拾われた

王が片手をあげると、御者が懐からナイフを出す。その動きでフードがズレ、彼の鉛色の髪が夕日に濡れた。


「我が君を救おうとした褒美だ。痛みなく、スティレットの慈悲ミセリコルデを」


御者に扮していた男が刺突用の短剣を構え直す。良質な金属を使っている、見るからに高価そうなスティレットだ。それを持つこの人も武器にふさわしく儚げできれいな顔立ちをしている。長いまつげが縁取る薄い茶の瞳は無関心に見下ろしてきているだけなのに、物憂げにすら見えてしまうのだもの。この見た目ならたしかに上手いこと門を通してくれそうだ。この人はどのルートでも難敵だったっけ。顔立ちからして攻略対象だと思われていたけれど、フタを開けてみれば最後までガーグランツへの忠誠心を貫いていて、彼を生存させようとするとヒロインも攻略対象も闇討ちされてしまうのだ。名前は確か…


「…って待って、死にません!帰りません!言うことなんでも聞きます!死んじゃったら家にお金入れられないや!」


「…と、言っておりますが。我が君」


「家のために…ふっ、ははははは!我欲ある故に死ねぬと!この世で最も信用できる言葉だな。そうだろう?篭にこもる将たちよ。異を唱えたければ返事をするがよいわ」


馬車は怖いくらい静かだ。え?人乗ってる?


「力と未来のある敵を背後に置いて進む気はない。死ねぬのなら、我らに隷属を誓えるな」


ガーグランツ王の言葉につばを飲み込んでうなずく。正直もう言葉を絞り出すだけの度胸というか、気力は尽きてしまっていた。


「フェイバー、これを我が従者に鍛え上げい」


フェイバーは黙ってうなずくと、スティレットをしまって私に顎で立てと示した。彼の主は背を向けてさっさと馬車へ乗り込んでいく。私が恐る恐る立ち上がって顔色を伺うと、フェイバーは無感情な声で


「荷物を置いていただろう。取ってこい」


と。私が坂を上がっていたあたりから私に気付いていたようだ。



 護衛の兵士たちとその馬の間を通り、恐る恐る鞄を持って彼の前まで歩いていく。怜悧な視線が私の鞄に注がれている。怪我人に持ってこさせておいて捨てろなんて言われないよね。なんて不安を悟られないように下を向いてると、彼は私の鞄を掴み上げ、御者台に座った。これもまたわけがわからないまま、彼が指でコンコンと示したとおりにその隣へ行くと、彼は私が座るのも待たずに馬車を走らせた。



 よろめきつつもなんとか御者台に座ると、フェイバーは手綱を片手に私の鞄を探っていた。「御者台は一人では広い」とは行商人から聞いた言葉だ。長旅の寂しさとか、がたがた揺れる御者台での尻の据わらなさがそう言わせるのだと思う。けれど、こんなに上等な馬車で二人で座っていても、御者台というのはとてもじゃないがお尻の据わる場所なんかじゃない。背後の篭は人殺しの精鋭だらけ。隣にはその懐刀の暗殺者ときた。しかも彼は目下鞄の取り調べ中だ。怪しいものなんてないといつもなら言えたが、今回はナイフが入っている。看過してくれるはずもなく、やはり彼は淡々と鞄からナイフを引っ張り出して私を横目に見た。


「あの、それは…」


交渉上手、貴方がくれたナイフで人生が終わりそうです。取り繕う言葉を探しながら見上げる私を呆れたように横目で睨めつけ、


「マントの一つもなくてどうする気だった」


と、身を縮めていた私に予想外の言葉を投げかけてきた。まさか旅の装備についてここで説教をもらうのか。どんな顔をしていいかわからず、黙って彼の顔をうかがう。フードを外したままだったから、御者台で揺れる彼の前髪が上下に前後にたなびいて、海の泡みたいだった。薄茶の瞳も今は夕日を映して少し赤く見える。


 その美貌に惚けていると、彼は視線を下げ、自分のマントを私のナイフで切り始めた。何をしているのかと面食らっていたら、彼は私の左手を取り上げ、マントの布で傷口が開かないようにさっさと縛り上げる。体温はないけれど、的確で素早い処置だ。場馴れ…殺し、殺されのような情況に慣れているから、なんだろうな。


「切り口は鋭い。傷口をあわせておけば神職の回復魔法に頼らずともすぐに治る」


「ありがとう、ございます」


ぎこちなくお礼を言うと、彼は視線だけ私に下げて、すぐに馬の頭の方へ向き直った。




「お前は馬を引け。城の厩で呼びに行くまで待っていろ」


城門につくなり言われたこの言葉を守り、兵士たちと一緒に馬をひいて干し草の匂いをかぎながら、城内で起きる惨事を逃れた。ゲームの知識がなかったとしても、私は彼らがおこす行動にはすべて知らないふりをしとおしただろう。


 すべてが終わった後で、得物の血を拭いながらフェイバーは私の前に現れた。見慣れない形をしたそのナイフは暗殺向きではなく、切ることを主な攻撃手段とする曲刀のコピシュだった。中古感がない。おそらく今日のために磨かれてきたんだろう。人目をはばかることなく振りかざす、殺戮の武器として。


