第4話 詩の善意
詩は、ふう、と息を吐いた。刃の網が霧散し、再び日本刀の形に戻る。それを鞘に納めると、詩は俺の傍に座り込んだ。
「証、大丈夫?」
傷口を覗き込みながら訊いた。
「大丈夫」
努めて、平静を装って答える。
「……モグラの毒は、殺すための毒じゃない。……得物を弱らせる毒だ。死にはしないよ」
おそらく。
異常進化生物まで同じかどうかは、確証は無いけど。
腕をハンカチで縛る。それから、傷口に溜まった血を吸いだそうとするが、身体が震えて上手く行かない。
「私がやる」
「いいよ。汚い」
制止も聞かず、詩は俺の腕に唇を付けた。彼女の薄桃色の唇に、赤い血が滲み、口紅を塗ったようになる。何故か悪い事をしているような気がして、思わず視線を逸らす。
「詩姉。もう良いよ」
「ん」
彼女は吸い出した血を床に吐き出すと、袖で口を拭った。俺は傷口に消毒液をふりかけ、止血用のパウダーをまぶし、応急処置を終える。
それから、俺たちは行方不明の高校生を探した。幸い、すぐに見つかった。霊安室の中で、彼らは折り重なるように倒れていた。意識は無い。
「酷い……」
「ああ」
彼らの全身に歯型が残っていた。モグラの仕業だろう。毒が回っているらしい。それでも、生きてはいた。微かに、胸の辺りが動いている。
普通のモグラも、噛んで弱らせたミミズを一か所に蓄える習性が有る。それと似たようなものだろうか。毒で衰弱させた獲物を、この霊安室に蓄えておいたのかもしれない。
モグラの毒はそれほど強くはないようだ。事実、噛まれたばかりの俺も、既に立ち上がれる程度には恢復していた。ただ、彼らは全身、何か所も噛まれていた。果たして、どんな影響が有るのか。専門家でない俺には分からない。
間もなく警官がやって来た。少し遅れて、救急隊も到着した。彼らはテキパキとした動きで、高校生たちを運び出す。所在無さげに立ちながら、その様子を眺める詩に、俺は壁に寄り掛かったままで言った。
「俺たちはよくやったよ」
詩は納得してはいないようだった。彼女は、全てを救えなかったことを悔やんでいた。人間の分際で、完璧でないことを嘆き出したらキリがないというのに。
「俺たちが異常進化生物を排除しなければ、連中を、こんなにスムーズに救出できなかった。最悪、死んでたかもしれない」
俺は言い聞かせるように語る。
「……うん」
ひとまずは、それで良しとしてくれたらしい。
一応、事の顛末を記しておく。
まず、俺達はと言うと「人命救助に貢献した」という事で、賞状と、褒賞として僅かばかりの現金を受け取る事になった。加えて、経歴に「人命救助」という項目が増えた。
一方、高校生たちは、幸いなことに一命を取り留めた。
しかし、無事では済まなかった。
やはり、注入された毒の量が多すぎた。彼らは数年、下手したら一生、手足にしびれが残る可能性が有った。将来、通常より高い保険料を納めることになるだろう。
肥満などの、明らかに自己の怠慢や不摂生が原因の病気。そして、犯罪行為が原因の傷病に対して、社会は驚くほど冷たい。もちろん、不法侵入による補導も記録された。今後の進路にも響くはずだ。彼らは社会に出る前に、既に幾つかのハンディを背負ってしまったことになる。
大変だな。
担架で運ばれる高校生を眺めながら、俺は他人事のように思う。
実際、他人事だ。
「証。体調は?」
「大丈夫だろ。まだ、多少は気分悪いけど」
「無理しないで」
「ヤバそうだったら病院に行くよ」
その時、警官の一人が、俺の方へ駆け寄って来た。
「全員、救急車に収容しました。ご協力感謝致します」
形式的なお礼の言葉を述べる。
「全員?」
「はい!」
運び出された高校生は、まだ、七人しかいなかったはずだ。
「本当に、全員か?」
「はい。七人全員です」
「ちょっと待ってくれ。まだ一人、いるだろ?」
警官は慌てて走って行った。しかし、彼はしばらくして戻って来ると言った。
「いえ。七人で全員です」
俺と詩が、顔を見合わせる。
「そんなはずねえよ」
何故なら、足跡は八人分あったのだから。
