第10話 蘇生する静物

 年々、農作物のできが悪くなるという。僕の両親もため息をついていた。父はこの冬も、町へ出稼ぎに出ないといけない。

 教会に行くと、神父が妙な話をする。太陽の力が年々弱まっているのだと。よい行いをする人が減ったので、とうとう神様は、この世の火を消すことにしたのかもしれない。しかし神様を信じていれば、最後には救われるのだという。僕の周りに、そう悪い人がいるとは思えなかった。大人達も親切だし、この村は、他の村に比べても評判がいい。よい行いをする人が減ったとすれば、それは他の村のことだろうと思う。

 学校ではまた先生が別の話をした。夜道には特に気をつけるように。農作物のできが悪くなると、子供が行方不明になったりするそうだ。神様の怒りを静めようと、子供をさらって生贄にして捧げる人がいるらしい。今の教会は、生贄を認めていないが、昔の書物などを読み、農作物を救うには、生贄の儀式が必要だと考える人もいるらしい。そして子供をさらってしまうのだ。僕達は震え上がった。この村の人ではないだろう。きっと隣村あたりから、この村の子供を狙ってくる奴がいるのだ。


 それはいつも、僕の目の前で起こる。

 どういう時かは決まっている。丸い食卓の中央に、ろうそくの炎が置かれた時だ。突然、そのろうそくを中心に、食卓の上にある全てのものが、浮き上がって回転を始める。テーブルクロスにもしわがより、ろうそくが置かれている位置を中心に、しわが走って渦状の模様になる。やがて、回転速度は速くなり、遠心力で飛び出したものが、食堂の壁に当たって砕けてしまう。割れた果物、割れた皿、散乱する食器類。

 この現象が起きる度、みんなは困惑するばかりで、震えて神様に祈る人もいる。しかし僕は気がついていた。この現象が起こるのは、必ず僕がいる時だ。そして僕自身も、円形の食卓の中央にろうそくの炎があると、なぜか気が焦ったように胸が高鳴るのだ。現象が起こると分かっているからなのか、あるいは胸が高鳴ると僕の持つ何かの力で現象が起きるのか、それは分からない。ただ、僕がこの現象に関係しているのは確かだ。

 とはいえ、自分でもなぜそうなのかよく分からないので、僕は誰にも言っていない。何かの犯人のようにされるのも嫌だったし、魔法使いのように思われるのも嫌だ。


 ある日のこと、夕食が終わった後、村の人が呼びに来た。広場に奇妙なものがあるという。それを聞いて大人達が出ていって、僕達子供だけが残された。子供は夜出歩けない。僕は近くのいとこに訊いてみる。

「何だろうね」

「さあね。帰ったら聞いてみよう」

 僕はあることを思い、火のついた燭台を持つと、違う部屋に行った。誰もいない。丸いテーブルがある。僕はテーブルの上に、ハンカチとか、本とか、飛んでぶつかっても壊れない、いろいろなものを乗せた。そして、燭台をテーブルの真ん中においた。しばらくするとテーブルの上のものが、燭台を中心に回転を始めた。やはりだ。この部屋には僕しかいない。僕の力だ。回転速度が上がる。僕はおもむろに燭台をテーブルから取り上げた。回転が止まった。燭台をテーブルの端に置いてみた。何も起こらない。中心に置かれていないと、この現象は起きないのだ。

 その時、大人達が帰ってくる音がした。僕は慌てて、燭台を持って元の部屋に戻る。

「何があったの?」

 さっきのいとこが大人達に訊く。

「ん? よく分からない。広場に丸いテーブルが置いてあってね、果物が載った皿、それにろうそくがその上に乗っている。誰がそんなもの置いたのか、分からんのだと」

「きっと、おまじないじゃないかねえ。作物がいっぱい穫れるための」

 僕は胸が高鳴った。呼んでいる。僕を呼んでいるんだ。

「僕、見てきたい」

「だめだ。子供はもう寝なさい」

 そう言って、無理矢理子供部屋に押し込まれてしまった。でも、引き下がるわけにはいかない。僕は寝たふりをして、夜中を待った。あれは、僕が行くまでそのままだろうと思った。皆が寝静まった頃、僕はそっとベッドを抜けて着替えた。そして物音を立てないように外に出た。広場へ。外は漆黒ではなかった。幸い月が出ていて、月の光は明るい。広場に着いた。誰もいなかったが、丸いテーブルはやはりそこにあって、ろうそくもついていた。燭台はテーブルの中心にあった。僕が近づくに連れ、テーブルの上のものが回り始めた。皿が、果物が、ろうそくを中心に回転して浮き上がる。僕がテーブルの脇に着く頃にはすっかり飛び散っていて、渦状に皺のよったテーブルと、中心に燭台があるだけだった。僕は傍らに立ってぼんやりしていた。するとどこかの闇の中から人が出現した。深いフードのついたマントをかぶり、顔が見えない。音もなく近づいてくる。そして、僕のすぐそばに立ったが、顔はまだ見えなかった。

