遊園地で思いが交錯する場合

 奈良橋浩太ならはしこうたは幼馴染で恋人の白板京子しらいたきょうこのことを気にかけていた。

 今朝の京子は、朝からさっぱり元気がなかった。浩太から声をかけてもどこかうわの空といった感じで、まるで付き合う前まで戻ってしまったかのような対応だった。

 もっとも、これは浩太の側にも問題がないとも言えなかった。このところ、自分の生活の見直しで手一杯になっていて、なかなか京子と一緒の時間が作れなかったのだ。

 一応浩太なりにそれを補う意味で、SNSや電話でのやり取りはまめにしていたし、今回クラスメイトの鈴村恵美すずむらえみが持ってきた、みんなで遊園地に行こうという話にも二つ返事で了解した。純粋なデートではないが、京子と一緒にいてあげられなかった穴埋めに少しでもなれば、という気持ちはあった。

 それだけに、肝心要の京子に元気がないというのは気にかかった。

 あの夏合宿の夜以来、浩太は心に誓っていた。

 何があっても、必ず京子と一緒になるのだ、と。



 白板京子は、少し後悔していた。

 この場合の後悔は、二つの意味がある。一つは今日遊園地に来てしまったこと、もう一つは幼馴染で恋人の奈良橋浩太につれない対応をしてしまったことである。

 親友の征矢野明日香そやのあすかに誘われたこともあり、みんなで遊園地に行くという話に乗っかってみたものの、いざ日が近付くにつれて京子はどんどん気が重くなっていった。

 浩太と直接顔を合わせるのを、気持ちのどこかで避けたがっている。

 京子はそう思い至って、そんなことを考えている自分を嫌悪けんおした。

 そもそもの原因が浩太側にあるにせよ、だからと言って自分から避けてしまうというのも違う気がした。

 むしろ、そういう時こそ自分が温かい視点から浩太を見守ってあげるべきではないのだろうか? そうは思っても、京子はなかなか自分の気持ちを動かすことが出来なかった。

 浩太は遊園地に行くのが決まってからは結構こまめに連絡を入れてくれるようになったのだが、京子は必要最小限のやり取りだけで済ませて、なるべくそのことを意識しないように努めていた。

