墓守のエマは空の青さを知る

濱野乱

第1話


エマ=リュウグウが墓守という仕事に魅入られたのは、あの日の出来事が原因かもしれない。


父の葬儀の時、ずっと寄り添ってくれた人がいた。親族でもないのにどうしてあの場にいたのかわからない。後で葬儀社に問い合わせてみたが、該当する人間はいなかった。


子供だったエマが父の小さな墓の前で泣いていると、その人は空が見えるから寂しくないと言ってくれた。父は忘れられた存在ではないと言われた気がして慰められたものだ。


遺伝子工学が発達した時代において、個人のDNAは貴重な資源となった。研究者はこぞって天才のDNAを調べ、ゲノム編集によって個人に適用しようと考えた。遺伝子を残そうと考えるのは何も天才だけではない。誰でも手軽に、自分の優れた形質を子供に伝えられるようになったのだ。チリも積もれば何とやら。才能は子々孫々に受け継がれ、一子相伝の秘密となりつつある。


技術の進歩には、光と影がある。隠された秘密を暴こうとする者が現れるのも必然だった。髪の毛を、飲みかけのペットボトルを欲し、最も大胆な者は、墓荒らしとなって遺体を掘り起こすまでになった。


やがて個々の家は才能を秘匿し、独占するため、高度なセキュリティーを持つ墓を欲するようになる。


その需要に応えるために誕生したのが総合葬儀社、クノックスである。合衆国一の規模を持つこの会社に、エマはインターンとして応募し、採用された。これまで数百社受けて採用ゼロ。リュウグウ家は二十一世紀に合衆国に渡った日系移民で、家の歴史はそれほど長くない。それは蓄積された才能が少ないことを意味した。考えてみて欲しい。履歴書のギフトの欄が空白だらけというのは、就職で大変不利である。周りは高ストレス耐性、高度空間処理能力などを、初歩的なPCスキル並みの気軽さで身につけているのだ。ギフトによる就業差別をしてはならないと法律にあるが、あくまで建前に過ぎなかった。


エマは奨学金で大学に通っていた。卒業後すぐに返済を開始しなければならない以上、就職は必須だ。どこでもいいからと、母が大学の就職科に泣きついて紹介されたのが、クノックス社だった。


インターンは職場体験のようなものだったが、賃金は発生するし、働きは本採用にも影響する。つまり選考の一仮定に含まれるのだ。ここはデータに乗らない有能さを示すチャンスだったが、エマがしたことと言えば……、


葬儀の最中、くしゃみをした勢いで神父を突き飛ばす。


霊園の案内中、間違った区画に先導してしまい、客は大激怒。大口の顧客を逃したことによる経済的損失はエマの生涯賃金を遙かに越え……


いつ肩を叩かれるか怯えていたが、聖棺の清掃は何とかこなせている。


霊園は地下にすり鉢状に広がっており、金額に見合った階級ごとに区画が分かれている。下に行くほど厳重なセキュリティーが施されるようになっていた。


ご遺体が置かれている部屋を聖棺と呼ぶ。エマは第五層のウェンディ家の墓を任されていた。通常、一部屋で代々の家をまとめて管理するのが通例だったが、この部屋は別だった。若くして亡くなったサラ=ウェンディを慰めるための個室だ。故人が生前に使っていた品もご遺体と共に収められている。


「し、失礼しまーす」


部屋の奥には棺を見下ろすように守護天使マリーアの像が置かれている。三メートル近い石膏像で、骨のような翼を広げ左手に琴、右手に剣を握っている。像の足下には白百合が咲き誇っていた。


