第7話 初めてのケンカ

――小学生になった。

 サトちゃんはもう、上級生からヘコキ虫とからかわれなくなっていた。あの臭いはアオノリュツゼツランの花からしたものだったからだ。甘いような、けれど汗をかいたあとのような、不思議な臭いだった。


 サトちゃんは哲也君にいじめられなくなると、また私をあごで使うようになった。


「今日は田んぼに一時に集合です。みっちゃんは飲み物係なので何か持って来るように!」


 サトちゃんの命令口調にいらだちが募る。けれど言い返す事が出来ないでいる。


 冷蔵庫の奥にあるジュースを三本、お母さんの目を盗んで袋に入れた。


「……お姉ちゃん、ズルい。ともこも飲む!」


 妹に見つかった。あわてて友子の手を引っ張って外に連れ出した。


 田んぼに着くと、サトちゃんと、サトちゃんの妹ユキちゃんが待っていた。


「……おそーい。今日は四人だけです。この四人で四つ葉のクローバーを探します!一番に見つけた人はごほうびにレンゲの蜜を吸っていいです!」


 サトちゃんは命令するとき、なぜか気持ち悪い敬語を使う。私より気持ちだけでも年上になりたいんだろう。そういうサトちゃんが嫌いだ。


 友子と一緒に一生懸命に探した。春の田んぼはシロツメクサの白い花と、まだ残っているレンゲのピンク色の花で埋め尽くされている。


「あー、あった!……お姉ちゃんこれ四枚あるよね。いち、に、さん、よん」


 友子がたどたどしく、葉の数を確認する。

「……ほんとだ!やったー。ちゃんと四枚あるね。サトちゃんに見せておいで。レンゲの蜜を吸えるよ!」


 自分の事のように喜んで、誇らしく笑う友子の背中を軽く叩いて促す。


「……ダメでーす!これは三枚でーす。」

「――ギャー、なんで、なんでよー」


 サトちゃんの声と同時に友子の泣き声がした。


 その瞬間を見ていなかったが、サトちゃんが葉を一枚取り捨てたらしい。友子の泣き声が大きくなる。


「はい、探し直し、頑張ってね」


 サトちゃんは、そう意地悪く言うと、私の摘んでいたレンゲの花束を叩き捨てた。妹の為に摘んだレンゲの花はバラバラに落ちていく。


 友子が泣きながら家に向かって走る。すぐに追いかけて行けばケンカしなくて済んだかもしれない。けれど、怒りが収まらない。


「……妹に謝ってよ!インチキしたのはサトちゃんなんだからね!私も四枚あるの見てるんだから!……早く妹に謝ってよ!」


 握った拳も、唇もプルプル震えている。


「みっちゃん、バカみたい。それよりあんた飲み物係なんだから早く出して!喉乾いたよ」


 サトちゃんは私の袋を探して、ジュースを取り出す。

「……三本しかないじゃん。まっ、いいか、三人だし。……それよりこれビンジュースなんだけど、栓抜きないの?……ないよね、あんたアホだね。どうやって飲むの?」


 バカみたい、アホだね。……ずっとサトちゃんに言われた言葉を思い出して、涙がこぼれる。


――今日まで自分さえ我慢していれば、ケンカにならなかった。けど今日は、妹を傷付け泣かせたサトちゃんが許せなかった。


「サトちゃんなんか友達じゃないっ!」

 初めて大声で叫ぶ。全身がプルプル震えて、頭に血が上ってフラフラする。


「……あー、つまんないの。ユキ帰ろう」


 帰っていく二人の後ろ姿を見て、立ち尽くす。

 謝らないんだ。……転がっているジュースを袋に戻し、その場にしゃがみこんで大泣きした。

「絶対に許さない!……もう友達なんかじゃないっ。ヨシばあの嘘つき。仲良くなんてなれないよー」


 

 その場で泣きつかれて眠ってしまったのか、気がついたら田んぼが夕焼け色に染まっていた。


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