8節「決断 1」

 誠道の手を借りる。

 しかしその大半は自分たちの手で追い払う。

 誠道は訓練を付けてくれると言っていたが……。

 道重はつぶさに考える。

 彼自身の秤は、誠道の言葉でほとんど賛成に振れている。口車に乗せられたとは思わない。誠道の提案は篤心とくしんに基づいているという確信があったからだ。詐欺師ならばもっと調子のいいことを口にする。金貸しの中には詐欺師同然の者もいる。それだけに道重にはそういう胡散うさん臭い連中との違いが、言葉にはっきりできないものの、なんとはなしによく見分けられた。

 誠道は赤心せきしん披瀝ひれきしている。

 金貸しの心眼に賭けて、そう言いきれる自信があった。その保証を道重自身が信じきれるか、他の者にもその道重の保証を信じてもらえるか。ここにいないいちの者を説得するにはその点が重要である。

 市のみんなが同意してくれるかどうか。同意させられるかどうか。

 自衛のための蹶起けっき。そして用心棒が施す訓練。

 それらが持っている意味と将来にわたって発揮するであろう効果。

 これは誠道と自身への保証を担保にした一種の投資だ。よく説かなければ、誰の賛同も得られないだろうというのが容易に推測せられた。

「みんなはどう考えている?」

 まずはこの場で誠道の申し出を受けるという決定を下さなければ、ここにいない他の誰も付いてきてはくれないだろう。

「俺は賛成していいと思っている。誠道さんの言うことはもっともだと感じている。自警団を結成して、この先も絶対に屈しない、一丸となって立ち向かうという明確な姿勢を見せてやるんだ。自信がないのはよくわかる。単純に衝突した際の苦痛を考えると躊躇ちゅうちょもする。だけど、一度やってみて跳ねけないと、この先も自信は根付かないままだろう」

 道重は先に自分の意見を表明する。後出しでは得られる賛意も得られなくなる。

「俺は誠道さんを雇って、訓練も積ませてもらうという案に賛成する。金の面で不安を感じている者がいるなら、そこは俺が工面する。しかし金だけ出して済ませようというのなら、少しうなずきがたいがな」

 警察はあてにならない。このまま見て見ぬふりをしつづけるのではないかという不信の方が強まってきている。ならば自らが立ち向かわなければ安寧は得られない。

「年寄りの意見だが、あたしも賛成だよ。いい靴をはいているだけはある、あの兵隊崩れのいうのはもっともだぇ。いつまでも人に頼ってちゃあ、そこらのしょんべん垂れるガキと変わりねいじゃねえか」

 真っ先に同意を示したのは志ずゑだ。

「ええ? いいかい若造ども、あたしは覚悟を決めたよ。あの誠道ってやつは悪いやつじゃないってね、年寄りの勘が告げてんのさ。それに道重も覚悟を決めたんじゃねいか。こうなったらあたしと道重だけでも市の奴らにも言って聞かせてやるぇ」

 腕まくりをして意気強く言い放つ。こういう強引なところがたまに傷ではあるが、年長者の志ずゑ婆さんは市の者に顔がきく。彼女の同意があれば、市にいる人々への説得の大きな助けになるのは間違いない。

「正直に言って痛みを伴うのは嫌だが、その痛みに耐えることで今後の痛みを遠ざけられるのならば、俺も一肌脱ごうと思う」

 次に賛意を示したのは青物屋だ。彼の場合は妻が志ずゑ婆さんとたいへん仲がいいのも関係があるかもしれない。もし彼の妻が志ずゑ婆さんの威勢の良い賛同を聞き知ったら、きっと夫にも、「あなたも男なら賛成せよ」というお達しを出すのは容易に想像できる。

 そういう家の事情も鑑みた上での渋々の賛成といったところだろうが、それでもこの場で前もって賛意を示してくれるのは道重にとって非常にありがたい。

「青物屋のいう痛みってのは、そううまく一回きりで済むのかね?」

 疑念を挟むのは金物屋。荒物屋も同意見なのだろう、横でうなずく。

「それは正直言って自信がない」

 素直に打ち明けるしかなかった。

「だけどさっきも言った通り、一度やってみないと自信も根付かないだろうし、この先もずっと連中の暴虐を受け続けるだろう。そこらをよく秤にかけてみてほしい。ここで反撃しないと、市からもその周辺からも人は逃げ出してしまうだろう。そうなると連中がまた追いかけてくるかもしれない。自らいたちごっこに陥る。こんなバカな話はないじゃないか。納得できないのなら、もちろん拒否を示してもらっていっこう構わない」

 説得を受けた金物屋は腕を組んで、むぅ、とうなる。

 その合間に鋳掛屋は、

「俺は反対する」

 と、表明して道重にとって最初の否定を突き付けた。

「あの誠道という男が言っていた方法ってのは、市の人間と何人かの協力者、そういうのを足して兵隊崩れの人数を上回れば、多少の訓練不足でも乗り切れるだろうという単純なものだ。その理屈はわかるが、かといってそれだけで勝てる見込みが絶対にあるというわけじゃあない。反対だ。負ける可能性がある限り俺は反対する」

