第5話 姉の入浴について思うこと


 事務所までは、三人でスクーターに乗って帰った。本来は二人乗りだが、詩と浮浪児が小柄なので、無理やり乗り込んだ。しかし、いかんせん、こいつが臭い。事務所に帰り着くなり俺は言う。


「身体を洗え」


 浮浪児はふるふると首を振る。


「駄目だ。お前、臭いんだよ。うちに置くからには、最低限の身なりは整えて貰う」


 それでも、浮浪児は頑なに首を振った。


「いや」と言って、壁際に逃げる。


「何が嫌なんだよ。シャワーを浴びるだけだろうが」


「いきなり知らない場所に連れてこられて、裸になるのは抵抗があるよ」


 詩が言った。しかし、浮浪児が動くたび、フケみたいな粉がフローリングの上に落ちる。昨日、掃除機をかけたばかりなのに。


「……悪かったよ。だけど、別に危害を加えるつもりは無いんだ。頼むよ」


 それでも、そいつは首を振る。ふーっ、と息を吐きながら、八重歯をむき出しにして俺を睨む。猫か。


「あー、もう。駄目だ。我慢できない」


 小柄なそいつを肩に担ぎ上げた。小さな身体は、見た目よりもさらに軽い。


「ちょ、ちょっと、証! 何してるの⁉」

「こいつを洗ってくる。いい加減、臭い」

「バカ!」


 突然、詩が顔を真っ赤にして叫ぶ。


「あり得ない! あんた、バカなの⁉ バカ! バカ! 変態! 死んじゃえ!」

「……な、何だよ」

「女の子に無理矢理とか、頭おかしいんじゃないの!?」


 今、何と言ったか。


「……え、女の子? こいつ?」

「見れば分かるでしょ!」


 俺はそっと、肩に担いだ彼女を下ろした。


 俺を睨みながら顔を真っ赤にして、ふー、ふー、と荒く息を吐いている。


 そいつが身に着けているのは、男物のパーカーだった。大き過ぎて膝のあたりまで隠れている。フードを目深に被り、その隙間からは、納まりきらない毛が溢れ出している。一部の毛は床にまで届いていた。ホラー映画で、テレビ画面から出てきてもおかしくない風貌だ。


「見ても、分からねえよ……」


 詩は浮浪児を抱き寄せると、囁くように言った。


「ごめんね。うちの弟、ガサツで。あんなんだから、全然、友達も居ないの。もしよかったら、友達になってあげて」

「うたが、いうなら、なる。……いやだけど」


 それから詩はこんな提案をした。


「お風呂、一緒に入る?」


「はあ⁉」


 叫んだのは俺だ。詩は眇めた目で俺を睨む。


「……アンタとじゃないよ?」

「分かってるよ!」

「別に、良いじゃん。女の子同士なんだし」

「それでも、あり得ねえだろ。ついさっき、会ったばかりだろうが」


 こんな得体の知れない奴。


「うるさい。私が誰とお風呂に入ろうが、証の知った事じゃないでしょ」


 ピシャリ、と詩が言った。


「いや、でも」


「ほら。行こう」


 詩は浮浪児の手を引いて、風呂場へ引っ込んでしまった。


 素性も知れないこいつと、密室で二人きり。風呂だから、当然、裸。丸腰だ。何をされるか分からない。相手は、突然、ナイフを投げてくるような奴だ。


「あー、ちくしょう!」


 詩はもう少し他人を疑った方が良い。

 

 靜動せいどうの万象律


 空気分子のランダムな振動を制御。足音や衣擦れの音を消す。そのまま気配を殺して、脱衣所に入り込む。何か有った時、すぐに詩を助けられるようにする為だ。俺は息を潜め、聞き耳を立てながら様子を伺う。

 

 曇りガラスの扉の向こうから、水音が聞こえてきた。

 

 爽やかな石鹸の香り。

 

 落ち着かない。

 

 脱衣篭には、詩が脱いだばかりの衣類が、畳まれもせずに放り込まれていた。


「うわー、髪の毛、多いなあ。シャンプー、足りる?」


 詩のそんな声が聞こえる。緊張感の無い笑い声。やはり、俺が神経質になり過ぎていただけかもしれない。馬鹿らしくなって、脱衣所から去ろうとした、その時だった。


「このシャンプー、椿の油が入ってるの。良い匂いがするよ」


 おかしい。


 そんな高級品、使う余裕はうちの事務所に無い。事実、棚に置かれた詩のシャンプーは、薄緑色のボトルに入った特売品のそれだ。そう言えば、昨月、家計簿が合わなかった。


 以上の事実から、自明な結論が導かれる。


 つまり、詩はお高いシャンプーを買って、特売品のボトルに詰め替えて使っていたのだ。もう一度書くが、うちの事務所にそんな余裕は無い。カレーにもやしが混入し始めるくらいには、余裕が無いのだ。


 これは家族会議だな。


 心の中で俺が呟いた、その時だ。


 きゃっ、という短い悲鳴。

 

 詩の声だ。

 

 瞬間、俺は反射的に風呂場の扉を開けていた。


「大丈夫か⁉」

 

 立ち込める湯気。


 茫然と立ち尽くす、二人の少女。


 一糸も纏わぬ、その姿。


 一瞬にも満たない僅かな時間の中、詩の柔らかな胸のふくらみに、薄桃色の先端を見た。俺の記憶は、そこで途切れる。



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