第28話 降りしきる雨。誰も居ない街。襲撃者。


 新・夢の島を抜けた。


 細長いビルが乱れ立つ、青色地区を駆ける。


 人影は無い。


 普段なら道の両脇に並んだ露店も、滝のような雨に、品物を掻き集めビルの中に引っ込んでいるらしい。激しい雨に打たれるのは、廃墟のようなビルと、俺達のみ。


「詩。みぎからきてる」


 詩の背中で、リンゴが言った。路上に停められていた車の陰に隠れる。数秒後、交差点を、数人の武装した集団が走って行った。この降りしきる雨の中でも、リンゴの耳は、ヒトの発する音を聞き分けた。


 ビルの間、雨に霞んで、白亜の塔が見えた。


 詩と視線を交わす。


 降りしきる雨。


 言葉は無い。


 だけど、互いに、相手の言いたい事は分かった。


「遠い。だけど、行ける」


 周囲の安全を確かめ、自動車の陰を飛び出した。


 その時、視界の端に黒い影。


 身体を捻る。


 わき腹にヒリリと痛んだ。


 見れば、服が裂け、肌に一本の赤い線が引かれていた。


 その襲撃者は、片手に肉厚のコンバットナイフを構えていた。


 彼(彼女?)が拳銃を抜いた。


 氷結の万象律


 雨粒が凍り、銃口を塞ぐ。


 ボゴッと鈍い破裂音がして、拳銃が襲撃者の腕から吹き飛ぶ。


 その時になって、そいつは拳銃に細工をされたことに気づく。


 襲撃者の視線が、放物線を描く拳銃を追った。


 わき腹に蹴りを叩き込む。


 しかし、受け止められた。蹴りが勢いに乗る前に、片手で太股を、もう片手で足首を抑える。教科書に載せられるほど、お手本のような蹴りの受け方だ。


 読まれていた。


 視線を逸らしたのは、わざとか。


 あ、やばい。


 そいつは、俺の脚を、躊躇なくへし折ろうとしていた。


 雷霆の万象律


 瞬間、反射的に万象律を発動させていた。


 襲撃者が、俺の脚を放す。


 しかし、ずぶ濡れの身体を伝って、俺にまで電流が流れる。


 痛みで、俺は地面に膝を着くいた。


 しかし、その間にも彼女は動いていた。


 ナイフを引き抜く。


 一閃。


 黒塗りの刀身が、俺の腹部にめり込む。


「かはっ!」


 胃の中の空気が押し出される。

 

 だが、貫通はしていない。


 襲撃者の腕を、俺は掴む。


「……痛えじゃねーか」


 氷結の万象律


 ナイフの刀身は分厚い氷で、丸く覆われていた。


 襲撃者は俺より小柄だ。


 体格に物を言わせて、押さえつけに掛かる。


 不意に、灰色の空。


 一瞬遅れて、俺は投げられたことに気付く。


 見事な一本背負いだった。


 宙を舞いながら、空を見上げていた。


 背中からアスファルトに叩きつけられて、息が詰まる。

 

 襲撃者は、間髪入れずに俺に覆い被さる。

 

 速い。

 

