第6話 授業開始

 

 朝から未知の世界を走りまわった甲斐があった。


 下郎たちから徴収した私の財布は、すっかり軽くなってしまったが、

 それでもミス・ライナを餌付け……じゃなくて、彼女に能力を認めてもらえたのだから、結果はオーライだ。


 これで私は、晴れて魔術師の弟子になれたわけだ。


「ジェームズ、遅いわよ、そんな事じゃ魔術師になれないわよ!」


 市場とは呼べぬスラムの売り買い場を、ライナはずんずん歩いていく。

 その張り切りようは、後ろからでもよくわかるくらいなので、何が彼女をそれほどにするのかが気になった。


「師匠、ここは?」


 ライナの立ち止まった露天ーー地面に布地を敷いた簡素な出店ーーのまえ、私はそこに置いてある不思議な品々を眺め、問うた。


 サイズも柄もてんでバラバラの、雑多な布が置いてあり、それをどのように使うのか、いまいち判然としない。


 粗糸の作成にはちょうどいいだろうか。


「ローブを作るのよ。魔術師たるもの優雅たれ。わたしの師匠はそう言って、いつも魔術師として象徴たるローブを着込んでいたわ」


「へぇ。そういうものなのですか」


「そう言うものよ」


「ところで、師匠はどうしてローブを着ていないのですか?」


「ぇ、わたし?」


「ええ、もちろん。ん、どうしたんですか、師匠」


 おや、ライナがいきなり静かになった。

 何か悪いことでも言っただろうか。


「う、うるさいわね! 細かいことを気にしていたら魔術師にはなれないのよ! 

 それとも何、何なの、わたしがローブ着てないからって魔術師じゃないとでも!?」


 なぜ、そうなる。


「落ち着いてください、師匠。まずは、とりあえず……って、痛ぁ!? 本当にどうしたんですか!?」


 急に叫びだした師匠のぽこぽこ叩いてくる手に、微量ながら抵抗。


「もういいわよ! さぁ、さっさと買って帰るわよ!」


 またレディを怒らせてしまった。


 何が問題なのだろうか。

 いまいち逆鱗ポイントがわからない。


 かつての任務では、これほどまでに相手の怒りを買うことはなかったのだが……。



 ⌛︎⌛︎⌛︎



 静かな居間。

 昨晩とは見違える部屋にふたり。

 掃除により荷物置き場の任から解放されたソファに座り、魔導書グリモワールを広げてもつ。


 羅列される慣れない文字から目を離し、私はとなりで粗布を繋ぎ合わせる、謎作業に没頭するライナへと向きなおった。


「師匠、書いてあることがよくわからないんですが……」


 科学文明で生きて来て、なおかつ高い教養を持つ私だが、いまいち魔法のスピリチュアルな詠唱スペルの法則性がみえない。


「ふふ、やれやれ、まったく、ジェームズはダメダメね♪」


 やけに嬉しそうライナは、ずいっとお尻をスライドさせてこちらへ寄ってきた。


 ピタリと腰と腰があたる。


「ちょっと近いわよ! 離れなさい!」


「っ、痛いです、意味がわからないです!」


 あまりにも理不尽な平手を喰らい、我が目を疑う。


 すごい痛い、なんで、私は殴られたんだ。


「ひどいですよ、師匠……」


 頬をおさえて、抗議の視線をおくると、ライナは狼狽した様子で「ぁぁ、ごめん……」と、小さな声でつぶやいた。


 けれど、すぐに頭をぶんぶん振り、調子を取り戻すと、「淑女とは一定の距離を開けないといけないのです。だから、ジェームズ、あなたが紳士なら、ちゃんとわたしの接近に反応してみせなさい」などと、訳の分からない供述をはじめた。


 これは異世界こちらでは常識なのだろうか。

 だとしたら、この世界で紳士をやっていく自信が、早々になくなりそうである。


 この傲慢で気高いレディとともにうまくやっていけるだろうか……実に不安だ。



 ⌛︎⌛︎⌛︎



 ーー翌日


「いい、これから魔術の基礎・基本をたたき込んでいくから、覚悟しなさい!」


 ライナはちょっと楽しそうに魔導書をひらくと、華奢な白い指をたてて、魔法の歴史を紐解きはじめた。


 彼女によると魔術とは、先人が自然現象を克服するために作られたものであり、その魔術的な技術の進化は、すべてが人類共通の遺産とされる。


 血統による差はあるのか?


