第22話 「紫樹家の客人」

 西の空をオレンジ色に染める太陽。

 この時季には夜のとばりが降りる時間が、日に日に早くなってくる。

 四人を乗せた乗用車は紫樹むらさき家の屋敷前に停車している。

 きりがライトをパッシングすると鉄門が開いていく。


「えーっと、らんさん」


 フィリップはらんの座る右側の助手席のシートを後部シートからつかみ、驚きの表情を浮かべた。


「あのう、ぼくたちは予算が限られておりまして、このような巨大なホテルに泊まらせていただくのは不相応かと」


「わしらは外交官と申してもの、一介の聖職者に過ぎぬのよ、嬢ちゃんがた」


 マルティヌスはサングラスからいつもの丸眼鏡に替えて、フッとため息を吐く。


「大丈夫、でございますのよ、ここは」


「ああ、だってあたしたちの自宅なんだから」


 きりの言葉に、フィリップは聞き違えたかと眉を寄せる。


「すみません。

 とても流暢に英語を使われておりますけど、いまの言葉は自宅、そう言われたのですか?

 自宅ではなく、高級ホテルですよね」


 らんときりは顔を見合わせ、笑った。


「インバウンドのお蔭でさ、空港に近いところにはホテルがかなり建ってるんだけど。

 やはりそっちの方がよかったかな。

 ここは正真正銘あたしたちの家さ」


「はい、どうかご遠慮なさらないでくださいな。

 エクソシトさまなる高級な聖職者のおかたには、ちょっと狭いかもしれませんけど」


 乗用車が邸内へ入ると、門扉は再びオートで閉じられた。


「こ、ここが、自宅?」


 フィリップとマルティヌスは巨大な庭園やホテル並みの母屋を車窓から見上げて絶句した。

 玄関先には和服を着た老女と、メイド服姿の三人の若い女性が立っている。


「はーい、到着」


 きりはエンジンを切り、後部シートを振り返った。


~~♡♡~~


 大阪市西成区にしなりくにある信用金庫。

 夕暮れに染まる街並みに、地元住民中心とした金融業を営なんでいる。

 狭い駐車場に停まっているのは黒のアルファードである。

 正面の自動ドアが開き、姿を現したのは「百式党ひゃくしきとう」のマークをプリントした黒いTシャツ姿の骸野むくろのであった。


 ピンク色のサングラスに西陽が反射する。

 骸野の背後には同じシャツを着た頓殿とんでんが両手にトランクケースを持ち、したがっていた。

 シャツのサイズが合ってはおらず、すそから突き出た腹部が丸見えだ。

 サングラスからうかがえる骸野の目つきには、以前のハイエナのような狡猾さは消えていた。

 心の火が消え、感情さえも消失したかのようだ。

 頓殿のほうは目元自体が細く、開いているのだか閉じているのかわからない。


「しゃ、社長」


 頓殿は相当重量があると思われるトランクケースを、まるで空のレジ袋を持っているように軽々と運んでいる。


「しゃ、社長」


 鼻が詰まった声で呼びかけるが、骸野は身体を揺らしながら駐車場へ向かう。

 頓殿は頭をひねりながらつぶやく。


「こんなにお金をおろしてしまって、か、会社は大丈夫なのかなぁ。

 それにしてもいったい幾らあるのか、両手と両足の指を使っても、か、数えられない。

 多分、大金なんだな」


 骸野は表に出せる資金はこれですべておろしていた。

 さらにこれから裏に隠してある資金もすべて提供する予定であった。

 もうお金なんぞ持つ必要がないから。

「百式党」へ全財産を寄贈し、猾辺かつべにしたがうのだから。


~~♡♡~~


 フィリップはあてがわれた客室を、驚きの表情で見回している。

 いつもは経費節約のため宿を手配するときには、ツインルームを一室だけ。

 師匠であるマルティヌスと常に一緒であった。


 マルティヌスには言ってはいないが、夜中に歯ぎしりやいびきの音に何度も目を覚ますことが多い。

 いや、むしろ安眠できる日はほとんどなかった。

 それでも尊敬する師匠であるから、現在では短時間で熟睡するすべを身につけている。


「ここは噂に聞くスイートルームなのかな」


 アロハシャツのまま腰に手を当てた。

 大きなトランクケースは若いメイドが、断っているにも関わらず、部屋まで運んでくれた。