「お前だね」

 女の人の声だった。

「あなたは、誰ですか?」

「お前を探している者だよ」

「どうして?」

「お前の力が必要だ。ずっと待っていた」

 そう言って、その人はフードを外して顔を見せた。はっきりした目と、高い鼻。髪は波打っていて短い。手にはランプを持っていた。

「僕の、どんな力?」

「今見せてくれた」

「テーブルの上でいろいろ回る力? こんなもの、何の役に立つの?」

「ついてきて。ついてくれば見せてあげる」

 こんな夜に、知らない人について行くのは嫌だった。でも、この女の人は僕の力を知っているし、待っていたとも言う。何かの運命だと僕は思った。

「じゃあ、行くよ」

 僕がそう言うと、女の人はうなずいて、再びフードをかぶると、滑るように歩き出した。僕も後をついて行った。

 村を出て、細い道の左右は背の高さぐらいの草ばかりになった。ここまでは僕も来たことがない。道はまだ続いている。

「ねえ、どこまで行くの」

「この世界が見えるところ」

「世界?」

「お前は万有引力を習ったね?」

「ええと……物が落ちるのは、地球が引力を持っていて、引っぱるからだ」

「では、月はなぜ地球に落ちてこないか?」 

「地球の周りを回っているからだよ」

「なぜ、止まらずに回り続けていられるか?」

「そりゃ、宇宙には何もないからだ。抵抗がないんだよ。遠心力をずっと持っている」

「そう、学校ではそう習っている。真空、つまりそこには何もないのだと……でも、お前は『エーテル』という言葉を聞いたことがあるかい?」

「あるよ。確か、昔は宇宙がエーテルってものに満たされているって信じられていた。でも、実はエーテルなんてなくて、真空だったってわけ」

 女の人は、低い声で笑った。

「それを誰も確かめたわけではない。時には……昔の知恵の方が真実のこともある」

「え?」

 その時、草むらが終わって急に視界が開けた。そこには何もなくて、暗い広がりが見えるだけだと思った。

「ここは?」

「着いたよ。ここは湖だ」

「近くに湖なんてないはずだけど」

「選ばれた者しか来れない。そんな場所にある」

 風が吹いた。目の前の広がりが湖だと言われても、よく分からない。暗くて水面も見えないのだ。女の人は、湖だという広がりに沿った道を歩いていき、僕も後に続いた。しばらく行くと、背の高い、石造りの神殿のような建物があって、僕達はそこに入っていった。階段を何階分も上り、やや疲れたころ、通路に出て、また歩いていく。そしてまた視界が開けた。さっきの広がりが見下ろせる。確かに、湖のような丸い形が、大きく広がっている。

「どうですか?」

 女の人の声は、僕に向けてではなかった。湖を見下ろす椅子があり、そこに一人の老人が座っていて、彼に向けた声だった。

「ああ、まだ大丈夫。その子かい?」

「ええ」

「君、ここに座ってみなさい」

 そう言って老人は立ち上がった。僕は、その椅子に座った。そして湖を見下ろすが、思わぬものが見えた。

「あっ!」

 中央に丸い火の玉。そして火の玉の中心にゆっくり回っているのは、内側から灰色の小さい球体、金色の球体、青い球体、赤い球体、大きな橙色の球体、輪のついた大きな球体、薄緑の球体、水色の球体。僕は何か分かった。これは太陽系だ。太陽、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星。

「気がついたかい?」

 老人は言った。僕はうなずく。

「運行の力が弱まり、エーテルの抵抗に負けつつある。今に公転周期が狂い、しまいに惑星達は太陽に飲まれてしまう」

「それは大変だ。どうすれば……?」

「今まで、必要な時は私が力を与えていた。しかし私も年を取り、十分な力は出せない。君がやるのだ。そのために君をここに呼んだ」

「僕が?」

 女の人が、僕の肩に手を置いた。

「そう、そのための力よ。この地球が、生き延びようとするための力。それがお前に与えられた」

 僕は太陽と惑星達を見つめた。テーブルの上の、静物のように。

 必要な力は、僕の中にある。太陽系が、僕から力を得て、再び動き始めるのが分かった。

「知らなかったな。ずっと分からなかった。自分の力がこんなことに使えるなんて」

 僕がそう言うと、老人は微笑した。

「何か分からないことがあったら、それは宇宙が必要としている何かかもしれない。誰でも一度は、宇宙と対峙してみることだ」

 空が白んできた。夜明けが近い。


(参考)

http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/varo/rv03.jpg


                            終わり

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