第32話 歌姫の秘密②

「戦場の歌姫が歌えば、その戦いは必ずウェアシス側が勝利する。そうしてこの国は数年前から急速に発展してきた。その力は迷信でもなんでもなく、あいつの力だ」

 ただし、とレイヴィンが続ける言葉にアンジュはなぜか耳を塞ぎたくなった。


「アイツの歌は勝利を呼ぶ歌ではない。歌妖の一族の歌は人を惑わす。聴いた者を狂気的な精神状態に陥らせ痛みや死の恐怖すら与えなくさせることもできる。戦士たちが自分の肉体が動かなくなる瞬間まで敵を襲い続けるように」


「なるほどね。歌姫の歌は、人を化け物に変えるものだったのね。恐ろしい子」

 セラフィーナに見られアンジュはなぜか胸が押し潰されそうな気持ちになった。


(そんな目で見ないで……私は、私だって、好きで歌っていたわけじゃ)


 ズキンッ、ズキンッ――


 頭が割れそうに痛い。

 自分の思考に靄がかかって、今自分がなにを思い考えているのか分からない。


「可哀相なわたくしの姫君。けれど、大丈夫です。全て忘れて、あなたはわたくしと共に生きるのだから……あなたの望んだ普通の女の子として」

 優しく全てを包み込んでくれるような笑みを浮かべるアレッシュに恐怖を感じる。

 アレッシュはナイフをセラフィーナの首に当てたまま、彼女を魔法陣の中心で跪かせた。


「さあ、やれ」

「やめろ」

「動くなと言っているだろう! 今すぐ目の前で彼女の身体を切り刻んでやろうか!!」

 狂気の目をしたアレッシュの言葉に、レイヴィンは再びぐっと動きを止める。


「さあ、教えた手順通りなさい」

「ええ……」

 セラフィーナは胸に透明の丸い玉を抱き、アレッシュに耳元で囁かれた呪文を復唱する。

 そしてレイヴィンが隙を突いて魔法陣の中へ飛び込もうとした瞬間に――セラフィーナが魔力を籠めた玉を床に投げつけた。


 中心から床に描かれていた魔法陣に火がつくと、油を伝うように赤い文字の上を炎がうねり広がる。


「ぐっ」

 レイヴィンは爆風に飛ばされ壁に背中を打ちつけた。

 アンジュは彼の元へ駆けよりたかったが縛られたままで身動きが取れない。

 身体が熱くなってきた。最初は炎に当てられてるせいだと思っていたのだが。


「な、に?」

 気が付くとアンジュの身体が閃光を始め、光の粒子たちが回りに浮かびだす。

 するするとアンジュを拘束していたロープは勝手に外れ、アレッシュに掛けられていた上着がぱさりと床に落ちた。

 アンジュの魂は自分の意思には応えず、宙に浮かぶとどんどん炎で縁取られた魔法陣へと引き寄せられる。


「い、いや、行きたくないっ」

「大丈夫ですよ。この炎はあなたの魂を清めるためのものです。この炎を潜ればあなたは生まれ変わり新しい身体を手に入れるのです」

 炎と熱気の中で赤く染められ喜々としているアレッシュは不気味で、彼の隣でぐったりと床に座るセラフィーナは人形のように大人しかった。

 そんな光景が恐ろしいと共に、アンジュは悲しくて顔を歪める。


「どうして、こんなことに……」

 激しい頭痛に耐えながら、自分の中から溢れ出してくる感情と向き合う。

 なぜか脳裏に浮かんできたのは、三人で笑い合った日々の記憶。

 どこでなにを間違ってしまったのだろう。記憶の整理がつかないまま、けれど一つだけ思う。


(二人を狂わせたのは、私……?)


 二人とも大切で、だからいつも笑っていて欲しかった。守りたかった。


「でも……逃げたかったの」


 今度はレイヴィンと過ごした秘密の時間が脳裏に浮かぶ。

 初めて恋を知って、いけないことだと分かっていたのに。ずっと一緒にいたいと願ってしまった気持ちと共に……。


 一人だけ、ここから逃げ出そうとしたから――これは罰に違いない。


 失っていた記憶の欠片たちが流れ込んでくる……もう、なにも知らないアンジュでいられる時間はおしまいだ。


「ああ……そうだった」


 自分は城のメイドではなかった。ローズという名でもなかった。アレッシュと恋仲ではなかった。


(……私の、本当の名前は、セラフィーナ・エヴァレット)


 一滴、瞳から光る涙が零れ落ちた。

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