 客室は二階の南向きにあった。

 二十畳ほどある広い部屋。

 キングサイズのベッド、高級感ただようソファにテーブル。

 さらには書架があり、見たこともない書籍がずらりと並んでいる。

 ホテル同様にユニットバスまで設けられていた。

 ハアッとため息ひとつ。


「まさか日本のエクソシストのみなさんは、すべてセレブなのだろうか。

 余暇をもてあましているから、えーっと、そう、ヨーカイとかカイイと戦っていらっしゃるとか。

 しかも、らんさんときりさんはとてもお若くチャーミングときてる」


 ぶつぶつと立ったままつぶやいているときに、ベッドの横にあるサイドボードに置かれた電話機が鳴った。


「はい、フィリップです」


 すると玄関で出迎えてくれた品の好い和服の老女、キクと名乗ったが、流暢な英語で言った。


「お部屋のお具合がいかがでございましょう」


「ええ、とっても素敵な部屋ですね」


「わが家には先代やお坊っちゃま、いえ、現社長のご友人が海外からもしょっちゅうお越しいただきますの。

 ですから、常にお客さまをお出迎えできるようにはしておりますけど、もしお気に召さぬ箇所がありましたら、どうぞご遠慮なさらずにおっしゃってくださいな」


 老女の人柄が受話器から伝わってくる。


「はい、お気遣いくださり本当に感謝しております」


「さようでございますか。

 それと本日のお夕食は十九時から一階の広間で、みなさまとお摂りくださいまし。

 神父さまは苦手な食材はございますか?

 先ほどもうおひとりの神父さまにおうかがいいたしましたけど、宗教上お口にできないものはないとのことでした」


 マルティヌスにしろ、フィリップにしろ、好き嫌いは一切ない。

 すべての食材は神からの恵みであるからだ。


「ぼくはなんでも美味しくいただきます」


「承知いたしました。

 では失礼いたします」


 受話器を置いて、サイドボードの置時計を見ると、午後六時半前であった。

 さすがにアロハシャツではドレスコードに引っかかると思い、制服であるスータンとカロットをトランクケースから取り出し着替えるフィリップであった。


~~♡♡~~


 第二阪和国道を走るレクサス。

 ハンドルを握る高見沢たかみさわは後部シートでタブレットを使っている源之進げんのしんに話しかける。


「社長、今夜はお客さまがいらしてるのですね」


「うん?

 ああ、そうだったねえ。

 らんちゃんときりちゃんのお仕事仲間、そう聞いているんだけど」


「なんでも外国の神父さまとか」


 源之進は眼鏡のブリッジを指で押し上げる。


「そうそう。

 たしか、バチカンから派遣されたとかって、きりちゃんが言ってたなあ」


「バチカンですか。

 わたしは異国の宗教は不勉強で。

 でも、なぜバチカンから来られるのでしょうか」


「うーむ、それは難しい質問だね、高見沢くん」


「あっ、申し訳ありません」


「いや、別に謝らなくてもいいさ。

 今夜はそのお客さまと夕餉ゆうげを共にするんだけど、もちろん高見沢くんも同席をお願いしますよ」


 当然のように源之進は言う。


「ええ、キクさんからそう連絡を受けています。

 しかし、お嬢さまたちのお仕事は、いまやグローバル化なんですね」


「ああ、そうだねえ。

 でもやはり心配だよ、高見沢くん。

 警察官になったときも、いや、それ以上に今のあの子たちのお仕事は苛酷極まりないからね。

 ぼくはできるだけ早く、あの子たちには良いご縁で嫁いでほしいなあと思ってるんだ」


 源之進はタブレットから視線を車窓に向けた。

 高見沢はうなずく。

 仕事であれば紫樹家の令室としていくらでもある。

 よりによって妖怪退治などという危険な仕事につく必要は、まったくもってないわけなのだ。

 紫樹家に仕える身としては、源之進と同じ気持ちだ。

 らんときりが嬉々として職務を遂行しているなどとは、まったく考えもしていなかった。

                                  つづく

 

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