利己的な理由によって神は死ぬ事となった。

黒不素傾

諦観と追憶

ガラガラという音で目が覚めた。本坪鈴ほんつぼすずからのものだ。その音は普段聞き慣れてしまった風のイタズラと違い、明らかに人が作為的に鳴らしている時の音だった。

懐かしすら覚えるその音に、そっとやしろの内から覗くと、一つ一つの作法を丁寧にこなしていく律儀な男がいた。人の老いには無頓着なので断定はできないが、若い大人くらいの見た目だ。

鈴をもっと盛大にかき鳴らしてくれればシャキリとするのだが……眠気を振り払おうと思いっきり伸びをする。久しぶりに信仰を得だ事で自然と体が軽くなる。

 もう一度男を見る、ゆったりとした動作で礼を終えて上体を起こすところだった。


「うへぇあ!」


自分でも信じられない程に間の抜けた声が出た原因は、男とかなりばっちり目が合ったのだ。それも、視線上に偶々入ったと言うわけでなく、向こうがこちらを認識した事をはっきりと感じた。

 ええい! このままでは物の怪もののけと勘違いされ逃げれてしまう! せっかくの信者なのに! と弁明するために慌て、後先考えずに戸をすり抜けて男の前に飛び出した。

それこそ、不意打ちに失敗し、強硬手段を取る化け物や賊と大差ない出現の仕方だったに違いない 。 

 恐怖や驚きで白痴にでもなられたら敵わないが慌てた時は、例え神様であっても、そこまで頭が回らないものだ。まさに咄嗟に体が動いたというものだ。

 実際のところ当の本人は多少驚きはしたものの、呆気からんに「あなたは…神様?」などと抜かしていた。

 よほどの胆力の持ち主か絶望的に鈍い感覚の持ち主かのどちらかだった。

 どちらにせよ、相手がそのようなに堂々とした態度なわけだ。こちらもそれ相応の振る舞いをしなければならない。

 期待通りの神々しさを出すようにその問いに答えた。


「いかにも。儂がここの主ぞ! 貴様こそ何者か!」


 ここで、普通に参拝客と名乗られたら私はどう反応していただろうか?

 向こうもそこまで粋な答えは浮かばなかったようだ。男の顔に動揺とは別にこの男なりに何かを理解したのだろう。

 「これは失礼しました」と深々と頭を下げた。


「……私は、訳あって国中の神社を巡っている者です」


簡素な自己紹介だ。巡礼の旅だろうか? だが、僧にしては変わった格好をしている。もっとも人間の格好など、沢を流れる木の葉のように流動的で記憶など何のアテにもならない。


「国中の神社を? 修行僧か? 呪い師か?」


その男はそうのような類では無いと言うのだがどこか歯切れが悪い。


「神にも言えぬ事か? まさか鬼が反魂術はんごんじゅつの類ではあるまいな?」


それも違うという。万が一、死者を蘇らせようなど企てる輩だったら喰らっていただけの事だが。違うとなると……これまた話が見えてこない。


「あるモノを探して回っていました」


儂より頭一つ以上は大きい男が、蚊の鳴くような声でそう漏らした。これが妙に引っかかる物言いだった。


「話せ。 儂は暇しておる。 話さぬのならこの境内から出さぬかもしれぬぞ?」


やや強い言葉を使ったが、怯む様子もない。それどころか、辺りを見回し、「長閑のどかで綺麗なところだ」とか、「ここに囚われるのも悪くない」などと抜かしおる。

世捨て人なのだろうか?


「うむ。ここは見た目には美しいかも知れぬが、時間ですら避けて通ろうとする程何も無いところじゃ。

儂とてここは気に入らぬ。前の場所の方が余程、居心地が良かった」


ここで初めて男の興味を引いたらしく。男が口を開いた。


「前の場所とは?」


それだけだったが、言わんとする事はよく分かった。久しぶりの話し相手だ。存分に堪能しよう。

 男の横をすり抜け、悠久の時を経ても迷う事なくその方角を指差す。そして、自然と記憶が辿りその場所を、その情景を鮮明に蘇らせた。


「儂はな、人間には想像も出来ない程に昔じゃがな、この山の向こうの向こう。今は沈んでしまった村を治める守り神だったのじゃ」


男は見えるはずもないのに儂が指差す方向を目で追った。


「山の向こうの向こう? 確か、大きなダムがありましたよね。それと関係が?」


ダム?確かに村の衆はそのような事を言っていたような気がする。


其奴そやつのせいじゃの。そのダムとかが村を沈めよったのじゃ」


うんうんと頷く男。そして、顎に手を当てて何かを考えるようにして呟く。


「確かに、ダムの上流に村があった場合、沈んでしまった可能性がありますね。ですが、それなら村が沈んだのはせいぜい数十年前でしょうか? それほど昔では無いと思いますが、いつ頃か分かります?」


