「新しい年。新しい星。」

ゴジラ

「新しい年。新しい星。」

 世界中が幸せを願うクリスマス。子供たちは皆、胸が高鳴る。規律と調和で整えられた街全体が、煌めくネオンの状景へと顔色を変え、子供たちに美しい世界を教えてあげる。大人たちは幼少のみぎりを開いて郷愁豊かな過去を偲んでいることだろう。そんな思い思いの時間の流れが不明瞭に重なり合い、街を包み、やがて散り際まで華々しい冬の線香花火のように一瞬にして終える。

 それから一息つく間もなく、年の暮れがやってくる。一年の振り返りには年齢や性別、もはや善悪すら関係はない。

 日本で最も「願い」が集まる日がやってくるのだ。

 それが一月一日。元旦である。


 イサミは十歳になった。彼女は神戸に所在地をおく生盛神社に司る神の一家の末っ子である。元旦になると神の一家は大忙しだ。家族総出で与えられた仕事を各自こなしていく。

 祖父と父は参拝者同士の争いごとや怪我などの問題が起きぬよう、境内上空から監視して秩序を守った。長女のイナリは迷子の子供を知らぬ間に親の元へと返す案内係。兄のオロチは参拝者が鳴らす鐘の音色を担当した。

 イサミも五歳になると仕事を与えられるようになった。

 最初の三年は人間の巫女の姿を借りて、境内を隅々まで掃除する仕事を与えられた。それから昨年までの二年間は、五つ年上の次女サワメとともにおみくじの割り振りを任された。百まである番号に「大吉」「吉」「中吉」「小吉」「凶」「大凶」の各六種類のおみくじを割り振って、元旦当日になると筒型の円柱の箱に入ったみくじ棒の出玉を操作しなければならない。朝から晩までやってくる参拝客を一人一人、相手にするのは幼いイサミにはとても窮屈でもあったが、それでも人間たちがおみくじの結果に一喜一憂する様を見ているのはなんだか可笑しくて、飽きることはなかった。

 そして十歳になった今年は本堂へと入り、祖母と母と共に参拝客たちの「願い」の集計を任されることになっていた。

 生盛神社は神戸市街地にある最も大きな神社である。だから毎年、多くの参拝客が足を運ぶ。人間たちは十二月三十一日の深夜零時までに生盛神社へと集まり、あっという間に境内の地が見えぬほど埋め尽くしていた。

「お母さん。今年もすごい人ですね」とイサミは母に声をかけた。

「そうね。毎年ありがたいことね」と母は手を合わせた。それを見てイサミは同じように手を合わせた。

 それから間も無くして、人間たちは声の歩幅を合わせ、カウントダウンを始めた。10・9・8・7・と互いを知らぬはずの者たちが身体を寄せ合い、本堂に向かって叫ぶ姿は圧巻だった。

「始まりますね」と母は言った。

 祖母も何かを言ったが、人間たちのカウントダウンにかき消されてイサミには聞き取れなかった。


 一月一日。元旦。


 日を跨ぐと大きな歓声が上がった。そして人間たちはイサミたちのいる本堂の賽銭箱に向かって小銭を投げ入れ、それから鐘を鳴らし始めた。

「イサミ。説明した通りに。まずはゆっくりでいいから」と母は優しい声で言った。

 最初の人間たちが鐘を鳴らし終えて、手を合わせ、願いを心でつぶやき始めた。すると、本堂で待つ三人の頭上には、色・形・質感の違った「願い」の書かれたお札が舞い降りてくる。

 最初はヒラヒラと数枚程度だったが、それもすぐに一変した。数分もすれば、押しかけた参拝客の願いの数は増すばかりで、吹雪のごとく大量のお札がとめどなく落ちてくる。そんな初めての光景にイサミは驚いて声も出なかった。

 それでも祖母と母は、慣れた手つきでお札が本堂の床に落ちる前に手にとって、それらを色別の木箱に分け入れた。

 二人を見習って、イサミは目下舞い落ちていく願いのお札を手に取ろうとするが、なかなか上手く掴めない。だからイサミの前だけは床に落ちたお札で大きな山が出来上がっていた。

「イサミ。落ち着きなさい。落ちた物からゆっくり分けてみなさい」と祖母の声が聞こえた。

「はい。わかりました」とイサミは深呼吸をしてから、仕分け作業に取り掛かった。それから数時間、三人は黙々とお札の振り分けを行なった。

 お札は願いの種類によって色分けされるようだ。自分自身への願い。他人へ向けられた願い。恨みなどの怨念等の悪しき願い。万人へと向けられた願い。様々な願いが、白、青、黄、緑、黒……などの色に分けられている。想いの強さによって、色が濃くなったり薄くなったりもしている。切羽詰まった願いだと射線の入ったお札に変わるらしい。

 また、日頃から直向きで誠実な心で、逆境や困難を乗り越えている人間の願いのお札は模様や斜線のない美しい配色になっている。

「イサミ。この人はきっと成功する人です。よぉく見ておきなさい」と祖母は一枚のお札を渡した。美しい水色一色に統一され、白銀比の形をしたお札だった。澄んだ水色はお札とは思えないほどの潤いを感じさせ、お札のその先の景色まで見通せるほど美しい色だった。また、お札の裏面には願い主の名前や顔が映し出される。これはデザイナーをしている二十七歳の女性のようだった。

