7節「兵隊崩れ 2」

「あんたも……?」

「そうだ。でないと、ゆがんだ人間なんて大勢見れやしない」

 うなずいた誠道は現地の言葉らしきものをいくつかつぶやいた。少なくとも東和の言葉ではない。もっとも、この場にいる者は誰も現地の言葉を知らないので、ごまかしている可能性もありえた。

「まあ、それでも俺一人雇ったところで一対多の構造は変わらないがな」

「なんだよそりゃ。勝てないんじゃ金を出す意味がない……」

「でも、誠道さんには立ち向かえる手がある、違いますか?」

 鋳掛屋が呆れる傍らで道重はあることを思い出していた。誠道はにやりと笑う。

「どうしてそう思った?」

「俺に話しかけた時、誠道さんは『用心棒ってのは、まぁまぁいい手だ』と言っていた。一人でも用心棒をしようだなんて言いだせるんだ、あなたは何か策を持っている。『まぁまぁいい手』と評価するということは、もっといい手もあるということの裏返しじゃないですか?」

「覚えがいいことで」

「金貸しをやってるんでね。誰がいくら貸したか、幾ら返してもらったか、証文も大事だが、それがなくてもぱっと思い出せるぐらいの記憶力も必要なんですよ」

 少しだけ、してやったりという気になって道重はほほ笑んだ。

「もっといい手というのはなんですか?」

 誠道は真面目な顔になって道重にきっちりと向き合った。

「そうだな、その兵隊崩れはいちをどういう風に荒らした?」

「どういう風に、とは?」

「金品だけきっちり徴収して回ったのか、派手に市を荒らしたのか」

「俺が駆けつけた時には品物とか一部の露天台なんかは荒らされていましたけれど、全体で見ればそれほどでもなかったように思います。残った人らが片付けをしていましたので、もう片付けた後だったのかも知れませんが」

「最初から荒れていたかどうかは正確にはわからない?」

「うーん、俺はその時はいなかったから。志ずゑさんは見ていたんですか?」

「ああ」と婆さんがうなずく。

「連中はあたしが話しかけてた米売りの旦那を取り囲んでね、そこでごたごたやってやんだ。周りに聞こえるように大声でね。こりゃただ事じゃないと、あたしはすぐに道重さんを呼びに行ったよ。でも、そうだねえ、その後に現場を見てたのに聞いた限りじゃあ、一通りは荒らされたみたいだけど」

「なるほど、その米売りの人は不幸な目にあったようで……、だけど連中はそれも利用しようと思ってるんだろうな」

「どういうことだ?」

「先ほどそっちの方が――」と荒物屋を指して、

「指摘した効果が狙いですよ。『俺たちに逆らうと死ぬぞ。だから逆らうな』とね。『逃げても追いかけて殺す』ってのもか。言い方は悪いが米売りの人はいい見せしめの的にされてしまったんだ」

「見せしめって、実際に人が死んでいるんですよ」

「だから効果がある。ところで死体の傷口はどうでしたか?」

 唐突なことを聞く。

「え、それは……」

「腹の少し上の部分から一突きだったよ。きれいに刺さってた」

 遺体の身を清めた志ずゑが答える。

「実際に現場を見た人の話を聞かないとわからないが、おそらく揉みあった時の拍子か何かですっぱりときれいに刺さったんだろう」

 老婆の言葉だけで誠道はある程度の判断を下す。

「傷口に何か意味が?」

「連中は無駄に人を殺す気はない。金をとる相手を殺してしまっては意味がないからな。だから市を荒らして、暴力をふるうのにとどめるんだ。脅すつもりだとしても殴る蹴るか、刃物で軽く切ってみせるくらいだろう。他の市でも人が死んだなんて話はほとんど聞かない。ところが、この兵隊崩れは米売りの店主を刺し殺してしまった。それはたぶん連中にとっても予想外だったと思うが、一味のかしらはこう考えた。『これでハクがついた。こいつらは俺に逆らうと殺されると恐れるだろう』と。それに、その米売りが他の市から逃げてきたというのも、たぶん連中にとっては良いほうに作用した。おそらく、『これでこの市から逃げ出すような奴は少なくなるだろう』なんてね。要するに恐怖で縛れると考えたわけだ」