「そんなわけあるか。そもそも時代なぞ知らぬぞ。人間の定規など分からぬ。しかし、人間の勘定にしても相当古いはずじゃ」


それを聞いてまた深く考え込む男。

人の身には理解できない話なのかもしれない。


「その村は……思い出深い土地なのですか?」


「思い出深いもなにも、そこでただの畜生にすぎなかった儂は、神へと祭り上げられたのじゃ。つまり儂の誕生の地じゃ」


「畜生だった?」


「うむ。儂は元々、ただの蛇じゃ。猪も人も熊さえも一飲みにできる程の大蛇じゃったがの。ほれ、見てみろ」


袖から、敢えて人の手に純白の鱗を生やして見せてやる。ついでに舌も先が二又に分かれたそれを見せつける。

……トカゲなどと言ったら丸呑みだ。

儂の顔と手をまじまじと見つめる男。恐怖で声が出せないのだろう。


「綺麗…ですね。」


此奴は何を抜かしておるかと一瞬呆気にとられた。そしてすぐ全身を蛇のそれに変化させ威嚇をする。


「たわけっ! 人の身で儂を評するでない!儂の本質は祟り神ぞ!! 呆けた事を抜かすと生きたまま喰らうぞ!!!」


我ながら凄まじ剣幕で詰め寄る。

男もさすがに社から境内の真ん中あたりまで後ずさりをし、逃げれないと諦めたのか俯く。

 その額に鼻先を付け、唸るように声を出す。 


「口を慎め!分かったか!?」


俯いたまま頷く男。

人の姿では見上げていたが、今の儂ならこの程度の大きさなら後7、8体分は軽々と平らげられるだろう。それほどの体格差。どれだけ度胸があっても身の危険は感じているだろう。それで十分だ。


「人間はこの儂を上手く利用しておったじゃぞ、作物を荒らす獣を儂に捧げ、儂の縄張りの中で集落を作って共に暮らしておった。それが長い年月を経て儂の存在すらも変容させる程に密接になっていってのじゃよ」


姿を元に戻しながら社に戻る。まさかと思ったが男は儂を追ってきた。


「全く。神を畏れぬか? 全く、全く。イカレとるのう。じゃがの、その村にも似たような戯けがおった。罰当たりにも儂の聖域に入り込み、祟り神として恐れられていた儂を縛っていたかなめを壊しおったあの小僧に比べれば、貴様の方がまだ正気と呼べるかもしれぬな」 


 久方ぶりにある小僧の事を思い出した。其奴もどうしようもない戯けでうつけだった。

 反応の薄くなった男をよそに儂は一人で思い出を語った。


「儂は祟り神と恐れられていたがの、余程の事がない限り警告で済ますような親切な神じゃった。それ故、大事に信仰されておったじゃぞ、それこそ村にあった神社にはよく村の子供が遊びに来ておった。それでじゃ、儂は故にその中にだれにも気がつかれる事なく混じって遊んだものじゃ。散々遊び回って最後には日が暮れて皆が帰る。儂だけは境内から出れず、そこで別れるのじゃがな。その小僧がそれを不便に思ったらしくてのう。やたら儂を気にかけるようになってな………まぁ、それ自体は珍しい事ではなくの時々おったのじゃよ、儂の事に気がつく者がな。じゃが、其奴がまた、一等しつこくてのう。蛇の儂だったら何も考えずに過ごしていたのにのう。神としての儂は人間を認識出来た故、その所為で……色々考えてしまってな。なぜか分からぬが、よせばいいのに、其奴の質問には全て答えてしまった。どうやったら儂が境内の外に行けるかなどもな。そして、そのガキはそれを実行しよった。儂を縛るくさびを抜き取りおったのじゃ。自由を手に入れ、束縛のなくなった儂はそのガキと村中どころが村の外まで出て遊んだものじゃ。

