俺達の証明

 もしも人生を早送りできるなら、躊躇いもせずボタンを押すだろう。どうせロクな人生じゃない。

 曇り空の下、俺は老いで衰えた体でゆっくりと散歩をはじめた。もう長い間ここに住んでいる。街並みも変わってきた。だがどんなに変わっても街並みであることに変わりない。

 何もなかった。

 結婚はしなかった。それどころか恋人すら作れなかった。どんな相手も他人の域を超えなかった。

 熱中する趣味もできなかった。植村さんに誘われて何度かサバイバルゲームに参加してみた。やってみると割と楽しかったが、見事命中させた植村さんが転職して疎遠になったのを機にやらなくなった。小説なんて本当に何も書いていない。

 ただ、労働だけは漫然とこなしていた。生きるためだ。なんのために生きているかはわからないが生きるためだった。

 清潔で健全で進歩的な社会を求める声が高らかに叫ばれ、ホームレスや重度障害者も特別刑罰の執行対象に含まれるようになった。児童公園にいたホームレスはどうなったのだろうかと一度だけあのベンチに座ったことがある。ずっと手入れされてないベンチは汚れていた。あの日以来、ベンチに座るホームレスを見ることはなかった。

 社会貢献に乏しい者はどんどん排除されていった。それは正しいのだとみんなが言っていた。その論理でいけばおそらく俺は排除される側であったが、たまたま金属バットを握っていたことにより排除する側に回ることになった。皮肉なことだった。

 いつもの児童公園まで辿りついたところで、いつものベンチに座る。老人になると昔できたことがどんどんできなくなってくる。

 金属バットを振り続け、金属バットを振り続け、定年が近づいてきた頃、揺り戻しがきて今度は社会貢献の多寡を理由に人命を奪うことは許し難い悪行だという主張が現れた。それは燎原の火の如く広がり、やがて特別刑罰執行刑務官に対する強いバッシングに変わった。近々俺は尋問を受け、もしかしたら人倫に対する罪とやらで処罰されるかもしれない。死刑もありうるだろう。きっとそれは仕方のないことだったし、何よりどうでもいいことだった。

 ベンチに座っていると、不機嫌な顔をした青年が公園の前を通り過ぎていく。まるで世界から断絶されてしまったかのような顔だ。

 途中、公園に視線を向けた青年と目が合う。俺は彼に向かって手を振ってみる。すると青年は足を止めて、おずおずと手を振り返してくれた。

 なんだかそれが嬉しくて、俺はくしゃくしゃに笑ってしまった。

 そして青年も笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺達の証明 ささやか @sasayaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