第26話 琉生と勇哉の出逢い

 夕飯を済ませ、琉生が到着するのを待っていると病室のドアをノックする音がした。お父さんがドアに向かっていると、ゆっくりとドアが開いた。


「勇哉!どうしたの?」


思わず私は、声がひっくり返りながら言った。


「お父さんが来週お母さんが退院するって聞いたから来てみた」


勇哉とはもう逢わないと思っていたのに、思いがけず逢えたことに心が躍っているのを感じながら、それを抑えるように、


「お父さん、来ていいって言ってた?」


できるだけ平静を保ちながら尋ねた。


「お父さんが行ってやれって。今日はお母さんのお父さん…えっと…おじいさま…が来てるから一度逢っておけって」


勇哉の口からは色々こそばゆい言葉が並んだ。

まず勇次郎がここに来ることを促したこと。そして、お父さんのことを”おじいさま”と呼んだこと。


勇哉がお父さんに…いや、おじいさまに逢うのは今日が初めてだ。当然、呼んだこともないし、きっとここに来るまでの間に「どうやって呼んだらいいんだろう?」と考えていたに違いない。それを想像すると、なんだか我が子がなお一層愛おしく感じた。


「おじいさま…って父さんのことか?」


お父さんは、私に向かって尋ねてきた。


「他に居ないでしょ?」


お父さんは、思いきり照れているのが分かったが、あえてそこはツッコまず答えた。


「いやぁ~、おじいさまはやめてくれないかな?」


やはりお父さんは、そんな呼び方は受け入れられなかったようだ。


「あ、あの…はじめまして。勇哉です。えっと…おじい…えっと…」

「おじいさまでいいよ。そう呼ぼうって決めてきたんでしょ?」


勇哉が困っていたので、私は言った。お父さんは「えっ?」という顔をしていたが気付かないふりをした。


「…あ、じゃあ、あの…おじいさま。お逢いできてうれしいです」


勇哉はそう言うと深々と頭を下げた。それにつられるようにお父さんも頭を下げ、


「初めまして」


と一言だけで答えた。


「孫に敬語?」


私は思わずツッコまずにはいられなかった。私のその言葉を聞くと、お父さんは頭を上げ


「そうなんだが…どう接していいか…」


と本音を漏らした。もちろん勇哉も同じ気持ちだろう。


「勇哉。お婆様とは違うから、緊張する必要ないんだよ。それより、もう逢えないと思ってたから嬉しい」


勇哉の緊張がダイレクトに伝わってきた私は、ついそう言ってしまった。勇哉も頭を上げたが、その表情はやはり緊張していた。顔をあげながら、その緊張顔は少しずつほぐれてくるのが分かった。


「勇哉君というんだね。そうか。俺の孫か…」


お父さんの顔は、重力に逆らう筋力がないのかと思うほど緩みきっていた。目なんて落ちてしまうんじゃないかというほど、ほとんど開いてないくらいだ。こうして勇哉を紹介できる日が来るなんて思ってもいなかった私も自然と顔がほころんだ。


「立派な青年だ。しっかりしてるし。ただ、おじいさまはやっぱり…」


まだ言ってる。相当気恥ずかしいのだろう。


「じゃあ、じいちゃんでいいんじゃない?勇哉、おじいさまって恥ずかしいみたいだから、気楽にじいちゃんでいいよ」


勇哉に私が言うと、勇哉も、


「うん。分かった。じゃあ…おじいちゃんで…いいですか?」


とお父さんに、いや、おじいちゃんに向かって尋ねた。お父さんもそのくらいならと納得した。病室内は、温かさが溢れていてとても心地よかった。最後に勇哉とお父さんを逢わせることもできたし、勇次郎の配慮に感謝した。


 しばらく、3人でなんてことない話をしていると、再びドアをノックする音がした。


「藍子さん、お父様のお迎えの方がいらっしゃいましたよ」


ドアの外にいたのは、看護師だった。その後ろには琉生の姿もあった。


「あ、ありがとうございます」


私は、看護師にお礼を言うと、看護師は軽く会釈し、その場から去って行った。残された琉生は、病室に入るなり、


「お前が、藍子の子供か?」


と不躾に勇哉に向かって言った。勇哉が動揺しているのが分かったから、


「変なオヤジが!順序ってのを知らないの?」


琉生に向かって私が言うと、少し勇哉は驚いていた。


「お母さん?そんな喋り方するの?」


勇哉にツッコまれ、私は何をツッコまれてるのか理解できなかった。


「ん?そんな喋り方って?」

「オヤジとか、初めて聞いたし、俺と話してる時とも違うし…なんか驚いた」


オヤジとか、初めて聞いたって、私たちの周りにそう呼ばれそうな人はいなかったのだから、私の口からオヤジという言葉が出るはずがない。でも喋り方が違うというのは、正直分からなかった。


