最終話 「新しき幕開け」

 骸野むくろのはすべて記憶を蘇らせていた。

 あの日、猾辺かつべの事務所を訪れて、妙な儀式に参加させられてからのことを。

 麻薬にも似た匂いに包まれてから、自分の意識をベールで覆われ、勝手に身体が反応していた。

 猾辺にいいように利用されていることがわかっているのだが、頭のなかにもうひとりの自身がいて、デラノヴァのミストを吸い込むとその存在が巨大化していくのであった。


 一歩間違えば、自分もあの刑事や情報屋、そして脱走した仲間と同じように生贄にされていたかもしれない。

 いま、ここでこうして生を感じることができるのは、頓殿とんでんがいつもそばにいてくれたからだ。

 骸野は心の底から感謝した。

 であれば、ここから自分がやるべきことはひとつしかない。


 生贄にされてしまった五人の鎮魂をすること。

 さらに二度と地獄へ繋がることのないよう、この地を守ることである。

 幸い本殿と土地だけは自分たちのものになっている。

 もう銭勘定などなんの関心もない。

 だから、決めた。

 いままで犯した罪を消し去ることはできないが、生涯をかけて償い続けようと。


 自然消滅を余儀なくされた「百式党ひゃくしきとう」。

 その半数近くは骸野の配下であった。

 西洋の祓魔師エクソシストと名乗る神父たちにより、解放された人々はその後いつの間にか散りぢりに姿を消していく。

 わずか十名ほどの人間だけが、骸野と共に出家する決意をした。

 頓殿はそもそも、出家する意味合いはまったく理解してはいない。

 ただ尊敬する社長が進む道なら、としてついていく。

 それだけであった。


 ~~♡♡~~


 源之進げんのしんは社長室で一輪車を漕ぎながら、ぶつぶつと独り言を繰り返していた。


「いやいや、違うな。

 やはり「え」なければいかんのだよ、これが。

 見た目の美しさ、さらに奇をてらった面白さ。

 もちろん大前提は、美味しさだけどねえ」


 コンコンコンッ、ドアがノックされた。


「はーい、どうぞぉ」


 源之進は一輪車を漕いでドアに向かった。


「失礼します!」


 スーツ姿の高見沢たかみさわが、いつになく興奮した様子で入室してくる。

 ペダルを前後に動かし一輪車を停止させた源之進は、紫色パープルの髪をかきあげて高見沢を見つめる。


「きみがそれほど感情を表にだすとは。

 いったいどうしたのさ。

 あっ!

 ま、まさか、また、らんちゃんが理由はわからないけど、怒りくるって社内で暴れまくってるんじゃ」


「い、いえっ、らんさまはおみえではありません。

 社長、わたしに天から神が舞い降りました!」


「えっ?」


「新商品です、新商品!

 タピオカの次は、ですっ。

 牡丹餅ぼたもちともいいますが、これはきますよおっ。

 しかもですね、もち米にプロテインを混ぜることにより、健康と甘味と一挙両得ってやつですうっ!」


 高見沢の意識は、源之進の遠く及ばない世界へ旅立っていた。


 ヒントを得た源之進は香り高いスパイスを使い、試行錯誤の上、まったく新しい洋風おはぎを完成させることになる。

 それは瞬く間にブームになっていく。

 もちろん、プロテインのプの字も使われることはなかったが。


 ~~♡♡~~


 アメリカ合衆国ネバダ州。

 カジノで有名なラスベガス。

 アリアリゾート&カジノは、マッカラン国際空港から近く、ラスベガスの中心部にあるカジノリゾートとレストランなど総合エンタテインメント施設、「シティセンター」内にあるラグジュアリーホテルだ。


 カジノルームでは、さまざまな人々がゲームに興じている。

 バカラやブラックジャック等、各テーブルではディーラー相手に悲喜こもごも沸いていた。

 

 なかでもルーレット台には大勢のひとたちが集まり、息を飲んで勝負を見つめている。

 ルーレットには、アメリカンとフレンチの二種類がある。

 ようは「00」を含むかどうかだ。

 そのテーブルは「00」を含むアメリカンルーレットの台だ。

 掛けかたは、一つの数字を選ぶストレートアップから、横二列にある、二列のを真ん中の端、交点にチップを置き六つの数字を指定するダブルストリートなどがある。

 もちろん最高配当は、ストレートアップだ。

 

 先ほどからひとりの客が、すべてこのストレートアップに多額のチップを賭け、パーフェクトに勝っていた。

 ブロンドヘアの美しきディーラーは、仕事ビジネス上の微笑みをすでに消していた。

 プロのディーラーは己の意思で、回転盤ウィールの数字に思う通りにボールを入れることができる。

 それが、なぜか客の賭けた数字へボールを落としてしまうのだ。

 カジノは商売である以上、客に儲けさせるだけでは赤字になる。

 といって損を出させ続ければ客は遠のく。

 その塩梅加減がプロのプロたる所以なのだが。

 すでに大きく負けていることは明白である。


「うーん、今度はどの数字にしようかのう」


 プロ相手に勝ち続けている客は、白い髭を指でさわりながら、左右にはべらすモデルのような女の子たちに問うた。

 胸元の盛り上がりを強調するドレスの女の子は、タキシード姿の老人に媚を売る眼差しで甘い声をだす。


「あたしぃ、お誕生日がぁ、十六日なのぉ」


「十六じゃな。

 誠に縁起の良い数字じゃな」


 言いながらマルティヌスは好色な笑みを浮かべ、回りの観客が腰を抜かすような多額のチップを置いた。


「わしゃあのう、公務員の安い退職金と微々たる年金だけではよう生活せんでな。

 せいぜいここで、慎ましやかなる生活資金を稼がせていただこうかの」


 ~~♡♡~~


 桜吹雪の舞う阪和はんわ自動車道。

 西の空から差す陽ざしがバックミラーに反射する。

 赤色灯を回転させ、サイレンを鳴らしながら疾走する二台の大型バイク。

 特有のエキゾーストノートを響かせながら、紫に輝くボディ。

 きりの運転するトレイサーに、らんの三輪トライクが続く。

 当然のように道路は渋滞しているが、追い越し車線を駆ける緊急車両に行く手は最優先される。


「はいはい、どいたどいたあっ!