 魔術を扱うためには、特別な才能はいらないが、

 魔術師の家系などは、その血統を制御して、意図的に優勢な遺伝子を残しやすいように、

 コントロールしている場合が多く、優れた魔術師が生まれやすいとか。

 また、親が魔術を使い慣れていると、魔力への順応によって、その子孫も魔法が得意なことが多いようだ。


 ライナによると現代魔法の行使には、魔術式を満たすことが大前提らしい。


 口にだして詠唱えいしょうしたり、心のなかで暗唱あんしょうしたり、魔力触媒まりょくしょくばいとよばれる便利アイテムで魔法陣を作成したり……魔術式の満たしかたは、いろいろあるらしい。


 現代魔術のほかに近代魔術、古代魔術、あるいは民族や、種族などに由来する固有魔術もあるらしい。


 覚えることは、たくさんありそうだ。

 これは勉強しがいがある。


「ーーというわけで簡単な説明を終えるわ。細かい部分はおいおいね。ここまでで質問は?」


「とりあえずは、大丈夫です。教え方うまいんですね、師匠って」


「……そう? ふふん……ありがとぅ。じゃなくて、んっん、とにかくよ! 魔法を使えるようになりたいのなら、理論をしっかり学んで、そのとおりに式を満たすことが大切なのよ!」


 ライナは頬を染め、声をあらげ手を振りだす。

 なんだ、このレディは。まるで触れるだけで爆発する、ニトログリセリンではないか。

 餌付けして楽勝だとおもった私を殴りたい。

 うちの師匠の扱いは相当な困難をともなうものだったんだ。



 ⌛︎⌛︎⌛︎



 ーー3日後


 異世界、そのスラム街での生活にもすこしも慣れてきた。


 昨日は一定の基礎を学んだのち、ライナの杖をかりて、初等魔法の≪ファイア≫を唱えた。


 なかなか上手くはいかないもので、一度も「現象フェノメノン」を起こすことが出来なかったが、最初はこんなものだと割り切った。


 まぁ、ゆっくりやっていけばいいだろう。



 ⌛︎⌛︎⌛︎



 ーー1週間後


 ここのところ、ライナ師匠から動揺や遠慮というものを感じなくなった。

 また、スパイとしての訓練も積んでいる私は、心理学にも精通しているのだが、どうにも彼女は人格に不安定なところがあるとみえる。


 端的にいうと、性格がよくない、ような気がする。


「ジェームズ、どうしてこんな簡単な魔法も唱えられないの! 何度も教えてるでしょ!」


「うぅ、すみません。でも、魔法唱えてもうまくいきませんよ?」


「かしなさい! ≪ファイア≫!」


 取りあげられた杖で、ライナ師匠は杖先にメラメラ燃ゆる火を作りだして見せてきた。


 まるで「何言ってのよ、出来るじゃない!」とでも言いたげのドヤ顔だ。


 初心者相手にマウントをとって楽しむなど……やっぱり、うちのライナ師匠はかなり性格悪いようだ。



 ⌛︎⌛︎⌛︎



 ーー2週間後


 毎日のように師匠に小遣いを持たされ、パンを買い、汚部屋を掃除していき、師匠が用事から帰ってきたら魔術の勉強にいそしむ。


 だんだん出来上がってきた、ルーティンのなかで、私は充足感を得はじめていた。


 なぜなら、ついに私にも初等魔法≪ファイア≫を唱えられるようになったのだから。


 師匠の教え方はスパルタで、基本的には理解できない場所を、理解できるまで延々とやらせてくる。


 最初はただ性格がねじ曲がってるせいかと思った。


 だが、違った。


 いや、性格はもちろん悪いのだが、ただ悪いだけではない。


 この子ーーいや、この人は厳しいが、めちゃくちゃに面倒見がいいのだ。


 何度でも、私がつまづいた部分を説明しなおしてくれるし、最近習いだした『魔術言語まじゅつげんご』の勉強にも夜通しで付き合ってくれる。


 大抵は師匠のほうが先に寝落ちするのだけれど、それでも、これほど熱心に教えられると、弟子としてはなかなかな嬉しいものだ。


 これならば、この性格悪い師匠ともうまくやっているだろう。


 私は、隣で眠りこける少女を見て、薄く微笑むのだった。

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