「お母さん、楽しそう」


勇哉にそう言われ、ハッとした。勇哉との時間の時だって、私は楽しかったのに、たった一言だけで勇哉が楽しそうだと言うのだ。今まで伝わってなかったのかとも思った。


 私が動揺している間に、勇哉は、


「初めまして。勇哉です。えっと…」


自己紹介したはいいが、琉生が何者なのか知らない勇哉は戸惑っていた。


「変なオヤジさん」


私が言うと、


「おいっ!」


間髪入れずに琉生はツッコんできた。そして、勇哉に向かって


「初めまして。藍子…お母さんの実家の隣りに住んでる平塚琉生。お母さんに小さい頃よくいじめられてたかわいそうな幼馴染です」


と自己紹介を始めた。


「えっ?いじめられてた?」


おそらく勇哉のまわりには、琉生のような変なテンションの人物はいないから、どう接していいのか分からないのだろう。


「あのね、平塚琉生さん。うちの勇哉は育ちがいいので、おかしなこと言わないでいただけますかね」


私が言うと、


「あ~、すみませんね。もうすぐ出戻る藍子さん。俺は育ちが平凡なので、これが普通のこと言ってる感じなんですよ」


琉生も私の口調に乗っかってきた。その様子を見た勇哉は何かを思い出したようだった。


「前に、お父さんが言ってたお隣さん!目つきも言葉遣いも態度も下品な…あっ…」


思わず口を押え、言葉を止めた勇哉だったが、ここにいる全員の耳にしっかり届いてしまった言葉に、お父さんは大笑いし、私は大きく頷いた。


「勇哉ぁ~、それって誰のことをお父さんに教わってたのかな?」


琉生は勇哉に近づき、肩を組むとニコニコしながら尋ねた。


「あの…すみません…えっと…お母さん!」


こんなフレンドリーな接し方をされたことがなかった勇哉の動揺は、相当なものだったが、なぜか私はその光景が楽しくて仕方なかった。私に助けを求めるように、目で訴えているので、


「琉生。しょうがないでしょ?そういう印象だったってことなんだから。でも鎌倉家で、関係者以外の人のことが話題になるなんて滅多にないんだから、ある意味光栄だと思ったら?それに下品なのはホントのことだしね」

「俺のどこが下品なんだよ!誠実で、思いやりがあって、男前で、下品なところなんてひとつもないのに!」

「自分でそういうこと言っちゃう時点で下品だっての!それより、勇哉に寄りかかるのやめなさいよ!」

「コミュニケーションって知ってます?藍子さん。これが俺流のコミュニケーションなんだけど」

「あんたはいいかもしれないけど、勇哉は困ってるの!離れろ!」

「へいへい」


テンポよくポンポン出てくるふたりの言葉に勇哉は完全に圧倒されていた様子だった。琉生から離れられた勇哉は、


「あの…お母さん、来週退院するので、よろしくお願いします」


突然勇哉は、そういうと琉生に向かって一礼し、次におじいちゃんに向かっても一礼をした。それには、お父さんも琉生も一瞬、動きが止まった。


〈そうか!勇哉はお父さんにこれを伝えたくてここに来たのかもしれない〉


私は、勇哉が来た理由がようやく分かった。勇次郎から言われたわけではないと思う。勇次郎は、おそらくただ逢いに行くなら行けばいいくらいの気持ちで言ったんだと思うが、勇哉はそう言われた時から、私のことを頼もうと思っていたんだ。


 勇哉のこの言葉で勇哉がここに来た理由が一瞬で分かった私は、胸が熱くなるのを感じた。我が子ながら、こんなに立派に成長してくれていることに、出来るなら大声で「うちの子はこんなに素敵な子です!」と叫びたい気分だった。

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