「勝てる可能性もあります」

「それを言ったら水掛け論じゃないか。勝てるかもしれない、という博打ばくちには乗れない」

 強硬な反対である。鋳掛屋の意見は道重を落胆させたが、かといって彼の意見にも一理あるのは明瞭だ。ないがしろにはできまい。

「俺も反対だな」

 続いて反対を唱えるのは刃物研ぎ。

「あの誠道という兵隊崩れは信用できない。これはなぜそうなのかということははっきりとは言えんですまなく思うが、俺の勘としかいいようがない」

「勘かぇ!」

 志ずゑが叫んだが他の者は何も言わずに聞いている。

「……会ったばかりの男にここいら一体の将来を託してみるというのには賛同できん」

 彼が言う通り、話に乗るか乗らないかは誠道という男をどうとらえるかにかかってくる。道重が彼を信じようというのは、彼の金貸しという営みを続けてきた勘の上に成り立っている。ということは、他の者も同じように感じるとは限らないわけで、現に反対を表明した刃物研ぎの勘は信じられないと告げたのである。

 道重が誠道を信じられるという勘を人にうまく説明できないのと同じだ。刃物研ぎの誠道を信じられないという勘もまた、刃物研ぎ自身にはうまく説明できないのだろう。勘に依って誠道を見こむ道重は、勘に依って誠道を見こまない刃物研ぎを説得する術を持たないのであった。

「反対が続くようだが、わしは賛成しよう」

 流れに逆らうのは畳屋だ。

「今後の安定した生活を取り戻すためならば一時いっときの痛みやむなし」

 簡潔に述べて口を閉ざす。

「むぅ、よく考えたが反対させてもらうしかなさそうだな」

 道重の説得を受けていたものの、荒物屋は反対に回る。

「正直に言って、慎重屋のぼくとしては家に持ち帰ってよくよく検討したい案件だ。だから当座の返答としては保留、といきたいところなんだけどね、誠道さんはその時間もないという。ならばこの場は慎重に慎重を期させてもらって、反対に回らざるをえないね。それは連中に従うという意味じゃなくて、この場では棄権するという意味に近い。ともかく判断する時間が欲しい」

 鼻の頭に浮いた汗を拭き取って、

「できるのならば保留なんだけどねぇ」

 もう一度『保留』の旨を付け加えてから、「すまないね」と頭を下げた。

 本心は様子見。賛成寄りの不賛成だというのを強調したいのだろう。この人らしいなと感じた道重は、「いえ」と応じるしかできない。彼が賛成に回るとすれば、おそらく最後から二番目から三番目くらいだろう。

「俺も反対だ。簡明に言うと刃物研ぎと同じ理由だ」

 荒物屋を継ぐようにして金物屋が口を開く。

「……この不安ってのはどうにも厄介なものでな、どうしてもその……、ぬぐえねぇんだよ。やっぱり失敗するんじゃないかと思ってしまう。誠道という男への不安というか、不信といってもいいかもしれない、それがどうしても残る以上はな……」

 そう言ってうつむいた。

 店舗を持つ者で賛成したのは青物屋だけとなった。店を構えていると、失敗した時の損失が大きいという判断もあるのだろう。下手をすると店そのものを乗っ取られるかもしれない。

 一方で手に職を持つ者や市に場を出す者は身一つ、道具も幾つかあればよそへ移ってでもやっていける。背負うものが違うのだから誰もが誰かを責めない。

 ここまで出てきた意見は賛成四、不賛成も四と同数だ。

「傘屋さんはどうですか?」

 できるだけ平生な口調を保つように努めて、道重はまだ意見を表明していない傘屋に意見を求める。どうすべきかの方針が彼の意見で決まる。変な圧力を与えるべきではないと判断しての口調だ。

「うーん、大半は道重と同じクチなんだろうが、そこんところの決心ってのがいまいちつきかねてんだ」

 傘屋は自分が最後だというのを感じさせない風につぶやいた。

「俺と同じクチ?」

「ああ、あんたも兵隊崩れを処すにあたって少しばかりの後ろめたさを感じてんだろ?」

 そうだと道重はうなずいた。

『彼らを送りだしたのは国民の俺たちだ。勝って来いよと勇ましく、なんて頼んだんだ』

『それは傲慢なんじゃないか。その後ろめたさがあったんだな』

 誠道とのやり取りの中で傘屋だけがうなずいていたのを思い出す。

 今度は送りだした自分たちが不都合を被るからという理由で、元兵隊を駆逐しようと考えている。彼らを迎えようともせずに。

 むろん道重とて、話し合いより先に金と暴力を持ちこむ彼らを迎えようという腹積もりはない。最初の衝突からして、両者は決定的に対立するしかなかった。

「その後のあんたの言い分――俺たちが立ち上がることで自信を芽生えさせないといけない、ってのもその通りといえばその通りなんだがなぁ」

「あんたももう年寄りに近い側じゃねぃか! その後ろめたさを何とかしちまいさ!」

 志ずゑが声を張り上げる。譴責けんせきしているのか叱咤しているのかわからない。

「自分たちで生みだしたなんて言う! ならあんたは父親みたいなもんさ! あたしゃ乳母だ! 大事な子っこがあんな風に育っちまった! じゃったら産ませた側育てた側が責任もって絞めちゃらんといけんだろうが。責任もって躾にゃならん! ええ、違うか! 違うかぇ!」

 附会ふかいともいえる志ずゑ婆さんの言い分を、一同は呆けて見ているしかできなかった。

「やらんならやらん、やるならやる、はっきり決めんかい!」

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