 そのことを意識してしまうことに、京子は耐えられなくなっていたからだ。

 そして迎えた当日、現地で京子は久々に浩太と直接顔を合わせたものの、ぎこちない笑顔を浮かべるのがやっとだった。

「京子、こうやって会うのも久々だよな」

「う、うん。……そうだね」

「最近ちょっと一緒にいられなかったし、色々ごめんな」

「ううん……大丈夫だよ」

 実際は全然大丈夫ではないのだが、つい無駄に強がってしまう。

「今日はみんなと一緒だけど、楽しめるといいよな」

「そ、そうだね……」

 もっと別に言うべきことがあるのを理解しながらも、それを口に出すことが出来なかった。

「……ちょっとごめん、トイレに行ってくるね」

 状況に耐えられなくなった京子は、自分から浩太との話を切り上げて、トイレに逃げ込んでしまう。

 京子は自分で自分がどうしたいのか、さっぱり分からなくなっていた。



 ふたりのやり取りをそれぞれに見守っていた周囲の四人は、夏合宿の頃からは考えられないくらい遠くなった二人のやり取りに内心で頭を抱えていた。

「うーん、見事に破局寸前のカップルのやりとりだったわね……」

 親友とその恋人とのやり取りを一番近くで見守っていた明日香は二人が離れた後、深いため息をついた。

「状況は深刻ねぇ……白板くん、家でもお姉さんはあんな感じ?」

 恵美は傍らにいた、自身の後輩で京子の弟でもある白板正次しらいたまさつぐに尋ねた。

「家じゃ結構普通に振舞っている感じですけど、傍から見ていると無理しているのがバレバレで、うちの母さんも心配してましたよ」

「……気持ちがここにいない感じですよね、京子先輩。……本当に大丈夫でしょうか?」

 正次の言葉に続いて、明日香と京子の後輩にあたる高宮たかみやゆかりが心配そうに言った。

「それを何とかするために、今日の集まりがあるのよ」

 それを受けて、明日香は決然として言い放った。

「……それで俺たちは何をすればいいんですか、鈴村先輩? とにかく元気に当日顔を出してくれとしか言われてないんですけど」

「……私もです」

 恵美は今日の集まりを企画するのにあたり、明日香とは数度打ち合わせをしたものの、正次やゆかりには「当日必ず参加してほしい」としか伝えていない。

「特に難しいことはないわ。正次くんもゆかりさんも普段通りにしていてくれれば大丈夫」

「えっ、それだけですか?」

「うん、それだけよ。変に二人のことを意識されちゃうと、今度は向こうが気を使っちゃうし、それじゃ今日わざわざここまで来た意味がないわ」

「……でも、それじゃ何の助けにもなれないんじゃないですか?」

 ゆかりが疑問を口にすると、恵美の代わりに明日香が答えた。

「そうでもないわ。私たちが意図をもって動かなきゃいけない分、その代わりに何があっても普段通りって人が必要なのよ」

「……はぁ……よく分からないですけれど、やってみます……」

 ゆかりは戸惑いながらも頷いた。

「じゃあ、俺も普段通りやればいいんですね、鈴村先輩?」

「そ、お願いね、白板くん。結構大変な役割よ」

 恵美はそう言ってニッコリと微笑んだ。



 こうしてそれぞれの思いを乗せて、事は始まった。



 最初はとりあえず全員で同じものに乗ろう、ということになり、大型のフライングカーペットに向かった。

「鈴村さん、高所恐怖症って言っていなかったっけか?」

 何となく気になった浩太が恵美にたずねた。

「うん、まぁね。あまり得意とは言えないわ」

 実際のところはあまり得意ではないどころか一階から二階の高さに上るだけでもアウトという極度の高所恐怖症であるのだが、それをおくびにも出さずに答えた。

「それなのにいきなりフライングカーペットとか大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。どうせ目を瞑ってしまうし、それに今日は白板くんも一緒だから平気よ」

「え?」

 きょとんとした表情を浮かべた浩太に、恵美はニヤニヤと笑いながら言葉を続けた。

「白板くんはあれで結構しっかりしているわよ。奈良橋くんにはまだ及ばないけどね」

「いつの間に、お前たちちゃんと付き合い始めたんだよ?」

「そんなことはどうでもいいじゃない。それより、奈良橋くんはちゃんと自分の彼女を大切にしてあげたほうがいいわよ」

 反論を封じるようにぴしゃりと言い切ると、恵美は浩太に構わずさっさと歩き去ってしまった。恵美は運動ができないように見えて歩くのがとても速い。

「……言ってくれるぜ……でも、確かにな……」

 いつかも恵美に言われた「彼女を大切にしてあげて」という言葉を、浩太は今一度噛み締めていた。



 京子はフライングカーペットに乗っている間中、ずっと明日香とゆかりの間でじっとしたまま声すら出さずにいた。

 明日香からは「彼氏さんの隣にいたらどうなのよ?」と言われたが、どうしてもそういう気分にはなれず、困惑こんわくするゆかりとあきれた表情の明日香の間の席にさっさと座ってしまい、終わるまで一切動こうとしなかった。

 カーペットが動いている最中、派手に悲鳴を上げる恵美を正次が必死になだめていたり、その脇で浩太が所在無げにぼんやりとした表情を浮かべていたりするのが見えていたが、京子はそれを呆然ぼうぜんと眺めているだけだった。

 カーペットが終わった後、恵美が正次と浩太に付き添われて震えながら降りていくのを見澄まして、京子は自分も降りようとしたが、隣にいた明日香が座りっぱなしで動こうとしないのに気が付いた。

「どうしたの、明日香? ……そろそろ降りないと」

「そうね」

 そう言いながらも、明日香は動こうとしない。

「……明日香?」

「……京子、いい加減にしないと私も我慢の限界よ」

 そう言う明日香の表情は、京子がこれまでに見たことが無いくらい怖かった。

「……明日香、私、怖いんだけど……」

「そう思うんだったら、今の状況をどうにかしたらどうなのよ」

 明日香は静かに怒気どきをはらんだ声を出して見せた。

「あんなに彼氏さんを寂しそうにさせておいて、よく付き合ってるだなんて言えたものよね。こんなに側で一緒にいるっていうのに」

 明日香は自分で言っていて心が痛んだが、あえてその心の痛みを無視して刺々とげとげしい声を出して言葉を紡いだ。

「……そんな、そんなこと……」

「そんなことないって言いたいわけ? じゃあどうにかできるわよね? あんた、自分で言ったじゃない。自分で解決しなきゃいけないって」

「それは……」

 今までになく強く迫ってくる明日香に、あっという間に京子の心は追い詰められてしまう。

「……あ、明日香先輩、流石に言いすぎじゃないですか? ……それにそろそろここから降りないと」

 二人のやりとりを見かねたゆかりがたまらずに口を挟んだ。

「……しょうがないわね。ゆかりに免じてここは引いてあげる。けど、いつまでもこの状況でいるのは許さないからね」

(……いいタイミングよ。ありがとう、ゆかり)

