇスージー。君と僕が出会ってから五年だっけか。あれから僕は色々な場所を調べた。君と一緒に調べた時もあったよね。」スージーは頷いた。「でも結局、この島には何も無かった。もう僕達はここで生きていくしかないんだね。」ノアは自嘲気味にそう呟いた。それを聞いたスージーは、否定するように頭を振った。そしてノアに背中を見せた。スージーが背中を見せる時、それは「背中に乗れ」という意味であることを、ノアは今までの生活の中で分かっていた。訝しみながらも、スージーを信じたノアは、彼女の背中に乗った。

 スージーはノアを乗せると、島民の間で「噛み砕きの崖」と呼ばれる場所にやってきた。あの巨大鮫が最後に噛み砕いた土地であることからそう呼ばれていた。昔は山だったらしいが、今では樹々も枯れ果て、ただの崖になっていた。ノアは以前ここに来たことがあった。そこからの眺めは、辺り一面が海であることを明白にしたが、それ以外は特に目ぼしいものは無かった場所だった。だが彼は今別のものを見ていた。崖の下、噛み砕かれた跡に洞窟があったのだ。「これは・・・何?」スージーは答える術を持たない。ただ洞窟の中へと彼を乗せて入っていくだけだった。

 洞窟の中は真っ暗だった。ノアは一応持ってきていた探検セット(と彼が呼ぶリュックサック)の中からカンテラを取り出すと灯りを灯した。ゆっくり行ってくれ、という彼の頼みに答えるように彼女はゆっくりと洞窟の中を進んでいった。水滴が肩に落ち驚くことや、コウモリの群れがバサバサと飛び交いカンテラで振り払う時もあった。そんな道中を経て付いた先にはただ壁だけがあった。しかしただの壁には見えなかった。

「行き止まり・・・?いや、なんか微妙に光が見える・・・。」

 彼が言う通り、洞窟の壁から光が漏れていた。何かこの先にあるようだが、彼は悩んだ。手元にこの状況を打破出来るようなものは無かった。

「もしかして、この奥に何かあるのかい?」

 彼が尋ねると彼女は『恐らく』というポーズを取った。いや、なんとなく彼にはそう見えるだけである。だがこの暗闇の中で光が見えるというだけで違和感がある。何かあるのは間違いない。「わかった。一回引き返そう。」と彼女に言うとダメだと言わんばかりに彼女が唸った。彼女は鼻を思い切り持ち上げ強調するようなポーズを取った。彼には何となく言いたい事が分かった。「え、まさか、息を止めろって?」彼女は頷いた。数巡考えた後、観念したようは彼は「分かった」と言った。カンテラをリュックにしまうと、息を思い切り吸い込み、右手で鼻を摘むと、左手で彼女に合図した。彼女は合図と共に洞窟の水の中へと潜り込んだ。彼女にとって海中は大した問題ではないが、彼にとっては苦痛である。口を開けないよう、鼻から水を吸わないよう、息を止めたまま数分間。彼女は再び洞窟の水面へと上がった。ようやく息が出来る、彼は息止めをやめると、少し空気を吸い込んでから、辺りを見渡した。

 そこは少し広い部屋になっていた。カンテラを点けず分かるのは、そこに既にそれらが点在していたからだった。それなりの数があり、太陽光ほどではないが部屋を照らすには十分な光だった。誰が用意したものかはわからなかったが、一見してそれは大層古いものに見えた。そしてその部屋には美しい樹々や草花が生え、そして部屋の中央には3つの祭壇があり、それぞれには何かが奉げられているように見えた。ノアは近づいてよく見てみた。

 まず左側の祭壇には普通の手持ち鏡のようなものが飾られていた。持ってみると軽かった。手持ち鏡にしては古く感じられる。彼はこの父親がこの島唯一の考古学者であることを知っていたので、父親に見てもらおうと、リュックにそれを入れた。

 次に右側の祭壇に目がいった。そこには数字の"9"のような形をして、その真ん中に何か押しボタンのようなものが付いている、緑色の宝石のようなものがあった。彼にはそれが何なのかはわからなかったが、押しボタンには何か意味があるのだろうと察せたので、それには触れないように、再びそれをリュックに入れた。

 最後に真ん中の祭壇に目をやった。そこには剣が刺さっていた。剣というにはどうも分厚いというか、棘のようなものが付いていたり、持ち手の部分には柄とは言えないような厳つい機械のようなものが付いている。これは剣なのか?彼は訝しんだ。だがさしたる問題ではない。ノアは頭を振りかぶり疑念を捨てた。とりあえず持ってみようと剣の持ち手に手を当てた。そして少し引っ張ると、いとも簡単に剣は抜け、持ち上がった。その時ノアは剣の持ち手に付いていたトリガーに触れた。すると剣は、振り被り持ち上げた状態で光り輝き、ギュイイイイインという音を立てて刃が回転し始めた。その回転がトリガーにかけた手によるものだと理解したノアが、トリガーから手を離すと、その回転は止まった。

 ノアはこの一連の体験を半ば茫然としながら眺めていた。回転が止まると彼はそのまま立ち尽くしたが、正気を取り戻すと彼はリュックの中にしまい、スージーに声を掛け再び洞窟の外へと戻っていった。確証がないのはわかっている。だが彼にはこの出来事が何かの吉兆に感じられ、内心興奮を抑えきれなかった。この島には何かがあったのた。十年前この島が残ったことには、やはり意味があったのだ。彼は十年前止まった歯車が動き出すのを感じていた。先ほどの剣の回転のように。

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シャークライダー 明山昇 @akiyama-noboru

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