マディの覚悟


村の男たちは大体が寄り合いに出ている頃だけれど、ティルはいつもそこへは混ざらなかったはずだ。裏口から忍び込もうと手をかけて、自分の指先が震えていることに気づく。


「っ……」


ティルがティルフィング王子なら、彼はこの公国を王国の支配から解き放つ大要素だ。

まして彼が昼間言ったように「目印」を掲げるつもりなら、解放軍挙兵の準備をしているはず。昼間の彼の言葉は王国への宣戦布告だろう。そこに気づけないまま刺客の私が無策で彼の首をとろうとすれば待ち伏せた護衛が私を切り伏せる。情報を持ち帰って村を襲ったとしてもその時には自分だけでも無事でいられる隠れ家のアテがもうあるのだ。もちろん、私が何にも気付けないまま帰るのが最高のシナリオではあるのだろうが。

彼は、自分たちが起こす戦の趨勢すうせいを私で占おうとしやがったのだ。



私はどうする?私は師のために、王国の手先として動くのならば彼のことは殺さなくてはいけない。


けれど、公国の民だった私が侵略者である王国のために、まして幼馴染に刃を向ける理由はどこにあるのだろう。


師の顔と、村の思い出が交互に浮かぶ。

恋をとるか、否か。



 家の中で物音がした。私の気配を嗅ぎつけたのか、来るはずの刺客を待ち伏せ飽いたのか。ティルの叔父として同居している男は彼の護衛だろうから、きっと前者だ。私は音を消したまま息を吐いて、壁をノックした。