エマはご遺体より、この像の方に緊張してしまう。まるで生きているような圧力を感じるのだ。


それを除けば、エマはこの仕事に向いていると思っていた。自分のペースで仕事ができる。人に急かされたり、仕事を同時進行させるのは苦手だったのだ。


ご遺体は喋らないし、人付き合いが苦手なエマでもこなせるまさに天職かと思われた。


「遅い。五分の遅刻」


棺の上に、何者かが座っていた。全身を包帯で巻いていたが、柔らかな体のラインと、隙間から覗く透き通った瞳は女性的な印象を与えた。


エマは開きかけた扉をすぐさま閉じ、部屋の外からプレートを確認する。間違いない。サラの部屋だ。ご遺体が喋るわけがないから、中にいるのは生きた人間と見て間違いない。


「ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ」


エマは薄く開いた扉の隙間から声をかける。この場所に来るまでには、受付を通る必要があるが、万一、お客が紛れ込んだ場合に備えて囁くように注意した。


「ずっとここにいるから関係者だけど」


包帯の女は、自分がそこにいるのが当然のように足を組んで居直っている。従業員による抜き打ち監査かもしれない。それにしては奇抜な演出だ。


「わかりました。とりあえずお掃除をしたいので」


エマは、相手が何者か確認せずに中に入る。訊ねるのも怖かった。もし、社員でも客でもなかったら盗掘者かもしれない。一人では手に負えない。探りを入れてから社員に連絡しようと思った。


「ああ、ちょっと、この子は百合が嫌いらしいわ。下げて頂戴」


居丈高に命令され、エマは固まる。


「聞いてる? あと、家族が彼氏の写真だと思ってるのは前の前の彼氏だって。暴力を振るわれたから下げて欲しいそうよ」


まるでご遺体の意志をくみ取っているかのような口振りだ。遠慮はないが、誠意は感じる。その場しのぎの嘘には思えなかった。


「あなたは……、ご遺族の方では」


エマの推測が的外れと言わんばかりに、包帯の女はくくっと押し殺したような笑い声を漏らす。


「私が見えるから話しかけてみたけど、所詮みならいか」


女は棺から降りると、エマの脇を音もなく横切った。


「サラを守ってあげて。今はあなたしかいないのだから」


女を追って、エマは聖棺を飛び出す。回廊は百合の香りが残るだけで誰もいなかった。


首を傾げながら、部屋に戻ったエマは、今度こそ腰を抜かした。


エンバーミングで生前と変わらぬ姿を留めるサラのご遺体は、小窓から顔を覗くことができるようになっていた。


ところが、棺は空だった。あるはずのエマのご遺体は、忽然と姿を消していたのだ。


エマが上司の墓守の部屋にたどり着いたのは、日付も変わろうとする深夜だった。


ご遺体の消失を報告した後、エマは長時間の聴取を受けた。監視カメラには誰も映っておらず、エマが何らかの手引きをしたと疑われたのだ。


身の潔白を訴えたが、霊園を管理する統括マネージャーは初めから疑ってかかって話をろくに聞こうとしない。学生気分が抜けないとか、棺の中には高価な宝石が入っていたとか、損害賠償を検討するとか、エマを容赦なく追いつめた。


警察の干渉を嫌う霊園とクノックス社は、まだ事件を公にしていない。信用に関わることとはいえ、サラの家族にも連絡しないことに、エマは良心の呵責を覚える。


「ご遺体はどこに消えてしまったのでしょうか」


エマは、救いを求めるように墓守の元を訪れた。墓守の部屋は、ホルマリン漬けにされた生物が大量に棚に収められている。蝋燭の明かりに照らされ、墓守のオブライエンは口を開く。三十過ぎの優男だが、墓守というより学者肌の気むずかしさを感じさせる。


