022 死合い(7)

「……とどめは、刺さないのですか」


「刺さぬ。ただ一言、参ったと言って下されば良い」


 荒い息をつきながら、五郎太はどうにかそれだけ返した。


 薄氷を踏むなどという言葉では到底言い足りぬほど、ほとんど奇跡にも似たからい勝利だった。


 最後の突撃の際、両脚を長籠手で覆った五郎太は放胆にも胴体を晒してエルゼベートに向かった。腹を撃つのが鉄砲撃ちの常道。だがエルゼベートは五郎太の腹を撃たなかった。


 撃てば、五郎太は死ぬからである。


 口ではとやかく言いながら、エルゼベートには最初から五郎太を殺す気などなかったのだ。撃てば致命傷になり得る胴体をエルゼベートは撃つことができない――そのことを、五郎太は見抜いていたのである。


「誰が言うものですか! どうしても言えというのであれば舌を噛んで死にます!」


「……」


 激しい剣幕でまくしたてるエルゼベートに五郎太が黙ったのは、返答に窮したからではない。女を組み敷いていることで猛烈な悪心が総身を駆け巡っていたのである。


 触れても平気であったクリスの妹御であれば、という甘い考えがあったのだが、矢張りそううまくはいかぬようだ。


「その貴方様の腕であればわたくしの首をへし折るなど造作もないことでありましょう」


「……」


「どうか殺してください。このような恥を晒し、生きていたいとも思いません」


 目に涙を浮かべ、心底悔しそうに顔を歪めながら呟いた。そのエルゼベートの表情に、五郎太はぞくりとした。


 悪心は酷くなる一方で、失神する一歩手前まできている。だがそのおぞましい感覚の中にあって、もう一人の五郎太は女を美しいと感じた。


 無体に組み敷かれ、それでもなお高貴を失わず悔しげに殺せと訴えるエルゼベートに、凄絶ともいえる色香を覚えたのである。


「参った! この勝負、俺の負けだ!」


 五郎太は立ち上がり、大音声で観衆に告げた。


 意外な展開だったのだろう、周囲からはどよめきがおこる。


 クリスが展覧席から進み出、手をかざして観衆のざわめきをいなした。そして彼らを代弁するように静かな、だがよくとおる声で告げた。


「ゴロータに問う。なにをもって貴方きほうの負けとする?」


「妹御の丈高き生きざまに負けたわ! 高貴の出でありながら修練に励み、日ノ本一の武辺を誇るこの俺を追い詰めるまでに練り上げたるは実に見事! 勇ましくも美しきそのお姿、日ノ本にその名も高き女丈夫、巴御前を見る思いじゃ!」


 五郎太の口上に周囲からわっと歓声があがる。


 日ノ本一の武辺を誇るなどと大きく出たのは、まだ立ち上がることができないでいる姫君の矜持を慮ってのことだったが、五郎太が内心に汗顔の至りであったことは言うまでもない。


 ただ、それ以外については偽らざる本音だった。


 自分相手にあれほどの戦いができるまで己を鍛え上げるのにどれほどの精進が必要であったか想像に難くない。そして、それは何より果し合いの発端となった己のげんに非があったことを雄弁に物語っていた。


「元はと言えば俺が妹御を女と侮ったこと。あれなるはまったくもって俺の妄言であった。妹御とたたこうてみて己の言の愚かさをつくづく思い知ったわ。大変失礼致した、どうか許されよ」


 そう言って五郎太はエルゼベートに向かい深々と頭を下げた。


 観衆からはまた喝采があがる。そこに至ってエルゼベートはようやく立ち上がり、五郎太の真向かいに立った。だがその目はそっぽを向いたまま五郎太の方を見ない。


「この通りじゃ。お前に限らず、女であると言うて侮ることは金輪際せぬ。それをもってこの勝負、どうか収めていただけぬか」


 誠心誠意そう告げて五郎太は真っ直ぐにエルゼベートを見た。だがやはりその目は五郎太を見ない。固く結ばれた唇は激情をこらえるように小さく震えている。


 エルゼベートが口を開くより早く、クリスが見かねたように頭上から声をかけた。


「ゴロータの意向はしかと聞き届けた。エルゼベート、その方の存念はどうだ」


「……わたくしの負けは誰の目にも明らかです。この上、勝ちを譲られるなど」


「では致し方ない。この勝負、エスペラス皇帝の名の下において五分ごぶとする!」


 高らかなクリスの宣言に観衆はこの日一番の盛り上がりを見せた。


 ……うつけの殿様にしてはなかなかの落とし所だ。五郎太は感心してクリスを仰ぎ見、その姿が展覧席から消えるのを認めたあと、エルゼベートに向き直った。


 五郎太はもう一度深々と一礼し、おもてをあげ莞爾かんじと笑ってエルゼベートを見た。けれどもエルゼベートから返ってきたのはある種怨念すら感じさせる凄まじい怒りの表情だった。


 エルゼベートはそのまま踵を返し、早足に元来た坑道へと消えていった。


 ……やれやれと五郎太は内心に溜息をついた。終わってみれば存外に気持ちの良い勝負だったが、案の定と言うべきか、すべてが丸く収まるというわけにはなかなかにいかぬようだ。

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