 邪魔だてすると、公務執行妨害でクルマを燃やすぜい!」


 スピーカーから大音量で流される、きりの言葉は冗談ではない。

 ドライバーたちは風を切って走る二台を、口をポカンと開けながら見送る。


「お急ぎのところ、ごめんあそばせぇ」


 らんの美しい音色の声が中和してくれるのだが。


 ふたりは検非違使庁けびいしちょう本部から緊急入電を受け、和歌山市わかやまし方面へ向かっていた。

 妖怪「輪入道わにゅうどう」が暴走族よろしく、逢魔が時を狙って走り回っているため、被害が出る前に駆逐せよとの命令が下されたのだ。


「輪入道」とは、荷車の車軸を通す車輪中央に大きな入道の顔がついた妖怪である。

 しかも車輪は炎に包まれており、自動車並みの猛スピードで走り回る。

「諸国百物語」や「今昔画図続百鬼」にも記載のある怪異で、その姿を見たものは魂を奪われると伝えられていた。

 実際に危険なのは、炎をまき散らしながら走り回るため、大火災に繋がることである。


「おい、らんっ」


 インカムできりが声をかける。


「はーいっ」


「『輪入道』と、あたしらとさ、ドライビングテクニックはどっちが上か下か、成敗する前に試そうぜ」


「まっ、きりったら。

 佐々波さざなみ副長のお耳に入ったら、始末書ものよ」


「いいじゃんよう、どうせチクるやつなんていないんだしさあ」


「仕方ありませんわねえ。

 ではお互いに内緒ってことで。

 わたくし、負けませんわよぅ。

 あっ、そうそう」


 らんは思い出したようにきりに問うた。


「なんだい?」


「ゴールデン・ウィークでしたかしら、あのおかたが日本へ遊びにいらっしゃるのは」


 きりの威勢のいい声が止まった。

 らんは含み笑いをした。


「よいですわねえ、きりは。

 ああっ、わたくしにはなぜ恋愛成就のご利益がないのかしらねえ。

子守地蔵こまもりじぞう』ちゃんのペンダントは、こうして肌身離さず、胸元にしまっておりますのに」


「ら、らんっ、今は仕事中だぞ!

 私語は禁止だ!」


 きりはアクセルを思いっきりふかし、さらにスピードアップしていく。


「はーいっ」


 らんはペロッと可愛い舌先を出した。


 ~~♡♡~~


 スペイン東部に位置するバレンシア州。

 自治州のひとつである。

 地中海に面しており、オレンジやワイン用のブドウに代表される農業が地域経済を支えている。


 ある村の果樹園を見おろす小高い丘。

 すでに太陽は沈んでおり、予報によれば満天の星空が地上から見上げることができるはずであるのが、なぜか黒く重たい雲が沸きだしていた。


 丘はその村の墓地であった。

 スペインは宗教上、基本的には土葬の文化だ。

 ただ最近では土地不足や費用が安価な点で、火葬が選ばれることが多くなってきてはいるが。

 

 石で作られたいくつもの墓に、ポツン、ポツンと指先ほどの雨粒が落ち始めた。

 カッと雲の内部が発光し、地表まで揺さぶるような雷の音が響き渡る。

 雨は壊れたシャワーのように大地を濡らしていく。

 再び稲妻が走った。

 その光に浮かぶ影。


 フィリップであった。

 スータンが濡れることも気にせず、笑みを含んだ口元でまっすぐ前を見ている。

 その手にはマジョーラカラーのグローブ、「ネオンリング」が装着され、さらに右手には師より授かった「聖パウロの杖」がしっかりと握られていた。


「もう一度だけご忠告します。

 このまま地の底へ戻って、おとなしくしているとお約束いただけますか。

 さもなければ、ぼくはきよめさせていただきます。

 どういたします?」


 静かだが威風堂々たるフィリップの言葉は、墓石の上に立ち、憎悪の炎を双眸にたぎらした相手に向けられた。

 稲妻が走った。

 墓石に立っているのは、真っ赤な道化師の衣装に身を包んでいた。

 もちろん人間ではない。

 背中には蝙蝠の羽を広げ、歪な角を生やした牛の頭部。

 人々に猜疑心を抱かせ、好戦的な闇を心に植えつける悪魔であった。


 村の教会から請われ、フィリップはエクソシストとしてこの地を訪れていた。

 すでに師であるマルティヌスからは一人前として認められ、さらに卒業祝いとして「聖パウロの杖」を受け継いでいた。

 悪魔は羽音を立ててフィリップに向かってくる。

 グローブが稲妻を超える白銀色に包まれた。


 ~~♡♡~~


「目覚めよ、わが子なるもの」


 どれくらい眠っていたのだろう。

 身体じゅうが強烈な痛みに包まれていることに気づく。

 だが声も出ず、光も見えず、重力さえ感じない。


「われの洗礼を受け、真の姿を見せよ」


 暗闇に包まれた空間。

 真っ黒に炭化した物体が、もぞもぞと動き、上部が割れた。

 巨大な蛆虫が姿を現した。 

                                    了

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魔陣幻戯3 『ブラック・マスカレード』編 高尾つばき @tulip416

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