第20話 東京の休日

 俺は東京市街へと来ていた。



「ここかよ……」


 指定された待ち合わせ場所を前にして、俺は呟いた。そこは、白亜のビルの根元。洒落たテラスカフェだった。


 観葉植物をあしらったパラソルからは、冷たいミストがこんこんと噴き出していた。足元でも、あちこちに置かれたクーラーが冷気を吐き出している。


 夏の日、木陰に逃げ込んだような、人工ではない涼しさを感じる。


 実際、どこまでも人工だけど。外で飲食する解放感を味わいたいけれど、夏の暑さは感じたくない。そんな人間の欲望丸出しの醜い空間だった。


 なるべく隅の席を取る。すぐさま、おしぼりと水が運ばれて来た。メニューを開いて愕然とする。小さなカップのコーヒー一杯で、俺達姉弟の一日分の食費と同じだった。 


「……ブ、ブラックで」


 勇気を振り絞って注文を終えると、俺は辺りを見回してみる。どの客も、カッチリとした服装をしていた。本を読んだり、ラップトップで作業している。彼らの身に着けた物、立ち居振る舞いから、何となく、その経済状況を察する。


 ふと、路上に止めた俺の電動スクーターの前で、若い勤め人と思わしき人間が数人、立ち止まっていた。まさか、こんな場所で泥棒も無いかとは思うが、聞き耳を立てる。


「……凄いな、これ」

「ああ。YONEGAMI(※日本のバイクメーカー。海外企業に押され気味だが、根強いファンがいる)の復刻版だろ?」

「見た目はヴィンテージだけど、中身だけ最新のやつ」

「独特なスタイルだよな。オーダーメイドかな。幾らなんだろう?」


 そんな会話が聞こえた。


 復刻版でも何でも無い。ただ、古いだけだ。


 先日、マフィアの銃撃によって、タイヤが被弾したので、ジャンク屋で買った有り合わせの物を履いている。だから、前後で微妙にタイヤが違う。修理が雑なだけで、独特なスタイルではない。

 

