26話目:ピルグリム・タダノくんと聖女<アイドル>様

 僕は今、運ばれている。

 馬車に揺られて、そしてタルの中に入れられて運ばれている。

 子牛が売られていく歌詞が頭の中でリピート再生されている。

 もっとこう…今の状況に相応しい音楽があればいいのだが、僕のテンションがドナドナの状態なのでこれしか再生されないのだ。


 何時間も馬車で揺られ続け、タルの中には僕のため息が充満してきた頃にようやく目的地に着いた。

 タルの蓋が開けられると、潮の匂いがした。

 僕は今、海に来ている。

 正確には港町なのだが、観光に来たわけではない。


 そういえば昔のヤクザ映画だと人をコンクリートに埋めて海に沈めていたらしい。

 魚のエサにしてやるという台詞が有名だが、骨までちゃんと食べるのだろうか。

 それにコンクリートに埋まった肉体まで魚が食べるのかどうか、見つかったらどうするのか、今でも分からない。


 水平線を眺めながらそんなどうでもいいことを考えていると、後ろから声をかけられた。


「おーい、いつまで黄昏てんだよ」


 雅史くんである。

 長距離輸送の体験という名目で、僕をここまで運んでくれたのだ。

 ちなみにタイラーさんにも一枚噛んでもらっている。


「日が沈むまで…」

「船の時間が過ぎちまうだろ、さっさと準備して乗船しろ」


 準備といっても私物はほとんど持って来れなかった。

 必要になりそうなものを沢山詰め込んだ大きなバッグと、着替えなどを入れた小さなカバンだけである。


「どうしてこうなったんだろう…」

「どうしてこうならないと思っていたんだ…?」


 雅史くんのツッコミが心の傷に染みる。


 さて、どうして僕がこんな所にいるのかというと、自分から逃げ出したからだ。

 では何故逃げたのか?


 数日前、詠さんが僕がやっていたことに感づいていたかもしれないと思った。

 だから彼女をどうすべきか色々と考えるために、彼女の思考を読もうとした。


 彼女をどうすべきか、誰かに喋ったのか、どうして僕を怖がったのか。

 その過程で自分の行動を見直して、彼女が僕にどう行動するか予想したりもした。

 その時、ようやく自分が全くフォローできないことをやらかしていたことに気付いた。


 そりゃそうだよ、怖がるよ。

 というか表面上はまだ僕と普通に話してるのが凄いよ。

 そして、何もしていない彼女をどうこうしようとしている自分に恐怖した。


 彼女が僕に何をした?

 そんな彼女に何をしようとしていた?

 どうして守ろうとしていたクラスメイトを傷つけようとしていた?