 しかし、それからはどれも同じような願いばかりが続いて、単調な仕分け作業に嫌気がさしてきたころ、イサミの目を引いたお札があった。

 焼かれたように真っ黒で、所々が破れて歪な形をしたお札だった。



       『●●が死にますように』



 お札から願い主の情念が飛び出してきたように、イサミは恐怖に襲われた。

 一度手に持ったお札をその場に捨てるように落としてしまうほどだった。

「お母さん。これ。怖いです」とイサミは言った。

「そうね」と母は涙目になったイサミの身体を抱き寄せた。

「人間たち全ての願いを受け入れるのですか?悪い願いもですか?」

 母は首を横に振ってからこう言った。

「そんなことは決してありません。それに本来、人間は他人の不幸を喜ぶ生き物ではありません。誰かの幸せを願う優しい生き物なのです」

 だから、人間は誰もが幸せになれるのです。と母は話してくれた。

 また、黒いお札は後日、専用の木箱と共に焼かれてしまう。そうすれば願い主の怨念は灰となって天空へと消えてなくなるらしい。

「イサミ。気を抜かないように。一枚一枚、願い主の想いは違います。何一つとして同じお札はありません。心で受け止めるように仕分けなさい」と祖母に言われた。

 それからイサミは心を入れ替えて、仕分け作業に臨んだ。

 金塊のように美しく金色に光ったお札や、奇抜でカラフルな色合いをしたお札。規則性もなく不思議な模様をしたお札もあった。文字も読めないくらいボロボロになったお札。願い事が多すぎて、文字が重なり合って、真っ黒になったお札。

 どれも願い主によって色や形や模様までもが多様に異なり、内なる願いこそが人間の真理を映し出しているようにイサミは思えた。

 お札を手に取るたびにイサミは願い主を想像した。また、本気で願う人たちの全てを叶えてやりたいとさえ思った。しかし恐ろしいほど憎しみに染められたお札を見つける度に人間の汚い心にうんざりだってした。

 しばらくして、変わったお札を見つけた。画用紙のような材質でワッペンほど小さくて丸いお札に赤色の水玉模様が印象的だった。そして可愛らしい字でこんなことが書かれていた。



『明日になれば、幸せの価値観が少しだけ変わっていればいいな。それと、クリスマスのない違う星に逃げてしまいたい。』



「お母さん。これってどういう意味ですか」とイサミは聞いた。母はそのお札を手に取り、数秒ほど目をつぶった。願い主を追いかけているようだった。

「今年はこの子かもしれないね」と言った母の目には涙が浮かんでいた。

 それから翌朝まで仕分け作業は続いた。



 朝になると、長女のイナリに起こされた。幼いイサミは仕分け作業の途中で眠ってしまったようだった。

「おはよう。イサミ。ついておいで」

 寝ぼけながら、イナリの背を追いかけた。すると本堂では家族が揃ってイサミを待っていた。

「おはようございます」とイサミは頭を下げた。

 挨拶を済ますと、父がイサミに向けてこう言った。

「これからイサミには願いを叶えてもらう」

 そして一枚のお札をイサミに渡した。それは昨晩、イサミが見つけたワッペンのような可愛いお札だった。

「昨晩聞いた願い事の中で、叶えるのに相応わしい願いがこれだった」と父は続けた。お札を渡されたイサミは本堂の中心に座るように促された。家族たちはイサミを囲うように均等な間隔で円を作った。

「私、やり方がわかりません」とイサミは言った。

「大丈夫です。目をつぶって、お札に意識を集中させなさい。そして願い主を想うだけでいいのです」と祖母は言った。

「わかりました」と不安な気持ちで目をつぶった。すると、お札からは水流のように願い主の心が溢れ出しイサミの周囲を覆った。それから、水流が作った渦に吸い込まれていくようにイサミの身体は流されて行った。

 目を開けると、イサミは真っ暗な空間の中にいた。そしてイサミの心には一人の少年が映り込んだ。この真っ暗な空間にはイサミと少年は二人きりだった。少年は坊主頭で痩せた身体付きをしていた。きっと彼が願い主なのだろうとイサミは思った。少年にはイサミの姿が見えていないようで、膝を抱え込むように地べたに座り込み、寒さに凍えた様子で全身を震わせていた。

 イサミが歩を進めるたび、少年の情報がイサミの心の中に直接流れ込んできた。彼は苦しい生き方を強いられていた。これ以上の悲しみなどこの世には存在しないのではないかとイサミには思えるほどだった。瞬きをすれば涙が溢れそうなくらい辛かった。イサミは歯を食いしばって、少年の前にやってきた。

 近くで見た少年の頬は痩せこけていた。数日もの間、なにも口にしていないようだった。

「もう大丈夫。きっと大丈夫」とイサミは少年の肩を優しく抱いた。すると真っ暗な空間に光が差し込み、目を開けていられないほどの輝かしい空間へと変わっていった。



 イサミが目を覚ますと父や母、祖母や祖父、兄姉たちは嬉しそうにイサミを見ていた。状況の掴めないイサミは動転した様子で「あの少年は?」と聞いた。

すると、祖母がイサミの元へとやってきて「大丈夫。彼はきっと幸せになります」と言ってこう続けた。

「これが全ての願い主の本当の『願い』です。人間たちの願いの力を借りて、一人の少年を救ったのです。これこそが彼の幸せを願う優しい人間の世界なのです」

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