 彼らに誤解させたまま、あのスクラップ寸前のスクーターを高値で売りつけられないだろうか。どうしようもない事を考えていると、ようやく、待ち人がやって来た。


「遅いぞ」

「時間どおりですよ。あーちゃんが早いんです」


 春譜は慣れた様子で、店員に注文を告げる。


「キャラメルメロンパフェ。メロン追加で。あと、アイスクリームとキャラメルソースも」


 今の注文一つで、姉弟の食費三日分だぞ。マジかよ。


「あ、一口要ります?」

「要らねえよ。それより、用件は?」


 俺をここに呼び出したのは春譜だ。助けられた手前、断れなかった。


「へ? デートじゃないんですか?」


 逆に訊き返される。


「何言っちゃってんの。お前」

「だって、助けてあげるお礼に、今度、デートでもしようって」

「あれ、本気だったのかよ……」


 俺は項垂れる。


「やっぱり、一口、要ります?」

「いや。要らない……」


 俺は意味も無く空を見上げてみる。


 容赦なく照り付ける太陽と、入道雲。


 ああ、面倒だな。


 俺はそんな事を思う。


「言っておくけど、金なら無いからな」

「うわあ……。いっそ清々しいですけど、モテなさそうですね。っていうか、モテないですよね?」

「いちいち確認すんなよ。遊びに行くなら、金のかからない所な」

「良いですけど」

「それで、何処に行くんだよ?」

「そんなの、あーちゃんが決めてくださいよ」

「はあ?」

「だって、あーちゃんがボクにお礼をするんでしょ? だったら、あーちゃんがエスコートしてくださいよ」

「そうは言ってもな……」


 非常に面倒くさい。俺が悩んでいると、春譜が言った。


「あーちゃんは休みの日、何して遊んでるんですか? それで良いですよ」


 確かに、それなら楽だ。


「文句は言うなよ」


 そう念を押して、俺達は出発した。


 普段は詩が座るスクーターの後部座席に、今日は春譜が乗り込む。


 一瞬、良い香りがした。


 覚えが有る。


 何処で嗅いだのかと記憶を辿ると、心臓が跳ねた。脳内に浮かんできた光景は、風呂上がりの詩だったのだ。風呂上がりの彼女と、良く似た匂い。


「……な、なあ。お前さん、香水か何か付けてんのか?」

「いえ、特には。でも、シャンプーは良いの使ってますよ」

「あ、そう」


 心底どうでも良い。


「椿のです」

「……椿?」

「詩さんにもオススメしました!」


 あのクソ高いシャンプー。


 元凶はお前だったか。


「男なんて石鹸で十分だろうが」

「またまた。冗談きついですよ」


 冗談じゃねえよ。


「ところで、あーちゃん?」

「あーちゃんって呼ぶな」

「分かりました。それで、あーちゃん」

「おい」

「勘違いじゃなければ、青色地区の方に向かってませんか?」

「俺の行きつけは、だいたい青色地区に有るんだよ」


 人間など渡らない立体交差点の下を潜り、青色地区に入る。密集したビルの間を、スクーターで走り抜ける。


「これ、全部、廃墟ですか?」


 立ち並ぶ細いビルを眺めながら、春譜が訊いた。


「失礼な奴だな。人が住んでるに決まってんだろ。この辺のビルは割と綺麗だろ」

「……割と綺麗?」


 スクーターを停める。


「ほら。こっちだ」


 行く手に、細く折れ曲がった路地が続く。


「どっち⁉」

「こっちだよ」

「あの、こんな人気の無い路地に連れ込んで、何をするつもりですか?」


 春譜は、自分で自分の肩を抱く。気持ち悪い。


「え⁉ 舌打ち⁉」

「置いてくからな」

「うわっ! 酷い!」


 俺が歩き出すと、春譜が慌てて着いて来る。


 やがて、開けた空間に出た。周りをビルに囲まれているが、そこだけ、エアポケットのようにビルが無い。昼間なのに薄暗いのは、頭上が黒い天幕で覆われているからだ。


「ここは?」

「映画館。入場料は無い代わり、ワンオーダー制だ」


 廃材で作った屋台が並んでいた。俺はそこでレモンスカッシュを頼む。


「五千円」

「は⁉」


 売店のおばちゃんが、不機嫌そうに俺を睨む。


「あの子はどうしたんだ? 灰色の髪を、二つに束ねた」

「亜麻色、な」


 灰色、と言われると詩は怒る。確かに、光の当たり方によっては灰色に見えない事も無いけど。


「家に居るよ」

「あんたねえ。こんなところで映画なんか見て、遊んでる場合じゃないよ。本当なら、あんたがしっかり働いて楽させてあげないと。それにその女は何だい?」

「こいつは男だよ」

「嘘をつけ! あんな可愛らしい子を、悲しませんるんじゃないよ」

「だから、男だって。それに、詩は姉だ」


 加えて言うなら、迷惑をかけられているのは、大体、俺の方だ。


「もっとマシな嘘を吐きな! 似てないにも程があるよ!」


 それからしばらく、説教が続いた。最後に、おばちゃんは煎餅のパックをくれた。


「あの子に食わせてやんな」


 詩はこんな所でも大人気だ。


 売店脇の入り口から、ビルの中に入る。階段を三階ほど登って、開いている部屋を見つける。元々は一人暮らし向けのワンルームだったのだろう。そこに、プラスチック製の椅子が幾つか置かれている。


「ここ、本当に映画館なんですか。どう見ても、廃墟のアパートなんですけど。スクリーンも無いですし」

「スクリーンなら有るだろ」


 俺は窓を開け、その桟に座る。足は、ぶらぶらと空中に放り出す。そこから、向かいのビルが見える。その壁がスクリーンだ。と言っても、コンクリートを白く塗っただけなのだが。