「さしずめ浅すぎた墓穴だね」


眠そうなオブライエンの声が癇に障り、エマは感情的に言い返す。


「それを言うなら、早すぎた埋葬なのでは?」


ポーの小説になぞらえ、サラが生き返ったとはエマは考えていない。自分に落ち度があったとも思えない。


「君は文学部だったか。専攻は?」


「英文学。シェイクスピアです」


ハムレットじゃあるまいし、亡霊が現れるなんてバカバカしい。全ては人の仕業に決まっている。


「女性を……、見ました。誰も信じてくれませんでしたけど」


「ほう、どんな?」


オブライエンが前のめりになって問いかける。


「包帯を巻いていましたが、かなり若いと思います。それよりオブライエンさんは今までどこにいたんですか?」


オブライエンはエマの教育係でもあるのに、なんの助力も与えてくれない。彼の曖昧な言動は、気弱なエマですら刺々しい態度にさせていた。


「データベースを検索していた。さっき現場も見てきたぞ。冷えていたな」


一応は働いていたと言われても、何のことかエマにはわからない。焦りばかりが口を滑らす。


「信じてください。私は、何も……」


「ああ、わかっている」


部屋のプリンターから勢いよく紙が飛び出してきた。何かの設計図だった。


「エマ=リュウグウ、墓守の仕事とはなんだ」


「ご遺体を守ることです」


オブライエンは紙を拾い、エマの手に握らせた。


「君は彼女に選ばれた。事件を解決しろ、さもなくば君の居場所はない」


エマは息を呑む。どうして自分はやっかいなことに巻き込まれるのか。要領が悪いことは理解していたが、こうも不運が続くと、泣きたくなる。いや、泣きたいのは、サラや、ご家族だろう。追いつめられたエマは、職業倫理に目覚めつつあった。



地下霊園の暗闇を、懐中電灯が照らし出す。監視カメラは切られ、侵入者は悠々と中に入った。目指すのは、サラの聖棺だ。金の台座に翡翠の埋め込まれた棺の前に立つ。棺の側面についたボタンを押すと、手前に押し出されるように棺が分割された。


ご遺体は部屋から消えたわけではなかった。棺は二段底になっており、消えたと思われたご遺体は底に隠してある。この仕掛けを知るのは彼だけだ。哀れなインターンに罪をなすりつけ、ご遺体を回収すれば完全犯罪が成り立つ。


完璧な仕事に酔いしれたのも束の間、底に隠れていたのはサラでないとわかり、仰天した。


「いやあ、今夜は冷えますね」


エマが腕をさすりながら棺から出てくる。


「貴様……、なぜここに!?」


「なぜってあなたを待っていたんですよ、統括マネージャー」


小太りの中年男の驚愕した顔が、暗闇に浮かぶ様は滑稽だった。それでもエマは笑わずにマネージャーを見つめる。


「なんの悪ふざけか知らんが、悪趣味にもほどがある。失礼させてもらう!」


「いいんですか、サラさんのご遺体を確認しなくても」


マネージャーは足を止め、ハンカチで汗を拭う。


「ご遺体を見つけたのかね! お手柄だ。それが本当なら君の処分を取り消そう」


「もう言い逃れはやめませんか。サラさんのご遺体を隠したのはあなたです」


「死体ごっこの次は責任転嫁か! 付き合いきれん。これだから学生は」


興奮するマネージャーの鼻先に、エマは紙を突きつける。オブライエンが会社のデータベースから見つけてくれたものだ。


「これはサラさんの棺の設計書です。これによると底に不可解なスペースがあります。サラさんのご家族に確認しましたがご存じないようです。そしてこの設計書に許可印を押したのは、マネージャー、あなたですね」


「し、知らん! そんなもの。業者が勝手に付け加えただけだろう」


まだシラを切るつもりらしい。エマは冷静に次の証拠を突きつける。


「この部屋、寒いでしょう。普段ならいいんです。ご遺体を痛ませないために必要ですから。でも今はサラさんがいないはずの部屋が稼働してるっておかしくないですか。空調を止めないように指示したのはマネージャーだという証言も掴んでいます。あなたはサラさんがこの部屋にいると知っていたんでしょう。そして今夜、二重底の仕掛けを解いてご遺体を運びだそうとした。違いますか?」


