「思いっきり泣いていいんだ」と彼は言った

 奈良橋浩太ならはしこうたは「一人で行動してはいけない」いう申し合わせに違反するのを承知の上で、征矢野明日香そやのあすかと別れて白板京子しらいたきょうこたちの姿を探していた。

 明日香は明日香で「真摯しんしな恋人たちの恋路を邪魔するつもりはないわ」と言って、こころよく浩太を送り出してくれた。

「京子……」

 浩太は愛する人の名前を呟きながらその姿を探した。

 明日香が浩太に告げた内容は単純明快だった。

「黙って思いっきり抱きしめてあげればいいんですよ」

 明日香が笑顔でそう言うのに対して、浩太は拍子抜けしたような表情を浮かべた。

「えっ、それだけですか?」

「ええ、それだけですよ。……まぁ、言うほど簡単なことでもないと思いますけどね」

「いや、なんか、もうちょっと難しいことを言われるかと思ったから……」

 頭を掻きながらそう言うと、明日香はふふ……、と笑った。

「噂通りですね……奈良橋さんは難しく考えすぎなんですよ。きっと、どうやったら京子が幸せになれるか、いつだって真剣に考えてくれているんでしょうね。でも、女の子が男の子に求めていることって、実はそんなに難しいことでも現実的なことでもない、もっと単純で分かりやすいものなんですよ」

「単純で、分かりやすいこと……」

 浩太は明日香の言葉をじっくりと反芻はんすうした。

「そう、「愛する人といつまでも一緒にいたい」っていう、ね」



 京子は一人、緑地帯の中央で浩太が来るのを待っていた。

 あの後、高宮たかみやゆかりが落ち着くのを待ってから、恐らくは明日香と一緒に行動しているであろう浩太のことを探しに行こうと思っていたのだが、ゆかりが「お姫様は王子様が迎えに来るのを待っているべきです」などと言い出したのだ。

「あ、あのねぇ……そんなおとぎ話みたいなやり方じゃ……」

 京子は呆れ気味にそう言ったのだが、ゆかりは大真面目だった。

「……でも、もしかしたら奈良橋先輩たちも京子先輩のことを探して動いているかもしれませんよね? そうしたら、お互いがお互いを探して行き違いを繰り返すかも知れないじゃないですか。……こういう時はどちらかが動かないのが一番いい方法なんです」

 そう言って京子を納得させると、当のゆかりは一足先に全員が落ち合う場所に指定されていた遊園地中央のカフェレストランに行くと言い、もし運良く浩太たちに会えたら京子が緑地帯で待っていると伝えてくれるという。

