第5話 レイヴィン様は歌姫にご執心

 他の女性ばかりを見ないでほしくて、アンジュは一生懸命レイヴィンに話しかけ続ける。


『レイヴィン様、お腹空いていませんか? あちらに美味しそうなローストビーフが!』

「…………」

『……あ、あの、セラフィーナ様のお隣にずっと付き添っている方は誰ですか?』

 婚約者のアーロンは本日所用により欠席と聞いたが、セラフィーナの隣には二十代半ばぐらいの若い青年が付いていた。


 メガネを掛けアイビーグリーンの髪と瞳の、少し神経質そうな雰囲気もあるが、よく見ると整った顔をしている青年だった。刺繍が施され長衣を纏っていて、フロアの忙しなく移動する他の執事たちとは違う様子。


『……あれは歌姫の護衛アレッシュだ』

『護衛の方』

 ようやくレイヴィンの視線がアレッシュに移りアンジュは少しほっとしたが。


「レイヴィン」

「っ!」

 先程までレイヴィンがずっと熱い視線を送っていた歌姫が、人を掻き分けてこちらにやってきてしまった。


 間近でみる彼女はますます美しく、まるで天使のようだと称えたくなるような雰囲気を放っている。けれど、そんな彼女の姿を見ているとアンジュの胸の奥は、なぜかざわざわと落ち着かなくなってきた。


「お前から声を掛けてきてくれるとは意外だな」

「あら、なぜそう思うの?」

 セラフィーナが不思議そうに首を傾げると、レイヴィンはニヤリとちょっぴり意地悪な笑みを浮かべる。

「昨夜のお前には随分とそっけなくあしらわれたからな」

「あ、あれは……あんな時間に突然押しかけてくる貴方が悪いのよ」

 セラフィーナは頬を赤らめ困ったように俯きながらなにやらモゴモゴ反論している。


(な、なに? 昨夜お二人の間でなにがあったの?)


 それは自分と出会う前のことなのか、それとも宿に連れていかれた後に留守にしたレイヴィンが朝帰りした理由と関係があるのか。あまり聞きたくないのに、レイヴィンに憑依しているせいで小声で話す二人の会話はアンジュにだけ筒抜けだった。


「仕方ないだろ、無性にお前に会いたくなったんだ」

「……だ、だからってあんなの、いきなり困るわ。今後は自重していただかないとっ」

「なんだよつれないな。いつもはそんなこと言わないくせに」

「っ……もう、今は二人きりじゃないのよ。分かって」


「セラフィーナ様、いかがなさいましたか?」

 困った顔で懇願しているセラフィーナを見て不信に思ったのか、護衛の青年アレッシュが駆け寄ってきた。

「い、いえ……レイヴィンとお話ししていただけよ」

 ねっと、同意を求める彼女の目を見て空気を読んだのか、レイヴィンは意地悪な笑みをひっこめて爽やかに微笑んだ。


「ええ。セラフィーナ様、歌姫として復活なさるそうで。おめでとうございます」

「ありがとう。全てレイヴィンのおかげです。毎日貴方は献身的に私に接してくださったから」

「いえ、自分はなにも」

「貴方の優しさと貴方の処方してくださる薬のおかげです」

 声が出なくなってしまった歌姫に薬を処方するため、城を出入りしているうちに二人はこんなに親しくなったのだろうか。


(それにしてもさっきのやりとりはなんだか……)

 歌姫と薬師というより秘め事を共有している男女のような会話だったけれど。


「レイヴィン先生はそれは献身的にセラフィーナ様を支えてくださっていましたものね」

「ええ、これからはもう毎日のようにはお会いできなくなると思うと寂しいわ」

「まだ本調子じゃないだろう。豊穣祭最後の日に水の精霊に歌を捧げる大役もある。当分はお前を近くで支えるよ」

「まあ、レイヴィンったら過保護なんだから。私ならもう大丈夫よ」

「だめだ。それに……」

 レイヴィンは外面の爽やかな声音でそう告げた後。


「俺が、お前から離れたくないんだ」

 そっと屈みセラフィーナの耳元で、彼女にだけ聞こえる艶っぽい声音でそう囁いた。


(ど、どういうこと~!?)


 ついに我慢の限界を迎えたアンジュは、咄嗟にレイヴィンの身体から飛び出した。だが、今の今までチャチャも入れず大人しくしていた事を褒めてほしいぐらいだ。

 そしてレイヴィンの身体からアンジュが飛び出したことになど気付かない様子で、二人は微笑み合っている。二人から漂う雰囲気はまるで……恋人同士のようだった。


「でもセラフィーナ様はアーロン王子の婚約者だって、なのに、そんなことって……」

 呆然と宙に浮かび二人を眺めていると。


「……っ!?」


(っ!? いけない油断してしまった)


 レイヴィン以外で自分の姿を見られる者がいる可能性を忘れていた。

 だがこちらを見上げてばっちりと視線の合ったアレッシュは、確かにアンジュの存在に気付いている。

 驚いた表情のままアンジュから目を逸らそうとしない。


(ど、どうしましょう。逃げなくては。ここでレイヴィン様の身体に戻ったりしたら、レイヴィン様に迷惑が掛かってしまうかもしれない)

 宙を駆け抜けるようにアンジュは移動した。


「……セラフィーナ様、すみません。すぐに戻りますので」

「え、アレッシュ?」

 アレッシュはセラフィーナをレイヴィンに任せてさりげなく追いかけてくる。

 もちろんあからさまに宙にいるアンジュを見て追いかけては、アレッシュが不審な人物に見えてしまうため冷静な面持ちのままさりげなくだ。


「待ってくれ!」

「いやいや、来ないで。ごめんなさい、決して悪霊ではございません、たぶん」

 慌てたアンジュは壁をすり抜け外に出ようと試みたが壁に激突し、額を擦りつつ開いていたバルコニーから外へ逃げ出した。


(いてて……なんで~。人や生き物には触れられないのに、壁や床はすり抜けられないなんて、不便だ……)

 涙目になって愚痴りながら。

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