勝った! エマは小さくガッツポーズをした。オブライエンの助けを借りたにしろ、犯人を捕まえた。狭い棺に押しつぶされること数時間、耐えたかいがあった。


「探偵ごっこは終わりかね、お嬢さん」


エマの耳の脇を素早い何かが通り抜けていった。マネージャーがピストルを向けている。油断した。エマは肝心な所でいつもしくじる。相手が丸腰だと思いこんでいた。


「浅知恵を働かせなければもう少し長生きできたのになあ。どうせギフト無しの行き場なんてそうないだろうが」


「あ、あなたはどうしてサラさんのご遺体を盗みだそうとしたんです」


「金だよ。外国の研究機関がフェイズ5の遺体を欲しがってる。どうせお化粧して寝かせとくしかないんだ。生きてる人間が有効活用してなにが悪い」


エマは憤りを感じ、唇を噛む。ご遺体は第三者が勝手に扱っていい代物ではない。インターンですら知る常識が霊園の管理者に通じないのは納得がいかない。


「人の体を私欲に任せて売り飛ばすなんて最低」


「なんとでも言え。さよならだ」


エマの眉間に照準が合わさり、弾丸が発射される。エマは瞬きせずに、その挙動を見つめていた。


「サラの死因が何か知ってる?」


弾丸はエマの額すれすれで制止している。包帯の女がエマの背後に立って、琴を奏でていた。


「先天的な心臓疾患だって聞いたけど」


エマは、どういうわけか口を動かさずに意志を伝えることができた。


「遺伝子をいじり過ぎた弊害ね。サラの家族の寿命はどんどん短くなってる。どこの家も似たようなものよ。自分で生み出した宿痾しゅくあに苦しんでる。醜いと思わない?」


「私はずっと、彼らが羨ましかった。全てを持ってるから。でも違ってたんだね」


持つ者と持たざる者の差は、平等な死によって埋められる。エマはもう彼らに劣等感を抱くことはないだろう。


「取るに足らないものよ。何もかも。それでもサラを守ろうとするのはどうして?」


「いつか、空を見せてあげたい。昔、誰かに言われたの。空があるから寂しくないって」


包帯の女は、顔に巻いた包帯をほどいてく。意外とチャーミングな唇が露わになった。


「エマ、あなたはご遺体を守りなさい。私はサラの魂を守る」


エマの顔の周りに瞬間、風が生じ、弾丸を立ち割った。マネージャーは開いた口が塞がらない。


「は……!?」


床を転がっていた弾丸が、天井にまで跳ね返る。カーンという音が鳴ったのをエマは聞いた。


包帯の女は、右手で剣を振るっていた。まるで守護天使マリーアだ。マリーアの剣は、刃と弦の性質をあわせ持つ。超振動を起こすブレードに切れぬものはなかった。


続けざまに、マネージャーの持つ拳銃がまっぷたつになった。わけがわからず立ち尽くすマネージャー。何かがおかしいと感じ、逃走を計る。


ところが入り口ではオブライエンが通せんぼしていた。


「おっと、マネージャーどちらに?」


オブライエンは苦笑いするマネージャーの鼻っ柱に拳を叩き込み、昏倒させた。


「もっと早く助けて下さいよ! 死ぬかと思ったああ」


泣きじゃくるエマの傍らに、オブライエンは立つ。


「私が見込んだ通りだ。君は守護天使に選ばれたんだね」


霊園には、階層ごとに守護天使と呼ばれるガーディアンがいる。ただし、五階層のマリーアだけは長らく不在だった。


守護天使は墓守にしか見えないが、人間に対する失望からかマリーアは行方をくらませていた。この度、エマが選ばれたことにより新しい墓守が誕生したのだ。


「君は、合格だ。おめでとう」


エマは居場所を得た喜びと、命びろいした安堵でオブライエンにしがみつき一層声を張り上げ泣いた。


マネージャーは余罪も含めて逮捕され、安全な場所に匿っていたサラは元の場所に安置された。エマは家族に感謝され、引き続きサラのお世話を任された。


大学卒業後、エマはクノックス社に就職した。第五層の墓守となり、オブラエインは補佐に回ってくれている。マリーアとオブライエンは昔仲違いしてそれきりらしい。色恋沙汰だとエマは睨んでいる。


あれからマリーアの声は聞こえない。見回りの時、マリーア像に語りかける。そこから空は見える?


「まずまずの眺めよ」


その答えを聞くには、エマはまだ墓守として未熟だ。マリーアに認められるために仕事に精を出すのだった。

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