沙希の死は、不名誉だった

 沙希の葬儀にあたっては、この地方ならではの合理的な風習である「取越法要」というものを行ったので、次の法要は一周忌になる。納骨は一周忌の時では少し遅すぎるので、春、雪が解けた頃にでも集まれる人だけが集まってやろうということになっている。

 そういった今後の流れについて、私は、葬儀を終えて自宅に戻った後で諒太から聞いた。私自身ももちろん説明を受けたはずなのだがすっぽりと抜け落ちていたから、諒太に教えてもらえて助かった。


 それと並行して、過熱するマスコミ報道によって沙希が死んだ事故の詳細が丸裸にされて行った。沙希は事故当時、不動産屋の店長と一緒に店舗にいたのだそうだ。そして何をしていたのかというと――私には意味がわからないのだが、「除菌消臭用スプレーの中身を空にする作業をしていた」のだという。これだけでも意味のわからない話だが、更に悪いことに、店長が何を思ったか、ガスの充満する店舗内で湯沸かし器を使おうとして引火、爆発に至ったのだという。爆発の被害は近隣の建物にも及び、重傷を負いながらも生き残った店長と不動産屋が損害賠償請求を受けることはほぼ間違いないらしい。

 葬儀の席で損害賠償がどうだとか言っていた人がいたが、とんでもない。沙希は死んだから責められこそしないものの、あり得ないような違法行為に手を染めた上に地域住民に多大な迷惑を掛けた、むしろ加害者側の人間だった。

 マスコミ報道の勢いはとどまるところを知らず、一介の事務員に過ぎなかった沙希が何故店長と二人きりで店舗に居残ってスプレー缶のガス抜きなどしていたのかということについても、下世話な憶測が流れた。いわゆる「いかがでしたか系」のブログには沙希の顔写真やプロフィールが掲載され、「店長と特別な関係にあったのでは?」などと書き立てられ、そのURLが貼られたネット掲示板では、事件の詳細そっちのけで沙希の容姿叩きが始まる――とても見られたものではなかった。

 幸い、「札幌不動産屋 爆発」といった特定のキーワードを避けさえすれば、単なるニュース報道以上のひどいサイトには触れずに済んだが、これから先ずっと「井口沙希」でGoogle画像検索をすると、不動産屋の制服を着てぎこちない笑顔を浮かべた沙希の顔写真がヒットすることになることは確実で、こうして死んだ後も晒し者になる沙希が哀れだった。確かに沙希はよくないことに協力した。しかしそれは、こんなにも叩かれ、嘲笑われるほどの罪だろうか。それに、ネットにアップされた情報はこれから先も消えることはないのだ。そう考えると、堪らなかった。


 マスコミの取材は私のところまで及んだが、何度か「十年以上何の交流もなかったので、何もコメントできることがない」と繰り返したら連絡が途絶えた。いいネタが取れそうにないと判断されたのだろう。実家への取材は、父が全て追い返しているらしい。しかし「落ち着くまでこちらには連絡してくるな」と言い渡されており、詳しい状況はよくわからない。もちろん、事故を起こした当事者としての沙希に対して両親が親として何を思うのか――といったことも、聞くことはできていない。

 

 忌引きに有給休暇を付けて一週間ほど休んだ後、職場に復帰した。「妹が事故死した」とは伝えていたが、沙希とは苗字が違うことが幸いしてか、少なくとも表立っては、「事故死した妹」が「札幌のあの事故でスプレー缶を爆発させた会社の人」であることは話題にあがらなかった。もしかしたら忌引きと事故のタイミング、公開された沙希の顔写真などから事情を察することができた人はいたかもしれないが、察しつつも黙っていてくれているのだとしたら、それだけで感謝しなければなるまい。


 

 マスコミ報道のおかげで、ひとつよかったことはあった――交流が途絶えた後の沙希の足跡が明らかになったのである。 

 沙希は結局、八年かけて大学を卒業した。つまり、絶縁してから更に二年、沙希は大学生活を続けていたことになる。結局学部を移ることはなく、法学部を卒業した沙希だが、留年を重ねすぎてなかなか就職が叶わず、三度目の受験で宅地建物取引主任者試験に合格、三十歳近くなってようやく不動産屋の契約社員として働き始めた。いくつか店舗を移り、四つ目の勤務先で事故を起こすに至った。

 付け加えると、沙希にはここ数年交際相手がおらず、独身だった。だからこそ店長との仲が勘繰られたり、本来であれば若気の至りで済まされるのであろう、かつての男性遍歴が取り沙汰されたりもしたのだが――そのことについては、多くを語りたくない。


 こうして見てみると随分遠回りな人生ではあるが、学部を移ることを切望していたはずの沙希が法律系の資格を取り、多少なりとも法律に関わる仕事を選んだこと自体、よく頑張ったのだと思う。もし、もっと早く仲直りができていたならば、沙希と仕事の愚痴なんか言い合えたりしていたのかもしれないが、沙希がたとえば「結婚しているかどうか」にこだわり続けていたならば、そもそも仲直りできる状態ではなかっただろう。沙希の私に対してだけ高飛車なところが、社会に揉まれるか何かして丸くなっていなかったのだとしたら、相手をするのは正直しんどかっただろう。

 本当のところ、死の直前期の沙希の心境についてはわからない。幸か不幸か、沙希のものとはっきりわかるSNSの類は発見されていないのだし。だから全ては仮定でしかないし、何を想像したとしても「たられば」の話でしかない。

 

 全ての可能性は、実現の見込みが潰えた――沙希の死によって。



 当初抱いた「沙季の死を悲しんであげられるだろうか」という危惧はどこへやら、私は喪失感に打ちひしがれながらかろうじて日々のルーティンをこなした。できるだけいつも通りに過ごすことに努め、諒太との間でも意識して沙希にまつわる話題を避けた。とにかく早く日常に戻らなければ、と必死だった。

 

 


 それが起こったのは、一ヶ月ほど経ったある夜のことだった。

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