魔剣の名をもつ王子


「おチビ、ちょっと。こっちへ来なさい」


扇情的なドレスを纏った女将軍が私を呼びつける。この声は仕事だろう。師を通さず私に仕事が降りるのももう珍しくない。


「はっ、何なりと」


「国境の村々が良からぬ気運を見せているらしいの。王国に残してきたハゲ宰相が変な気起こして、この国の民草を煽動してるかもしれないでしょう?」

「調査任務ですね。では、どこの村へ」

「ふふっ、アボワって、覚えてる?」

「では、そのように。行商人で参りましょう」


久しく聞かなかった故郷の地名に一瞬息が止まったが気取られる前に返事をする。


「顔色一つ変えないなんて偉いわね。ほらいらっしゃい」


女が距離を縮めてきた。香油の香りをまとった乳房が目の前で揺れる。コルセットで上げて、ドレスでよせて、大きく谷間を見せるように開かれた布地で飾られた立派なそれは、女の私から見ても魅力的だった。


「あんたが陛下に忠誠心を示すチャンスよ。あたしも親だった連中を焼き捨ててここにきたんだ。しっかりおやり」


重い魔導書を抱え、手綱を握って硬くなった女将軍の指が私の顎を持ち上げる。


鼓舞しているのか、釘を差しているのか。おそらく両方だ。


「戦など民草には恐ろしいだけのものです。煽動されようと、それは村を滅ぼすに足る甘言などには聞こえません」

「あら?」


きょとんと女が手を離す。


「そぉねえ。命惜しさに陛下についた小娘が出てきた村だもの。もっと賢いはずねえ。ならそいつを証明してらっしゃい。帰ったらまた顔のきれいなゴミ処理屋に褒めてもらうことねえ」


顔をほころばせて手を振る女に頭をさげ、旅支度に入る。

師は別の仕事でしばらくここにはいないが、私が戻る頃には帰っているだろう。

癪だけれど女将軍ルット・デ・ネージュの言う通り、私の拠り所は師の承認なのだ。


「どうせ父さん、母さんとは話せないもんね」





 行商人に扮し、布やまがいものの教本、聖書を背負って私は自分の故郷に着いた。


久方ぶりの故郷は田舎の村らしく、何も変わっちゃいなかった。

本を売り、断られたり街の様子を聞かれたりしながら相変わらずがたがたの道を歩くと、気がつけば自分の家が曖昧になっていた自分に気づく。


「あ…」

「なんだいお前さん、いきなり立ち止まって」

「ほ、本を背負って歩いていたから、疲れて……」


私は4年経った故郷に、マギーとして帰れない。


「そうかい。そっちの方の家はのっぽのゲールと細君が住んでんだ。兄弟の中で死なずに育ったちびの娘が出ていっちまって、気の毒なことだよ。育ってたらあんたくらいになったんじゃねえかな」

「それはお気の毒に」

「宿はないからね。司祭様によろしくたのむよ」

「ありがとう、ございます」


頭から感情を振り払うように小さな教会へ向かう。行商人や旅人はたいてい教会に寄付して泊めてもらうものだ。まあ、村のどこかに泊まるとしたって、教会に寄付せずにいくのは文無しか異教徒くらいなのだけれど。


それに、教区簿冊きょうくぼさつの在り処を把握しておかなければいけない。


 教区簿冊とは教区民の洗礼、婚姻、埋葬を日を追って教区の司教が記すもの。いわば戸籍みたいなものだ。


これで村に新しい人が入ってきていたりするかも分析する。

これはゲームの世界だけれど、現実の中世ヨーロッパにもあったんだろうか。




「司祭様、私は何を改めりゃまたあのチビに会えるんですか。もう十分ひんしとります、働き手が減っても文句言わず働いとるんです。毎日のお祈りも欠かしてなんかいません。やったことはみぃんな懺悔したさ。どうしたらまたうちのチビに、マデリンに会えるんですか」



