第4悪「悪魔将軍」

 そうだった、そうだった、そうじゃねーか。


 まあ、俺はまたいくつもの山を越え谷を越え、自分の故郷アグリアに戻ってきたわけだが、当然俺は脱獄者だ。この故郷アグリアではより一層、監視の目が厳しくなっているということは言うまでもなかった。


「あーそういや、俺、逃げてきたんだった」


 遁走しているという意識が全くと言っていいほどなかった俺は自分が追われている身だということをすっかり失念していた。


「あーあーあー。どうするかな」


「あ、お前、祁答院じゃね?」


 路地裏で声をかけてきたのは知らない男。どうやら俺の名を知っているらしい。


「俺はお前の言う通り、祁答院メギドだ。何か用か」


「お前に懸賞金が懸かってるみたいでよお。どうにか捕まってくんねえか」


 無理な相談だった。もう一度あの無機質な空間に幽閉されるのは御免だ。


「すまないな。俺は急いでいるんだ。悪いが他をあたってくれないか」


「他をあたれるわけねえだろうがよお! 悪いのはお前だろうがよお!」


 どうやら俺の放った一言は奴を激高させてしまったようだ。


「お前は俺が殺してやるよ! 極悪殺人鬼、祁答院メギド!」


 極悪殺人鬼なんて大仰な名前をつけられたものだ。メディアは俺のことをそうして報道しているのだろうか。そうだとしたら是非とも訂正して欲しいところだ。


「正義と正義がぶつかり合うだなんて言葉があるけどよお、どっちも正義だと思ってるみたいな考えがあるけどよお……」


――そんなのって可笑しいよなあ!


「悪人を滅ぼす俺が正義で、極悪殺人鬼のお前は悪だ! そうだよなあ!」


 ポケットに忍ばせていたナイフを縦に横にと振りながら奴は言った。


「俺には、金が必要なんだ! 家族を養うための金が! こうでもしないと金が足りないんだよ! だから! 俺の正義のために!」


――死んでくれよ! 悪人!



 数分後、路地裏で血祭りに上がっていたのはナイフを持っていた男の方だった。


「狂ってる、やっぱりお前は狂っている……」


 顔面蒼白の彼を俺は嘲笑っていた。


 はっはっは。


「狂ってる? いつでも俺は正常だ。絶対悪というものは存在しない。悪いと分かっていてもやってしまう。悪が正義に駆逐されていい道理はないんだ。そう、お前が正義で俺が悪だったとしてもだ」


 俺はこうして故郷アグリアを後にした。もちろん俺は、国家の陰謀を打倒するだとか、世界平和のために綱紀粛正を図るだとか、そんな正義感に満ち溢れた人間ではない。


 悪いと分かっててやってるんだよ、俺は。



「俺は親を殺した……」とか言っていつまでも自分を責め続ける怯懦な者。


「友を裏切ったんだ……」と言っていつまでも友と和解できずにいる臆病者。


「僕はやってない……」悪に染められ、同調し、それに抗うことのできない小心者。


「約束された悪」、綺麗な悪なんて嫌いだ。


なんだそれ、悪くないのに悪?


そもそも悪ってなんなんだよ。



「そうだ、俺はじゃあ、悪戯をしてやろう」


 人が困る顔が見たい、そのぐらいの動機だ。もちろん人の笑顔がいいのは知ってる。感謝され、自己有用感を感じることの素晴らしさも知っている。


 でもよお、人が悲しみに暮れ、涙を流すのもそれとおんなじくらい美しいと思わねえか?


 それが狂っていると言われるならどうしようもねえ。


 いつも正義が勝ってちゃつまんねえだろ。


 たまには悪が勝つ世界ってのがあってもいいんじゃあねえのか?


 俺たちはいつも倫理という楔に縛られ、モラルという檻に閉じ込められている。


 この世にモラルハザードを起こそうぜ。


 そうだ、それがいい。


 そうすりゃきっと正義の味方が現れて、俺を打倒してくれるだろう。俺は謝らない。悪いと思ってやった、反省なんて後悔なんて一切しない。最期の最期まで悪でいる。俺の飽くなき戦いが幕を開けるんだ!



 そう思うと、すっと自分の体が軽くなったような気がした。ああ、自分はこのために生まれ、このために生きてきたのかってな。


 まあ、もちろんそう思ってるだけかもしれないし、本当はそんなこと全くないのかもしれない。


 悪を成すために生まれてきたなんて、一体どこの悪魔将軍なんだよ。


 ま、そんなこと言ってたって仕方ないか。

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