 そして脅威にさらされたわけでもなく、自らの保身のために彼女に牙を剥こうとした自分に吐き気がした。

 というよりちょっと吐いた。

 今でも思い出しただけで吐きそうになる。


 あの時の自分は、完全に何かに狂った宗教家そのものになっていた。

 違う、僕は宗教を生きるために利用するはずだった。

 だからこそ宗教屋なんてもとになろうとしていたのだ。

 だが、実際には何か違うものへと染まっていってしまった。


 だけど、なんとか僕は正気に戻れた。

 皆の守るために起こす行動で、皆を傷つけるなんて本末転倒である。


「うわあああああ!!」


 自分の黒歴史を思い出して思わず地面を転がる。

 どんな行動だろうと、正当化していた時の自分があまりにも恥ずかしい。


「ど、どうした…いきなり転がりだして」

「いやぁ、やっちゃったなぁって…」

「今更じゃねぇの、それ?」


 そんなこんなで、僕は美緒さんと雅史くんに話せる範囲のものだけ話した。

 流石に直接的に人を殺したことは話せないが、色々と裏で黒いことをしていたことを告白したのだ。

 そして美緒さんには僕がどれだけ不信に思われているかを調べてもらい、雅史くんにはいざという時のための脱出方法を準備してもらった。


 結果、美緒さんが集めた人達からは僕が完全に疑われていることが判明した。

 一応そう思われていることを知っているし、気にしてないという意味合いを込めてメッセージを送ったのだが、完全に逆効果であった。

 雅史くんに言ったら呆れた顔をされた。


 そしてパニックになった皆が、まさか初手で青年団の召集からの僕の捕縛をお願いするとは思いもしなかった。

 もっと、こう…証拠集めとか話し合いの余地とかがあると思っていたのに、まさか最初から強引な手段を取ってくるのは予想外だった。

 しかも捕まえた後のことは何も考えていなかったらしくてさらにビックリした。

 僕がそのまま差し出されてたらどうするつもりだったんだろう。


 まぁ美緒さんからのリークと雅史くんの準備のお陰で、街からの脱出は簡単だった。

 あとはこのまま別の大陸まで船で逃げればそれで終わりだ。

 ちなみにあっちの大陸にはタイラーさんの従兄弟だかがいるらしく、ちょっとした紹介状も貰っている。

 いざという時には頼りにさせてもらおうと思う。


 僕は荷物を持って船へと乗り込む。

 色々と名残惜しいけれど、あのまま街にいるわけにはいかない。

 皆を理由にして人を殺してしまったんだ。

 それなら僕はまた皆を理由にしておかしなことをしてしまう。


 僕一人で生きていくならそうじゃない。

 最初から最後まで、僕だけを理由として行動を起こすということだ。

 他の誰かを言い訳にしない、僕だけの人生だ。

 そう考えると一抹の不安と寂しさを覚えたが、なんとか弱音を吐き出さずに呑み込んだ。


「なぁ、只野。皆に伝言はあるか?」


 船の出港準備が終わろうとしている。

 これで最後のお別れになるのかもしれない。

 僕は色々と考えて、対岸にいる雅史くんに伝えた。


「歯磨きは絶対に忘れないようにって伝えておいて!」

「…は?」

「だから、歯磨き! この世界、歯医者さんとか無いんだよ?」


 うん、虫歯になったら大変だ。

 あっちの世界でも虫歯で死んだ人がいるともいわれているくらいなのだ。

 もしかしたら異世界的な何かで治療できるのかもしれないが、あっちの世界の医療技術と比べると不安がある。


「お前、それでいいのか? もっとこう…恨み辛みを想像していたんだが」

「いやぁ、だってしょうがないよ。あれは言い訳しようがないって」


 お偉いさんを始末するどころか、神殿騎士の人も片付けようとしたのだ。

 何をどう言い繕ったところで誰もが僕に恐怖する。

 雅史くんや美緒さんには全部を伝えてはいないものの、僕がヤバイってことは感じているはずだ。


 むしろ、クラスメイトの皆の優しさに涙しそうなくらいだ。

 僕が怪しいなら皆がいる場所で問いただせばいい。

 僕がうまく煙に撒いたとしても、不信感というものは消せないものだ。

 そうして僕を孤立させてしまえばいいというのに、あの日あの家に集まるまで誰も何も言わなかった。

 本当に感謝しているくらいだ。


 もし僕が皆の理解を求めるならば、反対されると分かっていても相談すべきであった。

 僕が何を考えて、どうしようとしているのかを知ってもらわなければならなかった。

 だが僕はそれを放棄した。

 一番最初にやるべき手順を、蔑ろにしたのだ。

 これでどうして皆を責められるというのか。


 というか、もし今から正直に喋ったとしても無理だ。

 罪悪感で死ぬ、つらい。

 結局のところ、僕にできることは逃避しかなかった。

 別の大陸、別の場所で生きていくことだ。


「まぁ、お前の決意が固いのはよく分かった。あっちでも一緒に元気でやっててくれよ」

「ああ、うん。……一緒に?」


 船が出港し、陸から離れていく。

 雅史くんは僕の後ろの方を指差し、それにつられて後ろを見る。


「そっちも元気でねー!」


 水城さんがいた。

 いや、きっと幻覚だ。

 こんな所にいるはずがない。

 元気良く雅史くんに向けて手を振っているけど、きっとこれは蜃気楼とかそういうものに違いない。


「あれ、只野くん? どうしたの?」


 だが彼女はあろうことか僕の目の前で手を振るどころか、こっちの額にも手を触れている。

 そこには、確かな質感があった。


 なんとか昇天しかけた僕の意識をたぐりよせて正気に戻った僕は、雅史くんに向けて叫んだ。


「ちょっとこれどういうこと!?」


 対岸にいた雅史くんが両手を合わせて謝るような格好をしていた。


「すまん、バレた!!」


 いやいやいや!

 バレたで済ませていい奴じゃないよこれ!!

 これ絶対にダメな奴だって!!


 だが僕の思いを裏切るように船の速度は徐々に増していき、雅史くんの姿が小さくなっていく。

 ここまで離れてしまうと泳いで戻ることもできない。

 つまり、他の皆からは僕が水城さんを浚って情熱大陸したような感じなのだ。


「なっ…ど、どうして!?」


 水城さんにどうしているのか、何故きたのか、どういう目的か。

 色々と言いたいこと聞きたいことはあったものの、どうしてという言葉しか出てこない。


「なんでだろ、私にもよく分からないかも」


 そういって水城さんははにかんだ顔を見せた。

 僕は水城さんとよく行動していたことがあった、話したりすることもあった。

 だからといって、僕と一緒に別大陸に向かうほど親密じゃなかったはずだ。


「あえて言うなら…只野くんだけ、一人だったからかな」


 ちがう、違うんだ。

 一人でいいんだ、一人じゃないといけなかったんだ。

 あの街には優しい人が沢山いた。

 だからこそ、僕はあそこから出て行かなきゃいけなかった。

 人を殺すことに躊躇いを覚えなかった僕が居ていい場所じゃなかった。


「ちが…う…」


 言いたい事は色々とあった。

 だけどそのどれもが口から出て来ず、なんとか喉からひねり出せたのは否定の言葉だけだった。


 水城さんが不思議そうな顔でこちらを見ている。

 その目が…僕のやったことを知らないその瞳が、僕の心を締め付けている。


「只野くんが何かしてるっていうのは美緒ちゃんから聞いてるよ。とっても怖いことをしてるんだろうなって思ってたりもしたよ」


 なら、どうしてここに居るんだ。

 そんな怖い僕の隣に、どうして居るんだ。


「だけど、皆のためにやったことだって…私は只野くんを信じるよ。ずっとずっと、一人で頑張ってた只野くんを信じるよ。だから、私から言えることは一つだけ」


 止めてくれ、何も言わないでくれ。

 その言葉は…拒絶されるよりも残酷な言葉だから…!


