アリア

はな

第1話 翼のない天使

歌を歌いたいの。世界中に響く歌を。海を満たし、大気を震わし、大地を抱きしめるような、そんな歌を。

だって、わたしは翼を持っていないから。わたしはこの場所から動けない。だから、せめて歌だけでいい。世界中の、同じ空の下で暮らす人々へ届いてほしい。

勝手な願いだけれど。どうか、叶いますように。


         *


海の真ん中で歌が歌いたいと言ったら、なんて言われるか大体の想像はつく。だから、わたしはそれを口には出してない。

でも、思うの。海の真ん中に立って、声が尽きるまで歌ってみたい。

どうしてこんなこと思うようになったのかな。よくわからない。外に出るのが禁止されているからかな。それとも、写真で見た海があんまり綺麗だったからかな。それとも、夢で見た月夜の海から聞こえてくるオルゴールのような歌声が心に溜まって、離れないからかな。

わからないけれど。でも、海の真ん中で歌ってみたいの。

どうしても、どうしても歌ってみたいのよ。


         *


わたしが翼を失くしたのはいつのことだったかな。わたしが片足を鎖でつながれたのはいつのことだったかな。わたしが瞳を与えてしまったのは、いつのことだったっけ? もう、わからない。

わたしに残っているのは、もう声だけ。だけど、きっとこれでいい。声が残っているならば、わたしはまだ伝えることができる。歌うことができるから。


         *


それがちっとも怖くないんだって教えてくれたのは、誰だったの? よくわからない。でも、たしかに誰かがささやいてくれた。怖くないからと。だから、わたしはそれを信じようと思う。信じて、海へ行こうと思う。

海が見たいと言ったわたしに、その誰かは微笑んでくれた。じゃあ、わたしの翼をあげる、と。真っ白で、とても綺麗な一対の翼を。

わたしの背にはその誰かにもらった翼。これでわたしは海まで飛んで行ける。

海の真ん中で歌うことができる。

ねぇ、わたしの歌があなたたちに届きますように。あなた……世界中に生きる、あふれんばかりに輝く命たち。

真夜中に部屋の天窓を開けて、飛び立つ。星々の下を翔け抜けて、潮の匂いを辿って行く。

ほら、見て。海。月夜に輝く青い海。ここで、わたしは歌うの。海の真ん中で歌うの。声が尽きるまで。いいえ、その後も。

永遠に続いていく、未来の歌を。

永遠に続いていく、生命の歌を。


         *


あぁ、海から歌が聴こえる。優しい、優しい歌が。


         *


だから、哀しまないで。わたしはここにいるから。

わたしはここで歌って行くから。

だから耳を澄ましてみて。忘れないで、わたしの歌を聴いていて。

 

         *


わたしに翼はないけれど、あなたが翼を持っていてくれるのなら、大丈夫。

二度と帰れなくても、あなたの歌が聞いていられるのなら、大丈夫。

わたしも歌うわ。世界に満ちる歌を。


         *


そうして、覚えていて。わたしと、わたしに翼をくれた誰かのことを。


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