 しかしのう、日が暮れるように何事にも終わりがあるのじゃ。いや……夕方を介さず日がくれたようなものじゃった。いつのまにか、その小僧を全く見なくなってのう、来る日も来る日も待てども暮らせど来なくなった。そうこうしておると儂はまた縛られ、そいつを探す事もできなくなった。言うに及ばず。恐らく儂を解いたのが見つかったのじゃな。最後の記憶は声だけじゃ。村の衆に酷く怒られたようじゃった。

儂にとって解れた事は何の問題はないのじゃがな。別の地に移る気もなく。そのまま居座るつもりじゃったからな。ところが村の衆共はそうはいかぬ。人間は過去との繋がりと群れのためなら自らの子すら差し出おるからの。其奴も村を追い出されたか……儂の知らぬ間に生贄にでもされてしまったのかもしれぬ。それ以来じゃな、儂も何かを失ってしまってのう。其奴に関しは与えられる以上のものを、必要以上に与える事を望んでおったからな。ただの神ではなくなってしまったようじゃ。それがさらに高位の存在の怒りに触れたのかもしれぬ。じゃから村も沈められたのかもしれぬ。この辺鄙へんぴな所に移されたのも必然かもしれぬな。ここで消えていくのが儂の宿命じゃな」


「神様も死ぬのですか?」


男がまた蚊の鳴くような声でそう尋ねた。


「信仰を失ったからのう。死ぬというより消えるのじゃ。泡沫が弾けるように忘れらて存在しなくなるのじゃ。これでも衰弱しておる。ここに居るのが不思議なくらいじゃ。まだ誰かはわしを恐れておるのやも知れぬ」


男がわずかに身じろぎをする。何かを言うために勇気を絞っているのが伝わる。

そして、大凡何を言いたいかも感じる。


「無駄じゃ、貴様一人なんぞで何も出来ぬ。じゃから忘れろ。儂は過去の遺物と成り果てる。忘れて進め。そうじゃのう…その小僧もよく言っておったのじゃよ。儂がな、お前の事は今生の限り忘れんぞと言うのに対しての其奴はこう返してきてな。確か…忘れない……」


「「だけじゃ意味が無い」」


…声の重なる違和感を感じて口を紡ぐ。


「今日が、君の未来になりますように。でしょ?」


得体の知れない悪寒に肝を冷やし、すぐにその場を飛び退く。


「は、図ったな! きっさまぁ!! 何者じゃっ?!!!」


「何者って、あんたの言うその小僧だよ。そうだなぁ…あんたを縛ってた楔は返しのある、装飾された15センチくらいの釘だったよな」


「な、何故それを…」


だから、俺なんだって。男はやや呆れたように肩すくめて言った。


「う、うつけが! 人がそれ程生きるわけなかろう!そもそも容姿も一切似ておらぬ!」


「あの村に住んでたのはまだ十にもいかない頃だからな。そりゃ、成長するさ。容姿も変わって当然さ」


「ほほう。成長と抜かしおるか。じゃあ、なんじゃ、その成長の為に妖とでも混ざったか? 秘術の類に手を出したか? 人でありながらどれだけ生きたと宣ってみせるのじゃ?」

睨みつけながら男の一挙手一投足を伺う。もし妙な真似をしたら即座に噛む。飛びかかる事が出来るよう姿こそ人のままだが、口内には既に毒こそないが鋭い牙を隠している。


「二十六年、あんたからすれば一瞬のような時間だけどな、人の身からするとなかなか長いぞ。あんたを探し続ける十八年も相当長かったよ」


あまりにもお粗末な嘘に虚を突かれる。


「阿呆が!そんな短い時間であるわけなかろう!」


その程度で儂の記憶の正当性を揺らがせると思っているのだろうか? 