「ですが、無事だった高校生の話では、全員揃っていると……」
俺は、高校生たちが言っていたことを思い出した。曰く、最初の二人組と、次の二人組が戻ってこなかったので、三人の男子が様子緒を見に行った。つまり、病院に踏み込んだのは、七人。しかし、足跡は、確かに八人分あった。
「もしかしたら、まだ他にも入り込んだ奴が居るかもしれない」
俺が言った。警察は隠すそぶりも見せず嫌そうな顔をした。
「どういう事ですか?」
「途中、八人分の足跡が有った」
「緊急事態ですから、見間違えたとしても無理はないかと……」
確認しようにも、担架を担いだ救急隊や警官が、既に何度も行き来していた。最初からあった足跡がどれか、判別することも困難だった。
「高校生は全員無事だったわけですから……」
警察は言う。結局、面倒事は御免だという事だ。その反応は正しい。そもそも、こんな所に入る奴が悪い。しかし、うちの姉は、そうは思わないだろう。横目で彼女を見る。
「分かりました。お騒がせして、すみません」
ペコリと頭を下げながら、詩が言った。それを聞くと警官は足早に去って行った。
「……詩姉。今日はやけに聞き分けが良いな?」
「あそこで揉めてるより、探しに行った方が早いよ。困ってるかもしれない」
探しに行くことは決定済みだったらしい。
「何よ?」
「別に」
謎の八人目に関しては、俺も警官と同じ考えだった。つまり、面倒事は御免だ。しかし、詩はそうは思わないらしい。彼女は、助けを求める誰かを探しに、暗闇に踏み込む。彼女が勝手に進んでいくので、俺は仕方なく後に続いた。
病室や診察室を、一つ一つ確認しながら廃墟を進む。
三階の病室に差し掛かった時だった。廊下に黒い塊が落ちていた。近づいてみると、それはモグラ型異常進化生物の死骸だった。
「殺されてる。多分、人の手で」
「何で分かるの?」
「この傷口。滑らかで直線的だ。刃物だよ」
ぽたぽたと、廊下に赤い斑点。血だ。それは、目の前の部屋に続いていた。E三〇五号室。俺は懐から、一本、残っていたテルミット焼夷弾を取り出す。
「ダメ!」
詩が小声で、しかし語調は強く言った。
「死にはしない」
多分。
「それでも、ダメ。困ってる人だったらどうするの?」
「危ない奴だったらどうする?」
視線が交錯する。真っ直ぐ、迷いなく俺を見つめる詩の瞳。俺は堪らなくなって顔を背けた。
「……分かった」
代わりにナイフを抜く。刀身を艶消しの黒で塗った、コンバットナイフ。詩は文句を垂れるが、流石にこれは譲れない。モグラの死骸を見れば分かるように、相手は少なくとも刃物を持っている。
「準備は?」
詩が無言で頷いた。
スライド式の扉を、一気に開く。
目が合った。
殺意に満ちた眼。
咄嗟に身構える。
しかし、違和感を覚えた。
強烈な殺意に満ちた眼の持ち主は、驚くほどに弱々しかった。痩せこけて棒のような手足。小柄で華奢な身体。まだ子供なのかもしれない。浮浪児か。身に纏ったボロは、服なのか、布なのか、判然としない。
その人間のようなモノは、床に蹲りながら俺達を睨みつけていた。深く被ったフードと、伸び放題の髪のせいで表情は分からない。眼だけが爛々と輝いている。殺意だ。その眼は殺意に満ちている。そして、その手には刃の欠けたナイフ。
こいつは危険だ。
一歩、踏み出す。
すっ転ぶ。
一瞬、何が起きたか分からなかった。有ろうことか、詩が俺に足を引っかけていた。
「何すんだよ!」
「この子、怖がってる」
「は?」
「私たちは敵じゃないよ」
俺には目もくれず、詩がその浮浪児に向かって言った。
「くるなっ!」
そいつが八重歯をむき出しにして叫ぶ。人の声より、獣の咆哮に近い。しかし、詩はただ、微笑みを返す。
「大丈夫」
詩が言った。しかし、そいつは殺意で応える。ナイフを投げつけた。刃は回転しながら詩の顔面に迫る。俺は彼女の前に割り込むと、飛来する刃をナイフで弾く。
「危ないな」
俺が言った。浮浪児を睨みつける。そいつの眼に宿った殺意が、恐怖に変わる。上手く歩けないのか、足で床を蹴るようにして後退る。惨めな動きだった。