「来い」


底冷えするような声がして、裏口が開けられる。私が両手をあげてナイフを落とすと同時に燭台に火が灯った。


「跪け」


教区簿冊には「ドゥリン」という名で記されていた強面の男が私を見下ろしている。


「私は公国の民でした」


両手をあげたままゆっくり家に入り、指示通り膝をつく。敵意が無いことを信じてもらわなければいけない。


「私の素性は、誰から聞いた」


顔をあげればティルを守るように前に立った強面の男、ドゥリンが私の喉元に長剣を突きつけている。


騎馬用に広く用いられる剣だ。

使い込まれた跡はあるが血を吸った跡はほとんど無く、よく手入れされている。

訓練は続けていたと見るべきだろう。

そして騎馬用のロングソードということは、この護衛の男もやはり本来は高い身分の者だ。


「恐れながら、お名前と村に来られた時期から推測致しました」

「ガーグランツは私がここにいることは知らないのか?」


緊張が走る。

きっと私が必要な情報を伝えきればすぐにこの剣が私の喉を突くのだろう。

命おしさに王国について、延命できたのはたった3年なんて間抜けがすぎる。


「私は公国の民です」

「聞いたよ。しかし、君の様子じゃガーグランツ王のも本当みたいだね」


例の悪趣味 とはおそらくのことだろう。

兵士や傭兵たちのうち、投降した集団の長や叛意を示した者らを気まぐれに集め、殺し合わせて勝ち残った者を自身の軍団に加えるのだ。

先日私が差し向けられた傭兵団の殲滅も、私程度に殺されるようなら登用する価値なしという意図があった。

きっとあの王のことだ。

私自身のことを「選別」する気でもいたのだろう。

師の助けで結局生還はしたのだが。


「同じ公国の民を殺して生き延びたか。生き汚い小虫め」

「返す、言葉も…ございません」


ドゥリンの至極まっとうな罵倒に、反論などできようはずもなかった。


「貴方様が旗印となり、故国を解放するのであれば、どうして私にそれを止められましょうか」

「それで、王は僕がここに潜伏しているのを知っているかと聞いているんだ」


ティルが顎で示し、ドゥリンの突きつける剣先が私の喉に当たる。


「……私は命乞いをしに参りました」

「知っているのか、知らないのか」

「私に、それは伝えられておりません。ですが、王が私を試すつもりでここへ遣わせたのなら…」


ティルの、いや、王子ティルフィングの目が細められる。


「君は見逃されたとして、どうするつもりだ?」


唇を噛んだ。こいつは言外に「お前を殺すことなんて怖くない」と言っている。


お人好しの君が、そんな顔をするなんて知りたくもなかったよ。


「貴方が挙兵されるのならその軍につき、邪魔者を闇へ葬りましょう」


喉へ向く剣を握り、自らの鎖骨に突き立てながら王子を睨んだ。


「小娘貴様ッ…!」

「っ………」


息を呑んだ彼の唇には震えが見える。

きっと彼はこれから初めて自らの命令で人を殺す、その覚悟を決めようとしているのだ。


彼は未来の為政者として正しいのだろう。

そして燃えるような目で前を睨むあのゲームのティルフィングに育つのだろう。


けれど、そいつと私の幼馴染をイコールで結んでしまいたくはなかった。


「王国に領地を売った者の血で城壁を染めましょう。王国の間者であった私は誰を殺せば貴方様のためになるかもよくよく知っておりますとも。殿下の手など汚しますまい。殿下が首を叩き落としその亡骸を晒すとするならそれは王国民という人の形をした」


「どちらも人だ!!」

「っ…」

「…僕は、尊厳ある人の命の上に立とうとしている」


剣先を握る手と、切っ先の刺さる胸元から血を流す女に凄まれ、白皙の美青年がやっと感情を出した。


指から力を抜くと剣が離され、視線を動かした瞬間に顎へ靴先が突き刺さる。

天を仰いだ背中にすぐさま圧がかかり、踏みつけられたのだと気づいた。


「殺すな」

「しかし」

「…いい。それで、君は僕に下ると?」


ティルが震えながら、落ちたロングソードを拾う。しまった、覚悟を決めさせてしまう結果になったのだろうか。


「私は同じ公国の者を殺しすぎました。公国を生かす道を支えねば、小虫らしく生に足掻いた意味がありません。殿下がここにっ…ここにいたことは、私がその機会を得る、希望…なのです……」


本心だ。

踏まれているせいか、あるいは初めて虚飾なく語ったせいか、紡ぐ言葉は涙声になってしまう。


「何でも、何でもします。毒味もすべて引き受けます」

──王の毒見役が苦しみぬいて死んだのを見た。臓器を海綿スポンジのようにぼろぼろにする毒キノコの毒だった。


「戦場で先頭を走ります」

──先頭を走る兵士が後ろから駆けた味方の騎馬に蹴り殺されるのを見た。まだ息がある兵士が次々と後続に踏まれ、徐々に全身の骨を砕かれて死んでいった。


「間諜も…こなしましょう……っ……だから……」

──捕らえられた間者がどんな死に方をするかなんて私が誰よりも知っている


──けれど、そんな覚悟いくらだって決めるから

───ティルは怖い顔をしないで。


目頭があつい。

幼馴染の前とはいえ、ここまで熱くなるつもりはなかった。

本当は私も彼を手に掛けるつもりでここに来ていた。

ゲームの正ヒロインは王の首のみを狙っている。シナリオの強制力を信じるのなら、ガーグランツ王は倒されるはずだから、私は彼女に解放してもらう日を心待ちにしていればいい。そのはずだった。


なのに、君が挙兵なんてしようとするから。私達の希望になろうと覚悟を決めるから。


──私も、自分に嘘がつけなくなってきちゃったじゃないか。


ああ、覚悟を告げるって、こんなに力が入ることだったんだ。


声に出せない言葉を唇で紡ぎかけて、息を飲む。

私が王子である彼に言う言葉はこっちだ。


「私を、公国の民に戻してください」


「……信じよう」

「殿下…!」


王子ティルフィングは姿勢を正し、長剣の切っ先を私に向けた。


「農民上がりの暗殺者に叙勲はできないから、せめて、ね」

「え…?」

「僕の、いや公国わたしの手足になると誓うか」

「誓います」


背中を押さえつけられたままの無様な格好でうなずく。


故郷と、幼馴染と、家族と、こんなに大事なものが乗った天秤の反対側にをのせて、そっちに振ることなんてできなかった。

(けれど今、私を農民上がり、と)