 淡々と説明する誠道の言葉にみんな聞き入る中、道重が質問を挟む。

「それが誠道さんのいう策とどう結びつくんですか」

「ええ、じきに。見ていないそちら(荒物屋)のご主人がそうなのだから、実際に連中の思惑は市で見ていた他の人にはもっと大きく影響している。で、そうなると連中に対抗しようという話は出にくくなって、消極的ではあるが大人しく恭順しようという話に向かって行く。それが狙いだろう」

「そりゃ、あんたは他人事みたいに言えるがね……、実際に脅威にさらされているのは俺らなんだ。相手がどう考えていようが、人を殺したのは事実で、そんなのを見せられて刃向おうなんていうのは自殺行為だよ」

 刃物研ぎが不服そうに言うのを受けて、

「そう、次から連中は『もう市の人々は逆らって来ない』と舐めてかかってくる。このままじゃ今後もいいようにされる〝巡回〟は続くし、それどころか相手はもっと要求を上げてくる可能性だってある。骨の髄までしゃぶりつくされるよ」

「だからそれをどうにか追い払おうという案が用心棒じゃないか」

 いつまでたっても核心に入らない。少し苛立った道重が声を荒げる。

「もちろんだ。俺にも生活があるから用心棒は受けたい。でも、生活があるのはあんたらも同じだ。数回ならともかく、そういつまでも俺を雇い続けられるほどこのあたりの人は裕福じゃないだろう」

 誠道は一同を見回して、

「もし俺が今後も用心棒を続けたいと延々居座ったとしたら、それもまた骨の髄までしゃぶりつくそうとするかもしれない」

「あんたやっぱり俺らにたかろうと――」

「――するならこんなこと言わんよ」

 涼しい顔の誠道。

「あんた、つまりあれかい……」

 志ずゑは何かに気付いたようで、

「あたしたちにも力を貸せと、そう言いたいのかぇ?」

「そうだ」

 誠道が明快にうなずくと、一同はざわめいた。

 はっきり口にする者はいなかったが、ざわめきの質を見れば、「そんなことできるか」という難色を示しているのは明らかだ。

「市全体で『お前たちには屈しない』という行動を見せつけてやらないと、俺が用心棒をしたところで連中は一時的に手を引くだけだ。だからみんなにも協力してほしい」

「そんなの用心棒じゃない!」

「そうかもしれないな。俺は自警団を作るのに手を貸そうと提案しているんだ。もちろん練度を上げるための訓練もみんなにしてもらう。この場合のみんなってのは、市やその周囲で店舗を構成する人たち全員のことだが」

「訓練っつったって……、俺たちは素人だぞ」

 徴兵制度はあるが、実際に兵役にとられる男子は限られていた。戦争がはじまってからは志願者が増えたため、帝都では一般から徴収されるほど状況が逼迫していなかった。

「だから訓練をするんだ。俺は兵隊崩れといっても、現地じゃ分隊を率いていたし、新兵に多少の訓練を施した経験もある。それに相手が銃を持っていないのも好都合だ」

 銃を持っていれば、小刀なんかちらつかせずそっちを見せるだろう。

「ちょっとした武器と人数を整えられれば、相手が多少は強くても案外と切り抜けられるもんだ。もちろん俺だけが立ち向かうよりは勝機も強まる。俺一人で勝ち目が薄いってのはそちらの旦那が見こんだ通りだ」

 と、鋳掛屋を指す。

「戦場では敵がときの声を上げてどこからともなく襲ってくることもある。その声だけで気勢を削がれてまいっちまう兵士も随分といてな、数の力ってのは重要だ。どれだけ精鋭をそろえていても勢いで押し勝てることだってある」