「……本当に大丈夫かしら?」

 一人芝生の上で佇みながら京子がつぶやいたその時、見慣れた姿が視界に入ってきた。



 浩太が京子の姿を見つけたのは、遊園地の外れにある緑地帯の中だった。

 京子はゆかりと一緒に行動していたはずだったが、どういう訳か京子は一人きりだ。

「京子!」

 浩太は声を掛けながら京子に駆け寄った。

「こ、浩太……!どうしてここが……」

 京子は浩太の姿を見て目を丸くしていた。

「それはこっちの台詞だよ。お前、確か高宮さんと一緒に居たはずじゃ……?」

「浩太だって……明日香と一緒に居たんじゃなかったの?」

 二人は互いに質問をぶつけあい、そのまま顔を見合わせた。

「ま、まぁ、そのことは後回しにしないか?」

「そ、そうね……」

 妙な感じで息を合わせながらうなずきあう二人。次に口を開いたときも二人同時だった。

「あのさ、京子……」

「あのね、浩太……」

 言いかけてから、二人ともそこで続きを止めてしまう。

「き、京子から先に言ってくれよ……」

「や、やだ、浩太から先に言ってよ……」

 ついお互いに先を譲り合ってしまう。

「ほ、ほら、レディファーストだよ、レディファースト」

「告白するときにレディファーストも何もありゃしないわよ。浩太も男なんだから……」

 と、京子は言いかけてから先のゆかりとのやり取りを思い出して言葉を止めた。

「京子……?」

「ご、ごめんね、浩太。やっぱり私から先に言うわね……」

 京子は慌ててそう言ったが、そう言われてしまうと妙なもので浩太も先に言わなければ、という気持ちになってしまう。

「い、いや、京子の言う通り、俺も男だし、やっぱり先に言わせてくれよ……」

「先に言うのか、言わないのか、どっちなのよ……まったく……」

 京子はすねてみせたが、内心ではやっぱり自分が先に言うべきではと思っていて、言われた浩太の方も同じことを考えていた。

「よ、よし、じゃあ二人同時に言おうぜ。それならお互い文句はないだろ?」

「……子供みたいなやり方になっちゃったわね。今は仕方ないと思うけど」

「よし、決まりだ。……三、二、一でタイミング合わせるぞ」

「わかったわ」

 そこで二人とも言葉を切って息を整える。


「三」


「二」


「一」


 ……


「「……本当に、ごめんなさい!!」」


 二人揃って全く同じ言葉を同じタイミングで言い、お互いにその言葉を聞いて驚いた。

「え? き、京子?」

「浩太?」

「なんで京子が謝る必要があるんだよ?」

「浩太だって、なんでいきなり謝るわけ?」

「いや、その……最近ちょっと付き合い悪かったよなって思ってさ」

「そんなことないわよ……それを言ったら私だって人のこと言えないわ」

 そこで言葉はいったん途切れ、二人は再び顔を見合わせた。


 二人とも黙って見つめ合い……先に口を開いたのは結局浩太だった。


「……俺さ、何か勘違いしてたかもしれない。夏合宿のあの日以来、将来京子を幸せにしようって思って、身の回りを見直して、直せるところは直そうって思って、色々頑張っていたんけどさ……」

「うん」

「でも、幸せにしようとしていた京子の姿を、いつの間にか忘れていたような気がするんだ。その……手段と目的が逆転しているっていうか、身の回りの悪いところを直すために京子とのことを利用していたというか、犠牲にしようとしていたというか……」

「……うん、わかるよ。浩太、なんだかんだで人一倍真面目だもんね」

 浩太の素直な懺悔に、京子は優しく微笑みながらうなずいた。



「……京子は、どうなんだ?」

「そうね……」

 一通り語り終えた浩太の問いかけに、京子は一呼吸間合いを取ってから話し始めた。

「私と浩太って、小さい頃からずっと一緒だったじゃない? 小学校の時も中学校の時もなんだかんだでずっと一緒。そして、それが高校に入っても続いて、いつの間にかそれが当たり前みたいに感じちゃってた」

「そうだな。はじめはこんなに長く付き合うことになるなんて思ってもいなかったけど」

「でも、そんな当たり前がちょっとずつ歪んでいっていたのに、私、全然気が付いていなかったのよ」

「……歪んでいっていた……?」

 浩太が怪訝な表情を浮かべると、京子は困ったような微笑みを浮かべながら言葉を続けた。

「何て言ったらいいのかな……私がまず何かをして、浩太が後からついてくる……小さい頃はよくそうやって動いていたじゃない。例えばほら、小学二年の夏休みとかさ」

「ああ、肝試しをするって言って親に無断で寺に忍び込んで大目玉食らったときか。ありゃあ大変だったけど……」

「あの時も私がするって言って、浩太を引っ張ったでしょ? ……私、いつの間にか私の言うことに浩太が付いてくるのが当たり前なんだ、って心のどこかで思い込んじゃってたのよ」

「京子……」

 浩太は明日香の言っていたことが見事に的中していたことに内心ひどく驚きながらも、必死にそれを抑え込んで京子の話の続きを待った。



「……小学校でも中学校でも、そして高校でも一緒。いつもそばに浩太が居てくれる。でも、そんなだから浩太もどんどん変わっていってるのに、私はなかなか気付けなかった。ずっと昔のままなんだって、勘違いしちゃってた」

「俺としては、そんなに昔と変わっているつもりはないけどなぁ……」

「そんなことないわ。昔の浩太ってちょっと臆病で、ドジを踏んじゃう頼りないところがあるなって思ってたけど、今は誰から見ても頼りがいのある立派な男になったじゃない」

 京子がそう言うと浩太は複雑な表情になった。

「そんなに頼りなく感じられてたのか、俺……」

「昔の話って言ったでしょ? さっきも言ったけど、今はもうそんなことは全然無いわ」

 そこまで言ってから、ふと京子は儚げな眼差しになった。

「私、思ったんだ。……浩太がもう私の手助けなんか必要ないくらいに立派になったんだったら、私があれこれ浩太に声を掛ける必要なんて、無いのかも知れないって。私がいなくたって浩太はやっていけるじゃないか、って……」

 京子がすべてを言い終える前に、浩太は動いていた。




 力強く、両腕で京子をしっかりと抱きしめて。

「浩太……」

「それは違うよ、京子。俺には京子が必要なんだ。昔も、今も、これからも、京子にそばにいてほしい、ずっと」

「でも、私、浩太にきっと迷惑かけちゃうと思う。今までだってそうだったのに……」

「俺はそう思ってない。京子がいるから、引っ込み思案だった子供の俺も、いろんなことを体験できた。そりゃ時々は迷惑なこともあったかも知れないけど、それもこれも全部ひっくるめて俺には必要だったんだ」

 それを聞いたその時、京子の心の中にあった何かが、静かに壊れた。

「こう……た……、こうた……、浩太ぁ!」

 京子も浩太の体に抱きつく。そして、そのまま浩太の胸の中で、泣いた。

「京子はずっと、俺のことを思って頑張っていたんだもんな。だから、今日は思いっきり泣いていいんだ」

「ごめ、ごめんなさい……わたし、わたしが、わがままだったから……」

「わがままなんかじゃないさ。京子は強くて優しい、素敵な女の子だよ」

「わぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!!」

 京子が泣き止むその時まで、浩太は静かに、優しく、力強く京子の体を抱きしめていた。

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