閑話。王国にて


 王国の治世は私が十の頃から不安定だった。貨幣の信用は薄く、父王は外貨を得る手段をあれこれと模索していたのを覚えている。


 私達の国は平地の国境で面する公国と、山脈の国境で面する亜人デミたちの連合国に挟まれており、諸外国には亜人共を押し止める最前線として見られていた。


幾世代も前、この王国は亜人連合との戦で、精強な空軍を擁し、樹海と山脈を要害に彼らの進軍を押し留めた国だったそうだ。

以来、この国は武勇の国であり、公国を始めとする人間の国々に提供できるものはこの軍事力だった。


 だが戦争の少ない時分となれば話が変わってくる。我々の国の主な輸出資源は天馬と騎竜、そして彫金の技術だった。食料を減らしはすれども増やすような資源はない。取引相手の国が経済的に少しでも疲弊すれば、そしてそれが数年も続けば王国は先細っていく。亜人たちの連合国とも同盟関係を結んだ結果、賠償金を強請ることもできない。金策のために解雇された傭兵らが街道を荒らし、物流が打撃を受け、王国は明確に荒れていった。なお、現在の調べではその傭兵らの武器等の元手は不透明で、何者かに離反と略奪を唆されていたという疑いがあるのだが。



 そのさなかにあってなお穏健な治世をとる父王にしびれを切らしたか、父の腹違いの弟、ガーグランツは王宮の人々にその剣を向けた。ちなみに王の兄弟自体は腹や種が違う者らが幾人かいたそうだが、父の戴冠が決まってから徐々に生きている者が減っていった。思えば王弟として残ったガーグランツが手を回して消していったのだろう。


 突然の謀反に王宮は騒然としたが、父王は私の命を守ることと引き換えにして弟を戴冠させた。後から知らされたが、あのとき王宮は王弟ガーグランツが雇い入れていた兵らに囲まれ、王族の居住棟も竜騎兵の大群に睨まれていたそうだ。戴冠を経た王弟ガーグランツは用がなくなったと父王を切り捨て、王宮の人々を威圧し掌握した。


そこから支持もとい私兵を使った支配を広げ、悪趣味なやり方で選抜した精鋭たちをかかえて資源豊かな公国へ攻め上がったのだった。



「あれからはあっという間でしたね、クラリス殿下」

「いいえ、ラウソラス。あの男が即位してからの4年、公国へ攻め入ってからの4年。この8年を短いと思ったことなど一度もないわ」


執事が目の前に並べる契約書の山を一つ一つ確認する。傭兵との契約、騎士団を戦後も国軍として擁する契約、交易路を保護する契約、宰相含む有力諸侯らと交わした手紙けいやく…すべて私があの玉座を手中に収めるために積み上げてきた紙の階段だ。


「あの男を這いつくばらせ、その手で私に王冠を頂かせる。その日が、これほどに遠く、長く感じられたことはないわ」

「その日を近づけんと努力してきましたでしょう?クラリス殿下」

「陛下と呼ぶ準備をしていなさい」


白銀の乙女が根回しの手紙を書き始めるのを見やり、執事ラウソラスは縹色の髪を揺らしてくつりと笑った。

彼は幾世代も王家の王位継承者の側仕えを果たしてきたエルフである。

自分たちの国が戦に敗れてから百余年、民族協調路線の外交へ時代が移り変わり、彼の仕える王国では必ず各種族の亜人デミヒューマンが王宮で高官職をもつ制度ができていた。


人間のみならず亜人らの間でも制度に対しては賛否があり、ラウソラスもまた自身が仕える姫であるクラリスに、からかうつもりでその是非を問うたことがある。当時十四であった姫の返事は「機嫌をとられていると思われたくないのなら励みなさい。名がついたなら実など後からついてくる。逆もそう」などという幼さ故の希望に満ちた未熟とも言える返事だった。



 そんな言葉を大真面目に、遠い未来を睨む目で告げられれば代々の王位継承者を見守ってきたクラウソラスも面食らうしかなかった。

その回答に笑いはすれど、為政者としての己を見通して言葉を発した少女は確かに王位を継ぐ者だった。この娘であれば玉座に頂いた先にも仕えたい、そう思ったクラウソラスは姫君に自身の名の頭文字を預け、継承位ではなく彼女自身に仕えることを決めた。少なくとも彼の中で、クラリスはCクラウンを戴いていたのだ。


「失礼するぜ、殿下」

「ダインスレイヴ!不躾だぞ」

「いいわ、私達しかいないのだから。何用かしら」


ダインスレイヴと呼ばれた獣人の軍務卿は口角をあげ、尖った犬歯を光らせた。


「飛竜、天馬含む騎兵隊三千、歩兵隊の徴兵と訓練、どっちも戦に出す準備が整ってきたぜ」

「貴方に任せて正解だったわ。実力主義の軍隊の指揮は並の人間ならこうは…」

その言葉にダインスレイヴの平手がクラリスの机を叩く。

「チッ……姫さんよ、俺は獣人だから優秀なわけじゃねえ。そこは違えンな」

「我が君から離れろ」

「部屋ン中で魔導書なんて構えてくれるなよ執事バトラー。姫さんごと吹き飛ぶぜ」


軍務卿の言葉は比喩ではない。人間の魔力を効率よく運用し、高い攻撃魔法を放つための武装が魔導書である。それをエルフの魔力、しかもラウソラスほどの男が用いるということは攻城兵器を持ち出すことと同義である。


「…失言だったわ。撤回する。許しをいただけるかしら、ダインスレイヴ閣下」

「受け入れましょう、クラリス殿下」

「フン……」


ラウソラスが魔導書を置き、ダインスレイヴが臣下の礼を示したことでその場はおさまった。


 必滅の将と称される軍務卿ダインスレイヴは3年前、ガーグランツの弑逆の折に殺された父の爵位を世襲し、ガーグランツが王国に残していった摂政に任命される形で今の官職を与えられた男である。しかし、彼にとって「与えられたがゆえにその地位がある」という事態は極めて屈辱的なものだった。軍務卿になる以前より騎士として鍛錬を続けていたダインスレイヴだが、当然ガーグランツによる信はなく、公国侵略の役には連れていかれなかった。

 爵位を得てより克己心から、彼はその官職にふさわしいと誰もが文句をつけられない男たらんとさらなる努力を重ね、軍役につく者らには官職名以上の意味をもって「将」と呼ばれた。国の各所で頻発していた傭兵らの略奪行為が短期間で収束したのも彼の手腕によるものが大きい。


「それで、合戦はいつだ。兵たちは待たせすぎるとまとまりがなくなるぜ」


クラリスがダインスレイヴの目を真っ直ぐ見つめかえし、口を開こうとした瞬間、窓際に鳩が停まる。執事クラウソラスは窓を明けて鳩の足に結ばれた布を開き、目を細め、己が主人に手渡した。

玉座を睨む白銀の姫はそれを受け取り、目を通すと口角を釣り上げて、ぐしゃりと密書を握り込んだ。



「すぐに出るわ、四日後よ。の準備が整った」



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