一歩入って息を呑む。

母だ。

母が司祭に泣きついている。


私が出ていくときはあんなにも淡白だったのに。

働き手が減ることにカンカンになって私を罵倒していた父を眺めてため息をつくばかりだったあの母が。



「落ち着きなさっておくれ。貴方は主の与えた試練をきちんとやっていなさるよ」

「だったら、ああ神様どうしてうちの娘は帰って来やしないんだ」

「試練を受けているのはマデリンの方かもしれませんよ。あの子が試練を全うすればきっとここで、あるいは二人で天の国へ行って会える」

「ここで会えなきゃ仕方が無いんだよう…んん、旅の本売りじゃないか」


泣きはらした目で母が私に向き直った。

変装してはいるが、一瞬息が止まってしまう。


「あんた旅してるんだろう?なあこれくらいのちびであたしとおんなじ栗色の髪をした女の子さ」


ブーツで身長を盛っているから母の示す身長に今の私は当てはまらない。


「大きくなってりゃ今頃自分の亭主を見つけて私に孫を見せてくれてる頃だった。一昨年仕送りが途切れちまってからなんの連絡もない」

「仕送り…?」

「教会につく杖の寄付金です。この方のお嬢さんが働いていたところからつけてもらっていまして…こんな村じゃそう使いみちもありませんで、少し余りましたのでお嬢さんを呼び戻すよう代筆屋を入れたんです」

「うっ…マデリィ…マデリンや……」

「お嬢さんの働いていた先からの手紙が少し前にやっと届きましてね、どうも送り出して以来音信不通、王は他国の男が取って代わって、街には今は来ないほうが良い、と…」

「そ、れは……」

「娘を探しにいくな、でもどこにいるかはわからない。そんなことがあるかい。ねえ司祭様」

「ですから……」


取り乱した中年の女に食って掛かられて困る司祭。

かれこれずっとこの調子だったのだろう。これでは話が進まない。


それに、私もこれ以上母が自分のために泣く声を聞き続けていて、平静を保てる自信はなかった。


「奥さん」

「はえ?」


撫でて落ち着かせる体を装って手袋に仕込んだ針で耳の裏を引っ掻く。

一滴では劇薬だが、少量を小さな針の引っかき傷で入れる程度であれば気絶だけで済むものだ。

倒れ込む母の体を支え、体制を変えて俵担ぎにする。


「泣きつかれてしまったのでしょうね。司祭様、この細君のお家へ案内してください」


代筆屋を頼んでまで呼び戻そうとした娘が行方知れずになった両親に、私は娘の生死さえ伝えられない。

母を家に送り届けて教会へ戻る帰り道、ほのかに残る母の体温を握りしめた。


「でも、生きてた」


母は生きていた。

今はそれがわかっただけで十分だ。

それほどに平和なら、きっとこの村だって何も不穏なことなどない。夜が明けたら当たり障りのない報告をしに師の元へ戻ろう。

王国の宰相が関わった痕跡などありはしないのだろうから。



「マデリン?」

「っ…」

不意に横から呼ばれて止まりかけた。ここでその名に反応してしまえば私がその名に心当たりがあることがばれてしまう。


「あ…ごめんなさい、あの子の家から出てきたから」


優しい声が横から追ってくる。隣を歩き出した人影の顔へ目をやると、亜麻色の髪を夕陽に透かす青年が困ったようにほほえみかけていた。


「あそこの細君が教会で泣きつかれてしまったようで、お連れしたんですよ」

「商品も人も背負って歩いたのかい?貴方は力持ちなんだね」



薄紅色の血色良い頬、柔らかな微笑み、いつもほのかに潤んだ碧眼、忘れるはずもない、彼は幼馴染のティルだった。



「行商で足腰も鍛えられましょうが、あの方の恰幅がもう少し良ければ肩を貸すこともできませんでしたや」


行商人らしい口調で返す。歩き方もしっかり身分を偽れているはずだ。


「そこのお嬢さんには世話になっていたんです」


成長したティルは可愛らしい面影を残しつつも、野良仕事に少し焼けて精悍になった美青年の顔で私に笑いかける。

あの頼りない美少年がこうなるとわかっていたら嫁候補など村の娘全員では足りなかっただろう。


「よそ者で野良仕事に慣れていなかった僕はひ弱な子供で、みんなからは腫れ物扱いされていたんだ」


知っている。


「マデリンってば空気が読めなくって、手際の悪い僕の手を掴んで作業をやれって。あんまりに有無を言わせない態度だから、みんなぽかんとして、でも言われたからやるしかなくって。ははっ…」


