第35話 「変身」
きりは前方をハイビームで浮かび上がらせて驚く。
「おいおい、魔物ならわかるけどさ、なぜ人間が?
しかもいったい何人いるの」
距離にしておよそ五、六百メートルほど先。
岩壁とバイクの照らす光源を受け、何十何百とこちらにゆっくりと向かってくる、ひと、ひと、ひと。
全員が黒いTシャツ姿で頭を揺らめかせ、両手で水をかくような仕草で歩いてくる。
日本ではまず出現しない生きる
らんのトライクが背後で停まる。ビートルもプスンプスンと危うい音をたて停車した。
きり、フィリップ、らん、マルティヌス、そして
「マルティヌス先生、これは」
フィリップの緊張した声音に、マルティヌスは前方を注視したまま口を開く。
「とうとうやりおったな。
魔物であればわしらエクソシストは、いかなる方法を用いても叩き潰すことができる。
じゃがの、あれらはひとじゃ。
悪魔に操られし、哀れなる
「わたくしたち保安官も、妖怪や怪異の類は浄化させる権限を有しております。
けれど、同じ人間に対しての武力による攻撃は、固く禁じられておりますの」
らんは首を振る。
「ですが、あのひとたちを排除しなければ、悪魔を追えません」
フィリップは歯噛みする。
デラノヴァに操られた党員たちは不気味な唸り声を上げ、徐々に距離を縮めてくる。
六人はどうすべきか、無言のまま立ち尽くしていた。
~~♡♡~~
デラノヴァと
「さあ、ここからが見ものよ」
デラノヴァは羽ばたき宙に浮かんだ。
金属をこすり合わせるような奇怪な口笛を吹いた。
集団が止まる。
ぐらぐらと頭を揺らすと生気のない両目が墨を流すように真っ黒になり、目じりがクワッと上がる。
さらに毛細血管の浮かぶ顔が歪み、裂けんばかりに口を開いた。
シャーッ!
ひとではない声が次々に振り絞られた。
デラノヴァは羽を蠢かして着地する。
「これでやつらは、人間のみを攻撃対象として動き出すの。
エクソシトの
「ほう、さすがはデラノヴァ殿だ。
その間にわたしたちは
そういうわけだな」
猾辺は端正な面立ちがスケープゴートの群れを眺めた。
「それで、ここから飛ぶということだが、あなたがわたしをお姫さまのように抱えていっていただけるのかな」
巨大な複眼が猾辺を下からのぞく。
「そんなわけないじゃない。
だって、あなたは飛べるのよ」
デラノヴァの言葉に猾辺が眉間を寄せた、その直後。
「ウウッ、か、身体が、身体が!」
猾辺は呻きながらしゃがみこんだ。
身体の内側が燃えるように熱い。
髪を振り乱し苦悶の表情のまま、着ていたローブをはぎ取り、さらに下のスーツやシャツを破り捨てる。
上半身があらわになった。
玉のような汗が尋常ではないほど土の大地に流れ落ちる。
男性にしては体毛の薄い肉体だ。
背中といわず、胸や腹部に黒い染みが浮かび始めた。
いや、染みではない。
肉体の内部から皮膚を突き破って出てくる黒く細い蟲。
意思を持った線虫のように、うねうねと動き回りみるみるうちに猾辺の首から下を黒く染めていく。
体毛であった。
ひとの、ではない。
横に立つデラノヴァと同じ、魔物の体毛であった。
「グガッ!」
身体中を無数の針で刺されるような苦痛に襲われる。
唯一、その端正な顔だけがまともであった。
「ふうっ、ふうっ」
激痛が拭うように去った。
そして変貌した己の身体を見おろした。
「これが、わたしなのか」
「そう。
あなたは
「ば、化け物に、わたしは化け物になるために契約したわけじゃない!
わたしは、この国を、この国を未来永劫どこにも負けない国家を築くために」
激高する猾辺の瞳に変化が現れた。
白目部分が黒く染まっていく。
「そうだ!
わたしはこの国を最強の国家にするために、
ミリッ、ミリミリミリッ。
猾辺の背中、剛毛で覆われた皮膚が音をたてて裂ける。
グニャリとした半透明の皮膚が垂れ下がる。
そこに黒い毛細血管が勢いよく走った。
バサッと音がして、なんとデラノヴァと同様の羽に変わったのである。
猾辺は真っ黒な眼で背中を見つめた。
ビュッ、ビュッ、羽に意識を送り込むと薄膜が羽ばたき始める。
「どう?
これで飛ぶという意味がわかったでしょ」
デラノヴァの複眼に、何百もの猾辺の奇怪な姿が映しだされていた。
~~♡♡~~
きりはヘルメットで防護した頭を思いきり振った。
「ええい!
ここであれこれ議論している時間なんてないじゃんっ」
「そうね、きりの言う通りですわ」
らんは「
フィリップが慌てた。
「ら、らんさんっ、まさかあのかたたちを」
フィリップは、不気味な叫び声を壁に反響させながら近づいてくる集団を指さす。
いくら悪魔に操られているとはいえ、先ほど倒した魔物とは違う。
そのときだ。
迫りくる集団に異変が起きた。
洞窟の横幅いっぱいに広がり、さらにその不規則な列が続いているのだが、後方から気合を込めた怒声が聴こえてくる。
先頭の列も乱れだし、らんたちに向かってきていた不気味な唸り声が後方を振り返りだした。
「なんだぁっ?」
きりは背伸びするように集団をうかがう。
いきなり集団の後方から宙へ舞い上がるいくつもの影。
しかも、「どっせいっ、どっせいっ」と明らかに人間の発する掛け声まで届いてきた。
「もしや、あの操られしひとたちのなかに」
フィリップは駆けだす。
万が一正気のひとがいたら、絶対に救わなければならない。
以前ルーマニアでは失敗し、マルティヌスから叱られた。
それでもフィリップは走った。
罠かもしれないなどと懐疑な考えは、これっぽちもなかった。
目の前で困っているひとがあれば、己を犠牲にしても手を差し伸べる。
「神父さん、あたしもいくぜ!」
「きりさん」
ふたりは集団のなかへ飛び込んでいく。
マルティヌスが、らんに叫んだ。
「嬢ちゃんや!
援護いたすぞ!」
「承知いたしましたっ」
背負っていた聖水発射銃を構え、「聖パウロの杖」をズボンのベルトに挟み込むとマルティヌスは走り出す。
らんに続いて、源之進と高見沢もクロスボウを手に後を追おうとした。
らんはすかさず振り返る。
「同じことは申しませんわよっ、お兄さま!」
源之進と高見沢はピタッと止まる。
「りょ、了解ですう」
源之進は顔面を硬直させ、何度もうなずいた。
マルティヌスは走りながら銃口を向け、勢いよく聖水を集団に浴びせる。
らんは「
~~♡♡~~
「どっせいっ!」
デラノヴァの魔力で、半人半魔と化した党員たちは、人間だけを攻撃対象としてインプットされている。
本来であれば、追いかけてくるエクソシストがその目標であった。
ところが、頓殿はデラノヴァの魔力に支配されてはいない。
さらに骸野も蠅を取り込んでいないため魔物になったわけではない。
そのため、人間として認識されてしまったのだ。
もちろん頓殿はそこまで深く洞察しているわけではない。
「お、俺はボデーガードだからな。
社長をお守りしなければ」
その思いだけであった。
底なしのパワーを持った元力士である。
太い腕でまともにテッポウを繰り出せば、素人の敵ではなかった。
つづく
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