「皆と、私のためにありがとうっ!」


 泣いた。

 地面に伏せて思いっきり泣きじゃくった。

 見栄も、外聞も、全てを捨てて泣いてしまった。


 彼女が僕を信じた、何も知らないだろうに信じてしまった。

 人を死に追いやった、僕を信じてしまったのだ。

 そんな彼女の良心を、僕は裏切ることはできない。

 これからずっと、僕は彼女を騙し続けて生きていかなきゃならない。


 僕はもう一人じゃない。

 とてつもなく重い十字架を、彼女の思いを背負って生きていかなければならないのだ。


 水城さんが僕の背中をやさしくさすってくれる。

 その優しさが僕の心に追い討ちをかける。


 許されないことをした、皆を理由にしてやってはいけないことをした。

 拒絶されることも、怖がられることも、罵られることも覚悟できていた。

 だけど、これには抗えない。

 僕が見出した彼女の優しさが、利用した彼女の人柄が、巡りめぐって僕に重く圧し掛かった。



 泣いて、泣いて、吐くまで泣いて、ようやく立ち上がった時にはもう水平線に太陽が沈もうとしていた。


「ありがとう…もう、大丈夫だから」


 心配する水城さんの手を優しくどかして、立ち上がる。


「本当? 乗り物酔いなら休んだほうがいい…クシュン!」


 どうやら船酔いで吐いたと思われていたようだ。

 いやまぁ自分もまさか感情が上下に激しく動きすぎると吐くだなんて思いもしなかった。


「そういえば、水城さんの荷物はどうしたの?」


 薄着の彼女を見て不思議に思う。

 もしかしてだが…


「えへへ…全部、忘れてきちゃった」


 つまり、文字通り着の身着のまま来たらしい。

 そこまでして僕と一緒に来ようとしていただなんて…

 何かないかとカバンの中を探してみる。

 そういえば体育で使うジャージがあるので、しばらくはこれを着てもらうことにしよう。

 それと一緒にカバンの底に、見覚えのない物があった。


「あっ、それ持ってきてくれたんだ!」


 引っ張り出したそれは、水城さん達が作ってくれた厚手のサマードレスであった。

 確かこれは僕には必要のないものだから家に置いてきたはずだ。

 ドレスにメモが貼ってあったので見てみる。


『泣かしたらしばきにいく By美緒』


 …つまり、美緒さんもグルだったということか。

 それならちゃんとした荷物も用意してくれればいいのに。

 いや、底にある袋には僕が用意したものと別のお金が入っていた。

 どうやらこれで着替えを整えろということらしい。


「とりあえず、新しい服を買うまではこれで我慢してもらっていいかな?」

「そのドレス持ってきてくれてたなんて、大切にしてくれて嬉しいなぁ」


 ドレスとジャージを手渡すと、喜んで受け取ってくれた。

 良かった、僕が女装癖のある変態さんであるとは思われていなかったようだ。


「そういえば、向こうに着いたらどうするの?」

「…どうしよう」


 何も考えていなかった。

 正直、あの場は逃げることしか頭に無かったから計画などは一切無いのだ。


「どうしよ?」

「どうしようね?」


 誤魔化すように笑うと、水城さんもつられて笑う。


「先ず、名前は変えよう。色々と気まずいし」


 もしかしたらシスターが情報を漏らしたりするかもしれない。

 そうなるとこっちに追っ手が掛かることは確実だ。

 そのためにも違う名前が必要だ。


「私は向こうでずっとミズキって苗字で呼ばれてたし、今度は名前のアカネって名乗ろうかな」


 そうなると、今度から彼女のことを名前で呼ぶことになるのか。

 ちょっと気恥ずかしいが我慢しよう。

 ちなみに美緒さんにはそういうのが無かった。

 やはり、女性的な部位の特徴が薄かったからだろうか。


「そういえば、只野くんの名前って何だっけ?」

「人好、ヒトヨシだよ」

「それじゃあこれからもよろしくね、ヒトヨシくん!」

「う、うん。よろしくね、アカネさん」


 初対面じゃないのに自己紹介をして握手するこの状況が可笑しかった。



 船は進む、新しい大陸へと。

 故郷は既に遠く、新しい家もまた僕らの過去となった。


 宗教によってその身を立てて生きていき、新天地へと向かう二人は、さながら巡礼者のようであった。

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宗教屋に!なろう!~異世界宗教活動録~ @gulu

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