 男は、「分からんかなぁ……」とぼやきながら頭を掻く、そして、こぐ自然な動作でこちらに詰め寄ってくる。

 こちらとて、やすやすと向こうの間合いに入るつもりはない。来るなとカッと歯を見せながらさらに睨みつける。


「あんたは、満月と新月の間がどれほどあるか分かるか?一年に何度日が昇るか知ってるか?」


「それがどうした!?そんな小さな事など考えたこともない!」


「どれだけ時間が流れたのかすら分からないのに。じゃあ、どうして、あんたの身体を繋いでた、蛇を模した装飾の柄にわざわざ穴を開けて釘の通してある刀剣の釘を抜いた子供がもう死んでると信じてられる?」


ある意味で儂の猜疑心の核心を突いた言葉だった。もし、不死の秘術や延命の呪術、妖との交配があった場合、魂を除いて肉体は人のそれから作り変えられる。それは、つまり想いと別系統の記憶はほとんど消去されるのだ。あの剣の外見なんぞを覚えておるという事はその手の類に手は出していないという事になる。そして、その考えとは別に閃いた事がある。それは、かなり短絡的な思考だった。

それは、何がどうあれあの小僧とまた会えたならそれで良くないか?というものだ。これがなかなか自分に効果があった。そう考えると急速に敵愾心を削がれる。


「儂は…そう…思っておる……」


情けなくなるほど弱くなった語気。再会を受け入れるという事は年月をかけて思い出に昇華した悩みをまたぶり返してしまう事にもなった。


「違う。違う。そう思わないとやってられなかった。違うか? なんやかんやで辛かったのは俺だけじゃなかったとお見受けできる…なぁ?」


見透かすような言葉とどこか虚無的な笑み。

自分が一握りの意地の中にどうかこれが現実であってくれという願望が浸透していく。


「うぬぅ…神通力まで覚えたか。さすがあの童じゃ」


「やっと認めたか。わがままな癖に変に気丈に振る舞うあたり、さすがあの神様だ」


確かな意思を持ってこちらを見つめる二つの眼。確かに記憶の中が時折見せた目と似ている。

静かに歩み寄る。言葉も忘れて、記憶の中の小僧と目の前の男を照らし合わせる。顔を近づけてまじまじと眺めると、顔の輪郭、目、鼻、口、一つ一つを視認し。呼吸まで感じる。なかなかに端整な顔立ちだった。

これがあの小僧かと思うと。ついぞ、その頰に手を添わせたくなる。吸い込まれるようにその唇に唇を重ねたくなる。

それは蛇の習性でも、神の思考でもない。変容した儂の心に起因する衝動だった。

無意識に顔を上げたとき、慌てて男に背を向けて距離を取る。

それでも、神と人の境は越えれない。いくら弱っていようとも神としての力が今の儂の根底にある以上、今その境を越えれば何もかも失ってしまう。むしろ考えるべきは何故、私はこれ程までにただの人間に過ぎないこの男に執着するのだろうかだ。 


「なぜ、ここに来た?」


意図して平坦な声で問いかける。


「なぜって…昔と変わらないよ……」


声の発信源が徐々に背後に迫ってくる。

声が真後ろまで来た時、背面から儂を挟むように男の両腕が伸びた。

捕まえようとするそれを背を反らす事で避ける。

天と地が逆転した視界の中で唖然とする男の顔をしっかりと捉えた。

男から視線を離さずに体の反転させて向き直る。それから上体を起こした。

わざわざ、人並み外れた芸当を見せてから、なるべく歪んだ笑顔を作った。


「昔と変わらず…なんじゃ?」


「いや、なんか寂しがってるかな思ったんだ」


「ぬっ、抜かせっ。じゃが、前にもそう言ったな」


男は首を傾げた。どうやら覚えてないらしい。


「た、確か、儂を放った事を咎められた時じゃ。謝りにきたじゃろう?」


「あんたが縛り直された時?」


「うむ。雁字搦めでのう。社の中から動けんかった。それでもお前の声は聞こえていたぞ。なぜこんな事をしたのかと問い詰める神主に貴様はそう返しておった」


「神主、あのやたら怒鳴るクソジジイか。そんなこと言ったかなぁ」


「儂をはっきりと覚えておるぞ。それ以来、ぱったりと来なくなっからな。それこそ儂の知らぬ間に人身御供にでもされたかと思うとったのう」


「まぁな…ただでさえダム建設で揉めてた時期で村中がピリピリしてた状況に村の守り神を愚弄したとなればその地には居られなくなったよ。夜逃げ同然で引っ越したからな。あんたには別れも言えずじまいだったな」