そいつを見下ろしながら、俺は考える。警察に突き出すべきか。それとも保健所か。答えは出なかった。出なかったので、取りあえず縛り上げることにした。考えるのはそれからだ。
一歩。踏み出す。
すっ転ぶ。
「詩姉⁉」
何をするんだ、という俺の抗議を聞き流し、詩は浮浪児の傍にしゃがみ込んだ。まるで泣きじゃくる子供にするように、同じ視線の高さから、そいつの顔を覗き込む。顔と顔の距離は三十センチも無い。
「弟がごめんなさい。でも、私たちはあなたに危害を加えたりはしないから。ね。信じて」
人間みたいなそいつは驚いて、視線をさ迷わせる。眼前の詩の顔を、直視できないのだ。詩は美しい。俺だって、あんなに顔を近づけられたら、目線を逸らすだろう。自分が醜いのなら、尚更。
そいつは観念したように、こくり、と頷いた。
「ありがとう」
詩は浮浪児を抱きしめた。
「はあ⁉」
思わず叫んだ。驚いたのは、俺だけじゃない。浮浪児は大きく目を見開き、口をパクパクしていたが、やがて身体から力が抜けた。
窓からは静かに月光が差し込んでいる。
俺はその様子を見て、コンバットナイフをケースに戻した。
「足、見せてみろ」
俺が言った。ビクッ、と浮浪児は身構える。
「取って喰いやしない」
「説得力無いよね」
詩が言うと、そいつはコクコクと頷く。
「失礼だな」
俺は半ば無理矢理、浮浪児の足を取る。そいつは痛みで顔をしかめた。
「触診だ。我慢してくれ」
右足の、くるぶし辺りが腫れていた。
「……骨は折れてない、と思う」
バックパックから医療キットを取り出した。抗炎症剤を塗り込んでやる。
それにしても臭い。こびりついた汗と垢の匂い。はっきり言って、吐しゃ物に近い。詩は、よくこんなのを抱きしめようと思ったものだ、と感心する。
「お前、こんな所で何してたんだよ?」
沈黙が気まずいので、俺は訊いた。
「……にげてきた」
「逃げてきた? 何から?」
そいつがたどたどしく語る事によれば、寝床で寝ていたところ、見知らぬ男達に襲われたらしい。銃まで持ち出してきた連中から、浮浪児は必死で逃げたのだという。
「そうか……」
妙な話だ。こんな浮浪児、わざわざ銃まで持ち出して、何の目的で襲うのか。物盗りはないだろう。明らかに金なんて持ってない。
考えられるのは、殺人そのものが目的の場合か。人を殺す事に快楽を見出す人間も居る。青色地区の浮浪児なんて格好の標的だ。戸籍も、身寄りも無い。反撃される恐れも無い。
胸糞悪い話だ。
ともかく、浮浪児はその襲撃者を撒いて、この病院に逃げ込んだらしい。
それにしても運の無い奴だ。
逃げ込んだ先は、知っての通り、モグラ型異常進化生物の巣窟だった。案の定、襲われた。それでも、辛うじてモグラを振り切って病室に身を潜めたらしい。しかし、その際に足を怪我した。身動きが取れず困り切っていた所に、俺達が来たのだという。
抗炎症剤のチューブを放る。浮浪児は両手の平で、それを受け取った。恐る恐るといった様子で、俺を見上げる。
「驚かして悪かったな。そいつは詫びだ。……詩姉。行こう」
「うん。あなたも、立てる?」
そう言って姉は、浮浪児に肩を貸していた。
「詩姉。何やってんだ?」
「何って、肩を貸してたんだけど……。あ。おんぶの方が良かった?」
「そうじゃねえ。そいつを、連れて帰るつもりか?」
「え?」
そのつもりだけど、どうかしたの。
詩の顔には、そう書いてあった。
俺は思わずため息を吐く。
「浮浪者に遭うたびに、全員、助けるつもりか?」
この青色地区に、何人そんな連中が居ると思ってるのか。キリがない。
「だけど、怪我してる」
詩が言った。
さて。
これを説得するとなると、骨が折れそうだけれど。
俺はちらりと浮浪児を見た。痩せこけて、汚らしくて、怯え切っている。そいつを見ていると、一瞬、嫌な記憶が浮かんだ。ゴミ山で金目の物を探し、命を繋ぐ子どもたち。
昔の俺達だ。
俺は盛大にため息を吐いた。
「……分かった。怪我が治るまでだ」
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