 何より、人を傷つけるという行為に、躊躇いが無い。


 膝で、巧みに重心を押さえつけられた。


 俺より小柄なのに、像にでも踏みつけられているような気がした。


 熟練の職人が魚でも捌くみたいに、自然な所作で、ナイフを喉元に突き立てる。

刹那、切っ先と肌の僅かな隙間に、刃が現れる。


 瞬閃の万象律


 金属と金属が噛み合い火花が散る。


 一瞬、襲撃者の体勢が崩れた。


 転がるように抜け出す。


 即座に、追撃に移る襲撃者。


 しかし、出来なかった。


 氷結の万象律


 この雨だ。水なんて幾らでもある。襲撃者の足が、氷漬けになって、アスファルト

に張り付けられていた。


「いつの間に……」

「あんたが、ナイフで俺を刺そうとした時だ」

「馬鹿な」


 俺は押さえつけられながら、その実、抜け出そうとは一切しなかった。喉元に刃が突き付けられた瞬間でさえも、だ。


 詩が助けてくれるだろうと踏んでいた。打合せたわけではない。だけど、詩が、俺を死なせるはずがない。


襲撃者は黒い防水ケープを被っていた。目深に被ったフード。その奥の顔には、見覚えがあった。


「あんた、松島とか言ったか。狙撃手じゃなかったのか?」

「この雨では狙撃もできないので、直接、殺しに来ました」

「良く場所が分かったな」

「勘です」


 狙撃手ならば、狙撃点を把握する為に、この街の地図は頭に入れてているはずだ。自衛隊かから身を隠しながら進むとすれば、自ずと逃走経路は限られる。


「何故、春譜様の邪魔をするのですか?」

「あんた、春譜がしようとしている事を知っているのか?」

「当然です」

「だったら分かんだろ」

「分かりません。春譜様の偉大な計画を知りながら、どうして邪魔をするのか、理解に苦しみます」


 松島は俺達を見上げながら、憎しみを込めて睨む。


「そうか。だけど、もう終わりだ。少し痛いけど我慢してくれ」


 彼女の腕を掴み、背中側に捻じ曲げる。


 俺の方が身体は大きい。


 幾ら彼女でも、この体勢からは逃げ出せない、はずだった。


 ゴキンッと木の枝でも折れるような小気味よい音。


 締め上げた松島の腕が折れていた。


 本来なら曲がらない方向に腕を曲げたことで、彼女が拘束から逃れる。


 そのまま、折れていない方の腕で、ナイフを俺に突き立てる。


 まあ、でも、それも予想はしていたけれど。


 松島の手首を掴む。


「なっ⁉」

「読んでたよ」


 覚悟に染まった、彼女の瞳。


 このくらいはするだろう、と読んでいた。


 それでも松島は止まらなかった。


 グイッと顔を近づけると、俺の首筋に咬みついた。


「ぐおっ!」


 万力でねじ上げられたような痛み。


 流石に予想外だった。


 咄嗟に、俺は松島の折れた腕を握っていた。


 折れた骨が、肉に食い込んだはずだ。


 激痛が走っただろう。

 

 流石に、彼女の顎から力が抜ける。


 俺は松島の両手首を掴んで、押さえつける。


 俺は肩で息をしていた。


「……何があんたを……ここまでさせる?」


 恐怖。


 その時の感情を、一言で表すならそうなるだろう。


「お前に、……お前に何が分かる?」


 松島が言った。


「春譜様は、人類を次の段階に進めようとしている。お前ごときに、その深遠さは分からない」

「……いや。……分かるよ」


 生命が誕生して三十八億年。


 五度にわたる大量絶滅にも、生命はその火を絶やさなかった。「進化」することで、様々な環境に適応してきたからだ。


 しかし、「進化」の方向を自ら制御した生物は、存在しない。


 〈進化する人類〉計画は、生命の在り方を変える。


 春譜がしようとしているのは、そういう事だ。


「……嘘です。……分かるはずが有りません」

「……あんた……春譜を神か何かと勘違いしてないか?」

「近しいでしょう」


 松島が言い切った。


「そうかよ」


 松島は語る。


「類まれな才能を持つ者が、時代の覇者とも言うべき招鳥の家に生まれた。この事を、奇跡と言わないで何と言いますか? 春譜様は選ばれた人間です」

「選ばれた? 誰に?」


 問うたのは詩だ。


「選ばれてないよ。選んでない。誰も」

「……青色地区のモルモットめ」


 その言葉の真意は、既に知っていた。ただ、詩は怒る事も無く答えた。


「モルモットじゃないよ。私は詩。星川詩」


 もう良い。


 いい加減、終わらせよう。


 折れた方の腕をグイッと引っ張る。


 松島の顔が痛みに引きつる。


 その隙に、彼女の膝を蹴り飛ばす。


 松島が地面に転がる。


 サッと背後に廻り、その背中を踏みつける。


 結束バンドで、即席の手枷、足枷をかける。しかし、松島相手だと、これだけでも不安だ。俺は彼女の脚も折にかかる。しかし、詩が俺の手を掴んだ。


「駄目」


 彼女はふるふると首を振った。


「……分かったよ」

「行こう」


 まだ降り止まぬ雨の中を、俺達は進む。


 白亜の塔は、まだ遠い。

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