言いに来て欲しかったと文句も言いたいが。こちらもさらに大事な事を思い出した。


「おい、お前。儂のことどう思ってる?」


脈絡がなさ過ぎて理解するのに時間を要していた。なんだよ急にと眉間にしわ寄せる男に所謂、衝撃の真実とやらを教えてやる。


「あの神主じゃかのぉ…お前さんの一件の咎で儂が絞め殺したのじゃ。バキボキと骨の折れる音がしなくなるまで。押し出せる物が全てを押し出されるまで締め上げて。祟り殺してやった。そんな儂を、貴様はどう思う?」


話終わってから自身でもなぜこんな話をしたのか分からない。男が良い反応をするとは思えないが、思いのほか、少なくとも見かけだけは平静だった。


「何か理由があったんだろう?」


「うむ。儂から貴様を奪ったからのう。それも儂の名を語って勝手にじゃ」


「そっか。別に何も思わないよ」


「何故じゃ?!」


男の答えにむしろ、儂の方が衝撃を受けていた。


「何故って、別に俺は博愛主義者でもないし、あんたは神様って存在だから治外法権だろ?」


「それは人としてどうなんじゃ?」


「たぶんな、大半の人は、祟り殺される当事者かその関係者にならない限りなんとも思わないよ」


「人も怖くなったのう」


「どうなんだろうね。」


お互いに口を噤む。社が軋む音と重なりあう葉の重なるだけが響く気まずい沈黙だった。


「話は変わるがのう。お前さん。女子は出来んかったのか?」


「え?そんな流れだった? 今?」


「気にしないのじゃろ? 話したい事はたくさんあるのじゃ」


やれやれといった態度を取ると男にもう一度返答を迫った。


「恋人の事か? まぁ、それなり親密になった人はいたけど?」


「………けど、なんじゃ?」


「神様よりいい女っていないじゃん?」


男は、やや茶化すようにしてそう言い放ったが、儂はその言葉を何度も反芻した。


「では、その為に来たのじゃな?」


「両思いならそれもありかなって思ってるよ」


「なんじゃそれ。不遜な物言いの上に煮切らぬな」


「俺は、あんたがここに居るって分かったらこの山なり土地なりを買い取ろうって思って確認の為に見に来たんだ」


「儂を囲うてはなく、飼うつもりだったと?ますます不遜じゃな」


「ちげぇよ。神社を移動させれるって事はそれにまとわりつく柵も切り離せるって事だろ? この神社を取り壊すなりしてさ、あんたを誰も知らない所に移そうって思ってたのさ。そうすればあんたは自由の身になるだろうって計画だ」


「それじゃと儂は消えるぞ」


「浅はかだった」


「方法はある。お前だけが信者の密教なら、儂は恐らく力をあまり失わずに、お前がいる限り残れる事ができるかもしれぬのう」


「それはつまり、死ぬのも一緒になるのか?」


「そうじゃのぉ。儂らは人がいてこその存在じゃ、表裏一体とでも言おうかのう。人がいるから人以外もいるのじゃ、表が無くなれば裏も存在しないじゃろう」


「それなら…」


「野暮な事を言うでない。幾人からの信仰は確かに多方からの光源じゃ、儂の存在も揺るがなくなる。それを、一人に絞るという事は蝋燭の様に儚いものじゃろう。じゃがの、揺るがぬ存在というのは不自由はせぬが自由はないからのう。飽きたのじゃよ。もう決めたのじゃ。それに今言おうとした事で何故儂がお前の事をやたらと覚えているのか分かったのう」


「俺はあんたの下僕的な存在? それか運命的なもの?」


「そんな得体の知れぬ迷信ではない。おぬしは儂を神としてではなく、儂の存在そのものを見ておるからじゃ、考えもせんかったが、信仰の純度、心の距離とでもいうのかのう。それ故に他の者より繋がりが強くなったのじゃよ。そんな奴他におらぬかった」