 間もなく、そんなスクリーンもどきに、青い画面が映し出された。『スタジオジブリ』という白いロゴがデカデカと踊る。


 それは、二千年代初頭のアニメ映画だった。古いが、手描きの線は温かみがあって、見ていて飽きない。ストーリーは素朴だが、その裏に深いメッセージが込められている。大人も子供も楽しめる名作だ。


 春譜は俺に顔を寄せると、小声で訊いた。


「これ、版権とか大丈夫なんですか?」

「駄目に決まってんだろ」

「あの、ボク、一応、自衛官なんですけど……」

「おいおい。俺から、唯一の楽しみを奪うつもりかよ」

「どれだけ寂しい人なんですか……」


 上映が終わった頃には、夕方に差し掛かろうか、という時間だった。


「そろそろ飯か。食ったら帰れよ」

「まだ、五時前ですよ。早くないですか?」

「いや。丁度だ」


 スクーターを走らせること数分。次の目的地に辿り着く。


「また、ビルですか?」

「腐るほど建ってるからな。利用しないと勿体ない」


 俺達は、エレベーターなんて気の利いたものは無い、十五階建てのビルを登る。春譜はタラタラと不満を零していた。しかし、登りきると言った。


「……うそ。凄い」


 屋上には、人工の池が広がっていた。


「元々はナイトプールだったらしいけどな」


 その時、水面で、ポチャンと何かが跳ねた。一瞬、流線形のシルエットが見える。


「え⁉ 魚が居るんですか⁉」

「魚が居なかったら、釣り堀じゃねえだろ」

「釣り堀?」

「よう。兄ちゃん! 久しぶりだな!」


 日に焼けた恰幅の良い中年が、笑いながら話しかけてくる。


「おいおい! いつものあの子と違うじゃないか。振られたのか?」


 いつものあの子とは、詩の事だ。


「振られてねえよ。あいつは姉だ」

「その嘘は前にも聞いたよ」


 そう言って中年は笑う。何度説明しても、一向に信じようとしない。


「それにしても、今度の子も美形じゃないか。これか? これか?」


 そう言って小指を立てる。鬱陶しい上に、古臭い。平成臭がする。


「言っておくけど、こいつは男だからな」


「相変らず下手な嘘だな!」


 中年は口を開けて笑った。


 元々はナイトプールだった池に、釣り糸を垂らす。オヤジが気を利かせて、パラソルを持って来た。魚を待ちながら、視線の高さに空を見る。山のような入道雲。その下は海だ。東京湾。


「なかなか、悪くない景色です」

「ああ。偶に来るんだよ」

「良いですね。今度から、ボクも来ようかな。また、連れて来てくれますか?」

「え? 嫌だよ」

「嫌だって……。しかも即答……」


 その時、春譜の浮きが、トプンッと沈む。


「おい! 来てる!」

「え、嘘⁉ どうすれば⁉」

「引け! 引け!」


 春譜は思い切り竿を上げる。竿が弧を描いてたわみ、その反動で、糸に繋がった魚が、水の中から引っこ抜かれる。数瞬、魚は宙を舞った。そして、太陽で熱せられたコンクリートの上に落ちた。ピチピチと跳ねる。


「ナマズか。悪くないサイズだ。脂も乗ってそうだし」


 拾い上げて、バケツに放り込む。


「……脂が乗ってる? ……あの、あーちゃん?」

「何だよ?」

「そう言えば、晩御飯を食べに行くって言ってたましたよね?」

「だから、ここに来たんだろうが」

 

 春譜が思い切り顔をしかめた。それから、バケツの中身を指して訊いた。


「晩御飯って、これ?」

「他に何が有るんだよ」

「一応、訊くけど、この魚の出所は?」


 下を見ろ、と親指で示す。春譜が、ビルの縁から顔を出し、恐る恐る下を覗き込む。そこには運河があった。


「ポンプで池の水ごと汲み上げてんだよ。給水口の近くに寄せ餌を撒いてな」


 ガハハ、とオヤジが笑う。


「青色地区産の魚介類……」

「せっかくだ。ここは俺がおごってやるよ」

「謀ったな!」


 そんな断末魔が、夏の空に響いた。

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