恋は実り愛となり(遊園地の一日)

「彼」を見失ってしまった場合

 時は九月初め。夏休みも終わり文化祭へ向けて動き出す頃合いである。

 白板京子しらいたきょうこ奈良橋浩太ならはしこうたとの距離感に悩んでいた。

 夏の合宿が終わってからというもの、浩太の態度が妙によそよそしくなったように感じられた。

 一緒に帰ったり、SNSでやり取りをしたり、一応は反応をしてくれるのではあるが、どこかに遠慮があるように思えるのだ。京子としてはもっと積極的になってほしいし、自身も積極的になりたいと考えていたのに、肩透かしを食らったような感じだった。

 先日も、もうすぐ付き合い始めてから一周年の記念日だね、と京子から話を振ったのに浩太の反応はどこか煮え切らず、それにいら立った京子が詰め寄っても「考えたいことがあるから……」と言うだけにとどまった。

 付き合い始めてから一年弱、ここまでノリの悪い浩太を見たことが無かっただけに、逆に京子は不安になった。

 夏合宿が終わった後からのことだけに、あの夜のキスが何かまずかったのだろうかとも考えた。

 確かにちょっと浩太本人には説明不足なところがあったし、それまでを思うと唐突すぎるきらいはあった。しかし、京子本人としては自分自身の素直な気持ちを表したつもりである。浩太のことが大好きな気持ちも変わらないが、ひょっとしたら急ぎすぎたのかと思うところもないわけではなかった。でも、あの夜の素直な自分を信じたい気持ちも確かに存在していて、京子の心は揺れ動いていた。

 そのせいもあってか、学校の活動も精彩を欠いていて、特にもともと苦手な朝の授業では度々舟を漕いでは教師に注意されていた。

 そんな京子を毎日のように見ていた親友の征矢野明日香そやのあすかは心配でならなかった。




 その日の午後、どこかぼんやりとした表情で部活に顔を出した京子を明日香はつかまえて話を聞いた。

「一体どうしちゃったのよ、京子。このところらしくないじゃない」

「……明日香にはそう見える?」

「私だけじゃなくてクラス中で話題の的よ。何があったんだろうって」

「んー……、まぁ実際冴えてないから仕方ないかなぁ……」

 京子の語気には力がまるで感じられなかった。

「かなりの重症ね……ここまで京子がショックを受けるって、まず間違いなく彼氏さん絡みでしょうけど、何があったの?」

「……別に何もないわ……」

「嘘言いなさい。それでこんなに衝撃受けるわけないでしょ?」

 京子の気力の無さとは正反対に明日香はますます心配を強めた。

「……本当よ、本当に何もないの……だからショックなんだけど……」

「何もないからショック? ……一体何があったっていうのよ?」

 京子の言うことがいまいち掴めなくて、明日香はじれったそうな表情になった。

「……そのまんまよ。よく分からないかもしれないけど……」

「それで納得しろっての? そりゃあ無理ってもんでしょ!」

「……ごめんね明日香。でも、これは私の問題だから私が解決しないといけないのよ……」

「そんな状態で何を解決するっていうのよ! ……無理しないで私に話してみてよ。私たち、友達じゃないの?」

 これではマズい、と思いつつも明日香は京子に詰め寄ってしまった。

「……ごめん、今はまだ話せないの。話せるようになったら話すね。今日はひとまず帰って休むから、部活のみんなにはよろしく言っておいて……」

 京子は力なくつぶやくと、明日香に背を向けてとぼとぼと昇降口へ歩いていった。

 明日香は呆然とそれを見送りながらも素早く頭を巡らし、このまま京子に構っていてもらちが明かないことを悟ると、ちょうど部活に顔を出した後輩の高宮たかみやゆかりに今日は自分と京子が活動を欠席する旨を顧問に伝えてほしいと頼み、スマホを取り出しながら自分も急ぎ学校から飛び出した。