「まぁ、確かにあんたの事を恭しく思った事はないね」


「それは聞き捨てならぬ!」


「見た目もアレじゃん」


「アレとはなんじゃ!」


「高校…いや中三くらいの女の子じゃん? 昔は確かに憧れたけど性格はそんなんだしさぁ」


「なんだとぉ! 意識せずに鱗が逆立ったのなど何百年ぶりじゃあ!」


「チョコバー三本あげるから許して」


「物で釣るなでない!」


こんなたくさん喋ったので顎が痛くなってきた。顎の噛み合わせを確かめていると男は目の前に三本の黒く短い棒を差し出してきた。

「チョコレートの菓子だ。甘いぞ。あんた甘いもの好きだったろ?」


「うむ。好きじゃが………もう弱体化しておってのう信者の体程度なら触れらる、神通力も使えるがもう物は持てぬ。生き物の理に直接の干渉はできぬのじゃ」


「……俺だけじゃ足りないのか」


「端的に言うとそうじゃ。この土地を守る為に力を使わされるからのう。縁を切れば余裕も生まれるじゃろうがな」


「選択肢はないな。これはお供えとして置いてくよ。帰ったらすぐに計画は進めるよ」


「それはいいのじゃがの。なぁ、おぬし。おぬしは儂をどうしたいのじゃ?」


「…まずは誰にも邪魔されずに二人で過ごしたいね。ゆっくりいろいろ話したい」


「なんじゃ?あっさりしておるのう。もっと情熱的なものを期待しておったのじゃかのう」


「それは悪い。ただ、あんたと会うことばかりでその先なんて考えてなかったんだ」


裏を返せば脇目も振らずに探し回ったという事か…それも相当な時間をかけてだ。なかなか痺れるのう。聞き出した言葉にただ何度も頷く事しか出来なかった。

 無粋にも余韻を振り払い。「じゃあ、また来るよ」と立ち去ろとする男を引き止めて先ほどの意趣返しとばかりに後ろから抱き着く。


「おいおい、またすぐ来るから大丈夫だって」


「少々気張れ、長い抱擁じゃからな」


え?と素っ頓狂な声を上げる男。なかなか以心伝心とはいかないものだなと思いつつ。男の胴に回した腕に力を込める。肋骨が撓む感触を腕と胸で感じ取り力を抜く。

酷く咳き込みながら涙目で睨みつけてくる男に満面の笑みを向けた。


「今、貴様に儂の締め跡を付けてやった。これでどんな災いも寄ってこれぬ。例え、目を瞑って転がりながら下山しても無傷で帰るじゃろう。礼には及ばぬ」


男は呼吸が整わぬまま片手をひらひらとさせ千鳥足のまま歩き出した。礼か別れの挨拶か、どちらにせよ簡素なものだった。


「おい!小僧!頼んじゃぞ!じゃが、儂は今や風前の灯じゃ!あまり悠長に待てぬかも知れぬ!」


鳥居を出た所で男が振り返り


「分かった。急ぐよ。かかっても一週間だ。間に合うように祈っておくよ」


そう大声で言うと、男は右手の人差し指と中指を交差させた。


「馬鹿者! それは異教徒じゃ!」


手を振りながらまた歩き出す。既に足取りはしっかりとしている。

男の姿が林の中へと消えて行く頃、気恥ずかしいながら小さく手を振った。

男の姿が見えなくなってから、円縁に置いていかれたチョコバーとやらに恐る恐る手を伸ばす。確証は無かったが触れる事が出来た。

手に取り、ツルツルとした感触の外皮をしっかりと握り、先端の薄い棘の並んだ部分に気をつけながら三分の一程食い千切った。

外皮は味も無く食感も悪く食すに適さなかった。その中身はどうだろう。

 サクサクとした食感と強い香りが鼻を抜け、濃厚な甘みが口に広がった。


「なんじゃこれ!美味いのうっ!」


一本を十分に堪能し、指に張り付いた黒いカスも行儀が悪いが舐め取る。懐かしくも新鮮な感覚、物が持てた事実に感動すら覚えた。


「これ程までに力が戻ってくるとは…全く狂信者め。想いが強過ぎるのじゃ」


上機嫌になり、円縁に寝そべる。


「早く来ぬかのう………」


次に男が諸々の書類を携えて神社を訪れたのはこの日の五日後だった。

その時、この神はこれ程待つ事が辛く長かったのは初めてだと、より力を増した神通力をもって男を責め立てた。そして、もう置いて行くな、早く連れて行けと泣きついた。

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