 内心でゆかりに感謝しながら、表面上は仕方がないといった風体で明日香は席を立ってさっさとカーペットから降りてしまった。

「……ごめん、迷惑かけちゃったね、ゆかり……」

 京子はゆかりの気遣いに感謝しながら一緒に席を立った。



 フライングカーペットから降りた一同は、そこからしばらく自由行動を取ることになった。

「一応、行動に制限はつけないつもりだけど、なるべく一人で動くのは勘弁してね」

 明日香と共に今回の幹事役を務める恵美が全員に注意した。

「じゃあ、二人か三人くらいで、ってことですか? 先輩」

「そんなところね。勿論四人と二人でも構わないけど、五人と一人はやめてね」

 正次からの問いに恵美はうなずいた。

「今日のあの二人は、息が合っているなぁ」

 浩太が感心したようにつぶやいた。

「……そうですね。お付き合いしているらしいですけど、今日は生き生きしていますね」

「あら、でも、奈良橋さんだって負けてなかったわよね?」

 ゆかりの言葉に明日香が合わせると、浩太は複雑な表情になった。

「あ……!そ、そうだな、うん……」

 慌ててうなずいてみせたが、声には張りがなく、そのまま二人から距離を取ってしまう。

 そのやり取りを黙って見つめていた京子も、浩太に倣って集団から距離を取る。

「……明日香先輩、今日はちょっと言葉が厳しくないですか?」

 京子との一件もあってか、ゆかりは普段の彼女よりも少し強い口調で明日香をとがめた。

「……ごめんね、ゆかり。でもちょっとだけ見逃して。自分でもらしくないって分かってるつもりだけど、今日だけは強く出ないと京子たちのためにならないのよ」

 明日香はそれまでの態度とは一転して疲れたような表情を浮かべて言った。

「……どういう意味ですか? このままじゃ明日香先輩と京子先輩の関係も……」

「高宮さん、それ以上は言わないであげて。征矢野さんも必死なのよ」

 その言葉にゆかりが振り向くと、そこには真剣な表情をした恵美が立っていた。

「……鈴村先輩、本当にうまくいっているんですか、これで?」

 ゆかりがやや非難を込めた声で言うと、恵美は重々しくうなずき、言葉を発した。

「それは正直分からないわ。でも、二人に今の状況がおかしいと思わせるには、ちょっと荒療治あらりょうじもしなきゃいけないのよ」

「……でも、そのために明日香先輩にあんなことを言わせなきゃいけないなんて……」

「ゆかり、この役割は私が自分でやるって決めたことだから、大丈夫よ」

 ゆかりの言葉をさえぎって、明日香が強い調子で言った。

「……そんな、明日香先輩……」

「まぁまぁ、高宮さん。ここは先輩たちに任せてみようぜ」

 なおも何か言おうとしたゆかりを、今度は正次が止めた。

「……どうしてですか、白板さん?」

「高宮さんは分からねぇだろうけど、俺たち家族だって姉ちゃんのことずっと心配してたんだぜ。勿論、浩太兄ちゃんのことも。何せ幼稚園の頃からの付き合いなんだからな」

「……」

「でも、俺たちにももうどうにもならないんだ。俺たちが何もしてないとでも思うかい?俺も親も何とか姉ちゃんが元気になれるように頑張ってきたんだぜ。でも、俺たちじゃ駄目だったんだよ」

 正次はしきりに首を振りながら言った。その心中を察して、ゆかりは黙って続きを促した。

「これをどうにかするには浩太兄ちゃんが動くしかないのは確実なんだ。でも、今の姉ちゃんは浩太兄ちゃんに近づくのをどこかで避けたがってる。さっきだってあんなに近くで一緒だったのに、他人を挟まないと居られないなんておかしいだろ?あんな調子じゃ姉ちゃんも浩太兄ちゃんも壊れちまうよ」

「……それは、わかります……」

「今日は何にせよ、そんな状態の二人がどうにか同じ場所に集まることが出来たんだ。だから、今は先輩たちの作戦に黙って乗っかってみようと俺は思う。もちろん、上手くいかないことだってあるかも知れないけど、それはその時になってからの問題だと思う。だから……」

「……わかりました」

 正次の言葉を途中で押しとどめて、ゆかりは吹っ切れたように言った。

「……私自身は必ずしもこのやり方がいいとは思っていませんけれど、京子先輩や奈良橋先輩の関係を修復したいと思う気持ちは一緒ですから、今は見て見ぬふりをしたいと思います」

「……ありがとうね、ゆかり。無茶苦茶を通すみたいで悪いけど……」

「……いいんです。それより、今日のこの作戦、絶対成功させましょう……!」

「ああ、そうだな!」

「そうね、みんな、ここからが正念場よ」



 京子は今日のこの遊園地行きが何らかの思惑があって設定されたものであることを薄々ではあるが勘付いていた。

 しかし、京子にはそんなことはどうでも良かった。

 京子にとって目下の課題は、いかにして今日一日浩太になるべく近付かずにやり過ごすか、であった。

 浩太のことを嫌いになったわけでは決してない。しかし、今は浩太に近付きたくない。離れていたい。

 あんなに一緒にいたいと思っていた浩太に対して、その態度はおかしいと自分でも思う。しかし、今の京子は「距離」を求めていた。

 自分にとって浩太がどういう存在なのか?

 どうして自分は浩太と一緒にいたいのか?

 今の自分は浩太と釣り合う存在なのか?

 本当に浩太と付き合い続けていいのだろうか?

 京子は考える時間が欲しかった。考えてどうなるかなんて分からない。それでも京子は考えることに固執していた。

 目の前に当の恋人がいるというのに……。

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