035 近習(5)

「子だと? 子など、夫婦みょうとになればそのうちにできようが」


「ホントに? 子供って、夫婦になっただけでできるの?」


 そう言ってメロメは淫猥な笑みを浮かべる。その笑みに嫌悪を覚えながら……だが、その通りだと五郎太は気付いた。


 正妻との間に世継ぎが得られない大名は驚くほど多い。それ故に側室がおり、また猶子ゆうしというものがあるのだ。


 ただ、お屋形様のお話では、みかどに猶子はないのだという。古代より連綿と連なる血の繋がりこそが帝を帝たらしめているのだといい、仮にそれと似通ったものがクリスのお家にもあるのだとすれば、女子おなごであるクリスが男として太守となっている現状にも説明がつく。


 そんな五郎太の理解を裏打ちするように、メロメの話が続いた。


「けど、皇家の者はそうも言ってらんないんだよ。血を繋がないといけないからね。エルゼベート様は女の子だから皇帝になれないけど、お兄さんとエルゼベート様との間に生まれた男の子なら皇帝になれる。お兄さんの子供が皇帝になるかも知れないんだよ! これでもお兄さんは関係ないなんて言ってられるの?」


「……」


「むしろ、けっこうな確率でそうなるんじゃないかなあ。陛下はなんだかんだと言ってはルクレチア様との結婚を引き延ばしてばかりだし、お兄さんの子供が皇帝になるってのは充分に可能性ある未来だと思うよ? ま、そんときにまだ帝国があればの話だけどね」


 ――いや、違う。メロメの話を聞きながら五郎太は卒然、そのことに気付いた。


 祝言をあげ一所になったところでクリス達に子供などできぬ。女であるクリスと、同じく女であるルクレチア殿との間に子供ができる道理がないのだ。


 となれば、可能性どころの話ではない。メロメの言うことが正しければ、己とエルゼとの間にできる子がこの国の太守を継ぐことになる……。


「そんなわけで、好むと好まざるとに関わらず、お兄さんはこの国において、現時点で一番と言っていいくらい政治的な存在なんだよ。お兄さんが強いことはエルゼベート様との決闘でつくづくよくわかったけど、ボクはそのあたりが心配でたまらなくってね」


「……なぜお主が俺の心配なぞするのだ」


 告げられた事実の重さに呆然となる五郎太の呟きにメロメはにんまりと相好を崩し、あのときと同じまぐわいにいざなうが如き雰囲気を漂わせながら熱っぽい声色で五郎太に訴える。


「そんなの、愛しい人だからに決まってるじゃないのさ! お兄さんの愛人になること、ボクはまだ諦めてないよ? いずれボク達がひとつに結ばれるその日まで、お気をつけあれ、我が背の君」


 仕舞いには節までつけてそう言うと、メロメは初めて五郎太に背を向けた。


「……背の君などと、お主にそのような名で呼ばれる筋合いはないわ」


 露骨に女を臭わせる仕草にあてられ吐き気に顔を背けながら、五郎太は、果し合いに向かうあの坑道でメロメに聞かされた唄を思い出した。



 血飛沫あがれば日が翳り 雲雀ひばり立つとき風が吹く



 思えばあの唄のお蔭で自分は命拾いしたのだった。その礼がまだであったことに気付き、五郎太は俯いていた頭をおこした。


「……」


 メロメの姿は、もうどこにもなかった。あのときと同じように、忽然と姿を消してしまったのだ。


「……やれやれ」


 五郎太は呟いて、近くにあった石造りの椅子に腰掛けた。眼前に広がる手入れの行き届いた庭園の風景を眺め、しばし物思いに耽った。


 クリスに仕えようか仕えるまいか……気が付けばもうそんな話ではなくなっているようだ。


 世継ぎの件は別にしても、本人の意思とは離れたところで周囲の者は既に俺をクリスの近習と見ている――そんな思いの中に、五郎太はまたひとつ溜息をついた。


「二君に仕える……か」


 そのことを思って、五郎太は総身の力が抜けるような感覚を覚えた。


 ……これについては、我が事ながら悩みすぎているようにも思う。茶の湯の席でエルゼに指摘された通り、お屋形様は既に亡くなられている。そのことを思えば、自分がクリスに仕えることは、厳密には二君に仕えるにはあたらないのではないか。


「――それに、お屋形様とて」


 ……そうなのである。実のところ、お屋形様も二君に仕えていた時期があるのだ。


 足利の公方くぼう様にお仕えしながら右大将様との間を取り持っているうち、どういうわけかそのお二方から扶持を賜るようになったのだと、あるときお屋形様は笑ってそう申されていた。


 よくよく考えてみれば奇妙な話である。なぜそのように出鱈目なことになり得たのか皆目わからぬ。公方様と右大将様が諸共に余程お屋形様の才を買っていたとしか思えない。


 とまれ、少なくとも一時、お屋形様は間違いなく二君に仕えていた。そのことを思えばお屋形様亡き今、自分がクリスの禄をむのが当のお屋形様への裏切りになるとは到底思えぬ……。


『この国にはきっとゴロータの居場所がある。あたしはそう思うの』


 そして何より、乱世であるというのが良い。


 この国もいつまで保つかわからぬ――先程、あの道化もそのようなことを言っていた。泰平の世にぬくぬくと生かされるのであれば真っ平だが、お屋形様のために死に損なったこの俺に死に場所を与えてくれると言うのであれば、まったくもってやぶさかではない。


 出来れば戦場いくさばが良い。だが、別段そうでなくとも構わない。クリスのために死ぬのでも――或いは惚れた女のために死ぬのでも良い。


「……ふ」


 このような異国で巡りうた女性にょしょうと――と、未だに信じられぬ思いはあるが、どうやら自分とエルゼは深いところで好きうているようだ。であれば、その女のために死ぬるというのも、この際、さして悪い死に様でもないように思う。


 だが、それにしても――


「……俺の子が、イスパニアの王になるなどと」


 思わず乾いた笑いが込み上げてくる。


 そのようなことにもなり兼ねないということが理屈ではわかっても、余りに突拍子もない話に心は付いて来ない。かかる話を日ノ本のともがらが聞いたら何と思うであろう。与太話と笑われるか、それとも気が触れたと思われるのが落ちか。


「そもそも指一本触れられぬでは子ができる道理がないわ」


 そう独りちて、遂に五郎太は吹き出した。


 捕らぬ狸の皮算用にも程がある。惚れうた女子おなごを抱くこともできぬくせに、子が王になるだのならぬだのと、まったく片腹痛い。


 一頻り笑い続けるなか、五郎太はふとって天を仰いだ。


 ひゅっ、と音を立てて、五郎太の頭のあった場所をよぎっていくものがあった。


「……」


 反射的に五郎太は脇差を抜き、なげうっていた。けれども脇差は少し離れた地面に、小さな音を立て虚しく落下した。


 逆の方を見た。通常のものに比べ半分程しかない短い矢が、木の幹に深々と突き刺さっているのが見えた。


 もう一度、脇差を投げた方を見た。


 そこには、誰もいなかった。殺気もなければ、誰かがそこにいたという形跡すらない。


 五郎太は立ち上がり、脇差に歩み寄ってそれを拾い上げた。そしてもう一度周囲に誰もいないことを確認し、音もなく脇差を鞘に戻した。


「そうこなくてはな」


 そう呟いて、五郎太はむしろ嬉しそうに口許に笑みを浮かべた。

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