「いかがしましょう」


ティルが剣をおろすやいなや、ドゥリンが私に膝を乗せたまま服を引き剥がそうとしてくる。

暗殺者の装備を引き剥がすのは当然だ。しばし思考を止め、深呼吸で恥じらいを捨てようとしていると、ティルの静止が入った。


「どうせここで持っている装備が全てじゃないよ。離してあげて」

「はっ」

「…君を帰さなければ、ガーグランツ王はこの村を正解と見て兵を送り、焼き尽くすだろう。私が生きていれば見せしめになるし、私が死んでいれば公国の民から希望を奪い尽くす喧伝材料になる」


血の気が引いた。

やはり、彼がさっき私の首で決めようとしていた覚悟は村一つ分の命だったのだ。


「そんな顔をしないで。私は君の想像通り挙兵する。その趨勢次第でいくらでもそんな状況は発生するんだよ」


幼馴染が手を汚す未来は変えられない。わかってはいても、やはり苦しい。

だが憂いてはいられない。

ティルフィングが挙兵できまいが、王国で地盤固めをしてきたはずの姫が叔父の首を取りに攻め入ってくる。

そしてそれはガーグランツ王が公国を落とした3年後…


つまり今年だ。


「殿下、王国の状況はどこまでご存知でしょうか」


今こそ転生者としての私の知識を手土産にできるのではないか。そう思って顔を上げると、ティルフィングがこちらに手のひらを向けていた。


「君の言葉を聞くのは、君が一度報告に戻り、僕のもとへ帰ってきてからにしよう」

まだ私を試している。村の人達の命で私を脅して。


「御旗を目印に戻りましょう」






「殿下、奴が村を出ていったのち、直ちに各所で雇い潜伏させている兵らへ合図を送りましょう」

「いいや、彼女は帰ってくるよ」

「確かに奴を殺そうが殺しまいが我々の存在に感づかれてしまうとはいえ」

「今日はもう寝よう。遅くなってしまったからね」


青年は侍従に微笑みかけた。ろうそくの弱い明かりが金糸の髪を夕陽のごとく照らし、彼が生まれて以来見守ってきた男が息を飲む。青年の微笑みは柔らかではあるが、有無を言わせぬ表情であると知っていたからだ。


「では」


男がろうそくを吹き消し、自身の寝台を王子の寝台の下から引き出した。一人一つのベッドを持つのは農民の家には不自然だが、王子と同じ場所で寝るわけにはいかない。そのための偽造だ。

侍従が下の寝台で横になったのを尻目に、王子はベッドの中で口角をあげた。




 確信したのは刺客として来た君が僕の目をまっすぐ睨んで公国の民に戻してくれと言ったとき。あれは力仕事ができなくて、「僕は村にいちゃいけない」とぐずった僕を叱ったときと同じ目だった。


 居城を追われて辺境の村に隠されて以来、僕は自分を王族として生まれた意味など無い子供だと思ってきた。あげく農民としてもうまく生きられないのなら、僕は一体何なんだとドゥリンに八つ当たりしたこともある。その僕に絶えず「きみは必要だ」「きみと遊びに来た」と手を引きに来る友達が無二の者にならないわけがないんだよ。


 城を出された日は唐突で、世話になった侍女たちや兄妹、母上にもろくなお別れが出来なかった。せめて君だけは、と必死に村の外れまで走ったんだ。あのときも君は前しか見る気なんてなかったんだろう。

その、君が、帰ってきた。



「…おかえり」


君は自分が切った啖呵を裏切れない。それは幼馴染の僕が誰より知っているとも。

自分で、初めて指名する臣下が君でよかったよ。マデリン

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