 学校を出てから三十分後、明日香は急遽アポイントを取った人物と駅ビルのファーストフードで落ち合った。

「聞きたいことは分かってるわ。奈良橋くんのことでしょ?」

 明日香と待ち合わせた鈴村恵美すずむらえみは、開口一番きっぱりと言った。

「あら。よく分かったわね」

「そろそろ白板さんから何かあるんじゃないかと思っていたら、あなたからだったから意外だったけどね」

「というと、奈良橋さんにも何か変わった動きがあったの?」

「それが……変わったことは変わったんだけどね」

 そこで恵美は少々困ったような表情に変わった。

「? 何か問題でもあるの?」

「問題があるというか、全然問題がないというか……」

「よく分からないわね。鈴村さんらしくないじゃない」

 京子に続いて恵美にも話をぼかされてしまうのかと、明日香は語気を強めた。

「そっちこそ焦りすぎじゃない? それとも白板さんに何かあったのかしら?」

「鈴村さんは知らないの? それがね……」

 明日香が京子の状況をかいつまんで話すと、恵美は不思議そうに首を傾げた。

「そんな状態だったの……。ちょっと意外ね。このところ奈良橋くんはひどく真面目になってて、てっきり白板さんのことを考えて品行方正になったのかと思っていたんだけど……」

「真面目になった? 奈良橋さんが?」

 予想外の答えが返ってきて明日香は面食らった。

「ええ、そうよ。もっとも元から誠実ではあったけどね。ただ、勉強とかは結構ルーズに流してやってたりするところがあって、苦手な科目になるとしょっちゅう赤点ギリギリの点数を取ることも珍しくなかったんだけど、夏休み明けのテストで、いきなり苦手科目でクラスの上位に食い込むくらいの点数を取って、私もクラスメイトも担任もびっくり仰天よ。授業中も居眠りしたり不真面目な部分が一切なくなって、部活も適当さが抜けて真摯に取り組んでいるし、すっかり人が変わっちゃったみたいになっててね。正直、白板さんはどんな魔法を使ったんだろうって、近々聞いてみようと思っていたのよ」

 恵美の話を聞いて、明日香は訳が分からなくなった。話を聞く限り、彼氏の側には別段問題がありそうな気配は感じられない。それどころか以前よりも更に頼りがいのある人物になった印象を受ける。とてもではないが、京子が「何もない」などと悲しむ理由はどこにもなさそうではあった。




 明日香が混乱しているのを察して、恵美が慎重に言葉を選びながら言った。

「何の理由もなく、突然人が変わるなんて考えられないから、きっと夏の間に何かあったと思うのよね。そして、何かあったとしたら、それが起きた瞬間というのはひとつしかない、って思わない?」

「夏の合宿の時、ね」

 恵美の言わんとするところを察して、明日香はうなずいた。

「ええ。そこで何が起こったのかは興味がないわけでもないんだけど、問題はそこじゃなくて、結果としてそれ以降、どうも二人がすれ違っちゃってるところだと思うのよね」

「つまり、奈良橋さんがそれが原因で人が変わってしまって、京子がそれを悲しんでいる、と」

「白板さんの視点ではそうなんだろうけれど、微妙にそれは違うと思うの」

「どういうこと?」

 恵美の顔をのぞき込みながら、明日香は先を促した。

「これは推測なんだけど、今までは白板さんが奈良橋くんをリードする関係だったと思うのよ。白板さんが行動を決めて、奈良橋くんがそれを追認する、最初はそんな感じだった関係が、付き合いを重ねていくうちに奈良橋くんに男性として自覚が芽生えてきて、引っ張られるだけじゃない、自分が白板さんのことを守ってあげられる存在になりたい、という感じに意識が成長してきたんじゃないかしら」