「そ…れ、は」


「来い」


拒絶を許さない一言だった。彼が纏う濃厚な死の匂いを意識から追い出したいが、人肌の鮮血なんて無視するには強すぎる。奥歯を強く噛み締めてもおさまらない吐き気に膝をつきかけると、襟元が強く締まった。慌てて立ち直し、顔をあげるとフェイバーが私の後ろ襟を掴んで立たせていた。


「慣れろ。これからのお前には日常になる」


その言葉の通りになった。


ガーグランツ王が支配を推し進めていくのにあわせ、フェイバーは表立った暴力では排除できない要人たちを消していく。私は彼に師事し、暗殺のいろはを学びながらその後方支援にまわっていた。まず直されたのは歩き方。小春コハルだった頃の記憶を取り戻してから無意識に行っていたが、ここでは庶民のそれではないらしい。フェイバー、もとい師曰く、「足元など下々が片付けるものとばかりに顔を上げ、背筋を伸ばしで歩くのは騎馬の将校の歩き方だ。連中に変装しているときでもない限り控えていろ」とのこと。


 次に叩き込まれたのは人体の急所。神経を麻痺させる場所、苦しませて行動不能にする場所、苦しませずに黙らせられる場所などなどの知識と、それらを的確にそれに見合った攻撃方法の訓練をつまされた。私はもともとの合気道の経験から関節や筋肉の勝手は感覚で理解していたから、それを習うと聞いたときはすんなり頭に入るのだろうなと思った。そしてそのとおり、私は不幸にも、暗殺者の技については覚えがよかった。


「よし。次はこいつだ。喉を的確に潰してみろ」


いつものように震える虜囚が私の前に突き出される。師のもとでの手習い的なぬるい練習ではもう足りないらしく、私は生きた人間を相手に教わったことを実践していた。虜囚たち、祖国の人々に、この手で。今日も心を殺し、一気に距離を詰めて言われたとおりに人間の部位を破壊する。


 私が師の仕事も少しずつこなすようになるのはすぐだった。令嬢に扮して誘い出した侯爵の口をふさぎ、喉に穴をあけて己の血で溺死させたのが最初の仕事。2020年代の日本で培った倫理観をもつ私の心が軋んで、ひび割れていくのをすんでのところで押し留めていたのは、師フェイバーだった。彼は私が期待に応えるたび、彼は「我が君もお前を重用してくださるだろう」と喜んでくれた。


 この美しいひとが褒めてくれるから、私はまだ頑張れる。そうして今日も下女として監視対象の屋敷を掃除していると、侍女たちの会話が聞こえてきた。やれ国境がおっかないだの、どこの侯爵が謎の死をとげただの、誰と結婚すれば生き延びられるだの。仕事中は心を凍らせているから、表情にも物腰にも一切出さない。そのように己を作り変えさせられてしまったから。


けれど、これは。



 その晩、定時連絡のための丘で、私は膝を抱えて贅沢にも干し肉をかじり、がちがちと震えながら泣いた。私だってそっち側にいきたかった。

そっち側に生まれてたらよかったんだろうか。

──「でも私達はきっと大丈夫よ。お父様や許嫁が守ってくれるわ」

衣食住の心配なんてしなくてよくて、同年代の子と意味のない話をして、血生臭さと無縁の仕事をして、毛布のあるベッドで眠る。


そんな日常ぜいたくを望んで街まで出たのに、天馬騎士を目指したのに。


「何をしている」


後ろから師の声がする。はやく必要事項だけを伝えなくては。

さもなくばこんな姿、失望されるか叱られるかだ。


「へ、いき。です。今だけ、です。完璧に隠せます、だ、から」


「王の黒い手として動く者にとって、情は危険なものだ」


「……っは、い」


「どこかで決壊してしまうのは刃の曇りになる」


「わかって、ます」


「だから」



背中が温かい。数秒遅れて、彼が後ろから私を包むように抱きしめたのだと気づいた。



「俺の前でのみ吐き出していけ。マデリン」


師が私をねぎらったのが信じられなくて、喉を潰された人みたいに言葉が出なくなる。

涙ばかりぼろぼろと落ちて、気がつけば師の指が私の頬から滴を拭っていた。



「わた、し、生きたかった。生きたかっただけ、なの。でも、そんなの、一度も気にしたことがない子達がいて、っ…ずるい……」


「そうか」


鼻をすすり、しゃくりあげながら、まとまらない感情の羅列をぶつけてしまっている。どんなふうに思われてしまうのか考えるのが怖いくらいなのに、止まらない。師匠の抱擁は私の堰をぶち壊したようだ。


「わたし、がんばるのに。ううん、師匠がほめてくれるの、だけ、それ、嬉しくて、師匠のために生きてる。だけど、わたし、こんな、怖い、あぶないのばっかり。あの子達みたいに、平和じゃない、の」


「ああ」


「師匠とも、いられなくなっちゃう。でも、そのとき私、、もう」


「……ああ」



師の手のひらが私の頭に乗り、そっと、鼻先まで降りて私の視界を閉ざす。ふと意識がとびかけてふらついた。泣きつかれて眠りかけたのだろう。


持ち直そうとしたところで、もう片方の手が私の肩を押し、私の背を師の胸にあずけさせる。今度こそ重心と意識を奪われ、私はまぶたを閉ざした。

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