記憶はある。

あまりに手際の悪いのがいたから、単語で指示してやらなきゃ、なんて思って、麦束を掴ませて「揃える。狩る」って一手順ずつ言ってやったんだった。

脱穀棍はさすがに力のある大人でなければ危なかったから、麦束をまとめて干しに行くところまでだったけれど。


というか、そんな怖い奴のことをどうしてそう嬉しそうに思い起こせるんだ彼は。


「い、いじめっ子みたいですね…」

「ははははっ、取り巻きがいたらきっとそうだったかもしれないな。けれどそうじゃなかった」


ティルが少し遠くを見る。


彼の表情からあどけなさが消えると、任務中の今の私でさえぞくりとする。


「よく遊んだよ。草笛の作り方を教わったり、花冠を作ってあげたり」


ごめんね、ティル。

私の手はもう君のくれる花冠を受け取っても汚してしまう。


「新しい遊びを思いつくとき、高い場所の果実が手に入りそうなとき、輝く目印を目指すとき、前だけを向いてぎらついていたあの子の笑顔が好きだった」


心臓が跳ねた。

ただでさえ幼馴染の思い出語りを他人のふりをして聞き続けていたのに、

あまつさえ本人にそんな獣かなにかと認識されていたなんて。


ティル、それは男に向ける憧れに近いような…


「すみません。貴方になんとなくあの子の面影を感じてしまって。こうして顔をあわせればぜんぜん違うってわかるのに」


教会の側まで来た。私が今晩止まる場所だと知って、彼の足も止まる。


真剣な表情で私に向き直ったティルの視線はただの村人のそれには見えなかった。


「僕はあの子をここに引き戻す。あの子は必ず戻ってくる。そうどこかで野垂れ死んでいるなんて、信じないよ。マデリン」


私を射抜く眼差しはもっと大きな物をとらえている。

年月が経って変わったかというよりかは、これが彼の本質のような…



この男は、何者だ?




「会えるといいですね、お兄さん」

「……ははっ、そうだね」


微笑みで空気を弛緩させ、ティルは去った。







教会のドミトリーで装備を整え、頭を巡らせる。

ティルだったはずの青年の顔はどこか見覚えがあった。


小さい頃の面影とは全く別の何か。

彼は村にとってよそ者だったが、なぜだ。


いつ、どこで私はあの視線を知った?



「記録に聞くしかない」






頭に入れた教会の間取りの通りに侵入し、教区簿冊を読み解く。


私が武器商ギルドにいた時期に少しばかり潤った帳簿のほかは本当に田舎の教会らしいものだったが、ティルの名がない。


もう一度注意深く見直すとおそらく彼であろう名前としてティムとドゥリンという男の名が同じ時期に村に住み着いたことを示す記録に行き当たった。


なぜ名前を隠しているのだろう。


彼らが村に住み着いた時期、暦を照らし合わせると、同年に公国の王が即位していた。


王国からの侵略者、ガーグランツ王に殺された王だ。



「ま、さか」



ドミトリーのベッドに戻る。

記録で得た情報と、前世の記憶を照らし合わせてみよう。


私には関係のないものとして頭から切り捨てていたが、この世界は乙女ゲームの世界、つまり攻略対象というキーマンたちがいる。


王国の姫であるヒロインを取り巻く彼らはそれぞれ忠誠心キャラの執事、俺様系の軍人、そして隣国すなわちこの公国の王子…ティルフィング。

見覚えも何も、立ち絵やスチルで何度も見ていた顔だった。




 何を洗い落としきれたかもわからない爪で自分を掻くことはできず、苦し紛れに壁をかきむしる。


足音に気を配っていればもっと早くわかっただろう。

彼の歩き方は未だ尊い身分のそれだったのだから。

宰相の手?違う。それを名目にして王が探しているのはかつて公国がどこかの村に隠した秘匿の王子だ。

私は王子を見つけて殺すために遣わされた刺客だったのだ。


だがティルが王子ティルフィングだと?


彼は野心に燃えた男で、国のため、ヒロインを何が何でも落としてみせると獣のようにぎらついた目をしていたはずだ。

王位継承争いから逃げるために村に潜伏し、庶民として育っていたがゆえか、とヒロインは考えていた。


そうだ、ティルフィングは王権を握り、その力を十全に振るうためにヒロインとの結婚を狙う野心の男だ。


私の知るティルはそんな男じゃない。


今日感じたあの視線だって、ゲームの立ち絵で見たものとは違う。



──輝く目印を目指すとき

──必ず戻ってくる


「あいつ、私が刺客だって気づいてる…!」




私は外套を引っ掴み、彼の家だった場所へ走った。

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