「恋をしたことで成長して、大人になってきたってことかしら?」

「多分ね。でも多分、それを白板さんは受け入れられていないというか、奈良橋くんの成長から目を逸らしちゃってるのよ。あくまで自分がリードしてあげなきゃいけない、って意識がどこかに根強くあって、自分の考えている通りに奈良橋くんが動かないのを認められないところがあると思うの」

 恵美は真剣な表情で明日香に自分の推論を話した

「奈良橋さんの成長が急すぎて、京子の側がそれについていけてないってこと?」

「……じゃないかしら。そうであれば、白板さんの言っていることも奈良橋くんの変化も説明がつくわ。要は、奈良橋くんが自覚がないまま成長しちゃって、白板さんもそんな奈良橋くんを無意識に敬遠しちゃってるっていうのが真相だと思うんだけどね」

「それが真実だとすると、ちょっと厄介ね」

 明日香は恵美の話を聞いて顔をしかめた。問題の根は自分が想像していたより、ずっと根深いようであった。

「そうね。これを解決できるのは本人たちだけなんだけど、かといって今の状況でふたりに無理に会うことを強制してもいい結果にはならないと思うのよね」

「うん、それは分かってるけど、ならどうしたら……」

「慌てない慌てない。いい作戦が無いわけでもないわ」

「えっ?!」

 その言葉に明日香が驚いてまじまじと見つめてくるのを、恵美は涼やかな笑顔で迎えた。

「ただ、ちょっと打ち合わせが必要よ。私たちだけじゃなくて高宮さんや正次くんの協力を仰がないといけないわ」

「それは大丈夫だと思うけど、何を考えているの?」

「ふたりともちょっと考え方が堅苦しくなりすぎだから、もう一度、初心に帰ってもらいたいな、ってね」

 恵美はそう言ってくすくすと笑うとすぐに表情を正して、明日香に自分の考えている作戦の内容を打ち明けた。




 翌日、明日香は教室で相変わらずぼんやりとしている京子に声をかけた。

「……十月の中間テスト休みに、みんなで遊園地?」

「そう。合宿の中心になったメンバーで集まってね」

 明日香のその提案に、京子はあまり興味がなさそうな表情を浮かべた。

「合宿が終わってから、あっちの人たちともあまり交流できていないし、合宿の打ち上げってわけじゃあないけれど、ちょっとした息抜きはどうかなって思ってね」

「……うーん、そうねぇ……」

 京子は返事を避けているようだった。夏合宿のことでとなるとどうしたって浩太と連絡を取らなければならないから、それが憂鬱ゆううつなのだろうと明日香は察した。

「大丈夫よ。段取りはこっちでちゃちゃっと済ませてしまうから。京子は何にも考えないで当日そこに来ればいいのよ」

「……サービスがいいのね、明日香。後で何かお礼しないとダメかしら?」

「何言っているのよ京子。私と京子の仲でしょ?」

 京子は何か裏があるのだろうと踏んで皮肉を言ったが、それを予期していた明日香は落ち着いて笑顔で受け流した。

「……そっか……」

 ポツリと京子が言った。表情には何の感情も浮かんではいないが、少しだけ安心したような色が伺えた。

「決まりってことでいいのかしら?」

「……お願いね、明日香。それと……、浩太には私から連絡入れようか?」

「奈良橋さんには鈴村さんに直接確認をとってもらうけれど、したいんだったら好きにしていいんじゃないかしら?」

「……そっか、そうだったよね」

 京子は感情のこもっていない声でつぶやいた。

「そんな冴えない顔をしないでよ。せっかく皆で遊びに行くんだから、当日そんな顔してたら許さないからね」

 明日香は京子をたしなめつつ、京子が一応は自分で浩太に連絡を取ろうとしたのを見て、これならまだ立て直せる見込みはあるかもしれないと内心でうなずいていた。

 明日香がその場から立ち去った後、京子は誰にも聞こえない声で小さく言った。

「……大丈夫だよね、うん、きっと大丈夫。そうだよね、浩太……」


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