「あんた、まさか俺らを使い捨てにしよってんじゃないだろうね」

「そこは俺を信じてくれというよりほかはない。ただ、真剣に脅威に立ち向かおうとするのならば、あなたたちにも協力してほしい」

 今までずっと黙っていた金物屋の問いかけに、誠道はふっと笑って答えた。

「何が嬉しいんだ?」

「あなたで全員だ、と思ってね。それでここにいる皆さんやっと俺に口を聞いてくれたことになる。こうやって時間をかけて話せばなんとか解きほぐせるもんだ」

 気を悪くした金物屋が押し黙る。代わりに荒物屋が、

「あなたがくどくど話していたのはそのためなんですか?」

「そうだ。もう少し俺の話を聞いて、みんなで俺という人間を判断してほしい」

 そう言って誠道は頭を下げた。

「俺一人でも一度か二度は追い払うために働く。だけど市のみんなにも協力してもらえれば、自信がつくだろうし、それが今後の保障の礎ともなるだろう。そうやって、警察の力が回復するまでの間は市の仲間で自警団を作る。ひいてはそれが帝都の治安を守ることにもつながる。俺はそう思っている」

 確固たる考えを聞いた一同に、やおら『できるかもしれない』という希望が芽生える。

 しかしすぐに賛同する者はいなかった。安全を片方に載せた秤はまだまだ決定的な方へは傾かない。また気まずい沈黙が訪れるかと思われた矢先、誠道はそれを拒むかのように、

「決断はあまり先延ばしにできない。連中は明後日あたりの週末にまたくるだろう。急ごしらえであろうと、その時までにどうにかできないと、市の活気は急速に失われる」

「……連中が引き上げてくるのが帝都だから治安が乱れるんだ! なんで俺たちがこんな目に遭わなきゃいけない」

 誰かが悲痛な声を上げる。

 復員する兵隊は一括して帝都へと直通便で運ばれる。欧州の列強たる〈三盟主〉の各政府と帝國政府の間で取り交わされた休戦規定で定められているのだという。

「本当に誠道さん一人ではどうにもならないのか?」

 念を押すように問うのは道重。

「さっきも言ったが、俺でも一度か二度はできる。でもそれが限界だろう。それに、あなた達にたかろうとしている連中をそれで完全に追い払えたとしても、それから先にまた別の集団がやって来ないとは限らない。それは帝都全体を見ればわかる」

 他の市でも別の兵隊崩れや徒党を組んだ犯罪者によって収奪が起きている。配給と司法の目が行き届きている地区を除けば、どこもそうであるのは道重たちも知るところだ。〈城壁〉に囲まれた無法状態の檻は悪徒を育む。

「それに――」

「それに?」

 珍しく言い詰まる誠道を道重が促す。

「そうだな、金だけを出して用心棒を雇う。声援だけを浴びせて兵隊を戦場に送りだす。それのどこに違いがあるっていうんだ?」

 自分たちは関わらなくていいのか。

「戦争そのものは国がはじめたものだが、それを後押ししたのは俺も含めた帝國の人間たちだ。すんだことに後から恨みつらみを募らせるようなことはしない。兵隊崩れの悪行の原因をあんたたちだという気もない。だけどこれからはじめる戦いについてはどうだ? 市の危難に立ち向かう戦いは、いわばあんたたちにとっての〝戦争〟だ。市を守るための戦争にはいったい誰が参加するんだ。用心棒だけを送りだすのか?」

 自分たちの手を汚さずに守るのかい。

 暗にそう言ってのけ、そして今度こそ沈黙が訪れた。

 誠道は、「熟考の末の素早い返答を待つ」と、なんだか撞着どうちゃくしたことを言い残して別席へ移った。また酒を頼んでいる。

 飯屋はその注文に「へぇ」と呆けた声を発し、遅れて注文に応じた。

 彼も聞き耳を立てていたのだろう。その飯屋に誠道は何かを話しかける。店主が快く応じているのを見るに恐らく清酒がどうたらというものだろう。飯屋は気楽なものである。

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