ウソノマコト

月澄狸

うその憂鬱

 薄暗い部屋の中に一匹の獣がうずくまっている。


 獣の視線の先には、大きな二つの影。

 影は声を荒らげ、獣に向かって交互に何かを言っている。一方は女性の声、もう一方は男性の声だ。


「あなたこの前も変化の術がとけたそうじゃない。ちゃんと化けるくらい簡単なことでしょ。どうしてそんな簡単なことができないの! いい? くだらないことにばかり興味を示すのはやめて、化けることに集中しなさい。人間社会に溶け込むのよ」


「それと勉強な。あとはできるだけ喋らず、うつむきがちに本でも読んでいればいい。そうすればおとなしくて静かな子なんだなとまわりから思われる」


「私そんなタイプじゃないもん!」

 獣は大きな声で言い返した。


 男性の方はぎょっとした様子で、さっきよりも声のトーンを落とした。

「だからだよ。お前は何にでも首を突っ込む。何でも話してしまう。いいか、よく喋る子でも、賢くて言っていいことといけないことが分かるんだったらこんな言い方はしない。うまく人間と付き合えて、普通の人間らしくやっていけるなら問題ない。だけどお前は違うだろう。」


「言っていいことと言っちゃいけないことって何!? 普通って何が!」


 どうやらこの三人、いや三匹は親子らしい。

 母親がイライラした様子で子どもを怒鳴りつける。


「まだ分からないの!? おかしな行動ばかりするなら自由にさせておけないって言っているのよ。あなたはもう中学1年生でしょう。いつまで魚やカメにばかり話しかけているのよ。変な子だって思われて目立つでしょう。化けるのに集中できなくて変化の術がとけるのも、生き物に気を取られているせいじゃない?」


「友達だもん。それにお母さんもあまり人間と話すなって言うじゃない」

「魚やカメと話せって言っているんじゃないの」

「じゃあ誰とお喋りすればいいの」

「あなたが喋ると、秘密を漏らしてしまいかねないでしょ。誰とも親しくならなくていいわ」


「そんなの嫌だよ! 秘密って、私たちがカワウソだってことでしょ。人間の友達に言ったことあるよ。幼稚園のときにも、小学校のときにも。でも大丈夫だったよ」


 そう、彼らは人間に化けて人間界で暮らす、ニホンカワウソの一家だった。


「あのねぇ、そりゃ『あの子はいつも変なことばかり言っているから』って聞き流してくれる人もいるわよ。でもみんながみんなそうじゃないの。友達といったって、いつ裏切るか分からない。それに誰か他の人間にも聞かれるかもしれないわ」


「言ったって聞かれたって何も問題ないよ! 人間は怖くない」

「怖くないなら、私たちが滅びかけるわけないじゃない!」

「おいっ、二人とも……」


 父親がさらに声のトーンを落とした。

 娘の迫力に気圧されているわけではない。この会話を誰かに聞かれることを恐れているのだ。


「もういい。……静かにしろ」


「静かにしろって言ったってあなたね……この子はいつか絶対騒ぎを起こすわよ。私たち一族最大の危機よ」


「いくら言ってもしょうがないんだ。もう……仕方ない。せっかく我々を助けていただいたというのに……。カワウソの神もさぞかし失望なさるだろう」


 諦めたようにため息をつく親たちに、カッときた子どもは

「こっちだってもういいよ!」と叫ぶと、その姿のまま玄関へ駆け出した。


「おいっ、こら! カワウソの姿のままで……!」

 父親が制そうとしたが、娘は振り切って玄関扉のドアノブに飛びかかった。

 そして器用にドアを開けると、わずかに開いた隙間から外へ飛び出す。


「マコト!!」

 父親の声が響き渡る。



 幸いにも、早朝の住宅街には誰もいない。そして二人は追ってこない。

 マコトと呼ばれたカワウソは、薄暗い町の中を駆け抜けていた。


「ハアッ、ハアッ……」

 荒い息をしつつ町を走る。

 そして20分後、子カワウソは町中の濁った川の前にいた。


 少し流れの悪そうな水から、カエルやザリガニなど様々な生物の気配と、生臭い匂いが漂ってくる。町中とはいえ建物の影に隠れて人目に付きにくい場所もあり、そのような場所から川に向かって、カワウソは愚痴をこぼしていた。


「なにさ、あんなのもう親だと思えないよ。私のやることなすこと全部否定してくるもん! 本当にしつこいんだから。……私もう何のために生きているのか分からないよ。一族だの秘密だの、ずーっと息の詰まるような話ばっかり」


「うん……うん……大変だよね」

 よく見ると、カワウソの話に相づちを打っている生物が二匹いる。


「あの二人は私のことなんかどうたっていいんだ。二人にとって大事なのは一族のこと、カワウソが滅びずに生き残ることだよ。カワウソである前に私は私なのに」


「そうだねぇ……」


「あーあ、こんなふうにコソコソ生き延びるくらいならいっそ、ニホンカワウソなんて滅んじゃえばよかったのに」


「またそんな心にもないことを……」

 そう言って一匹のミシシッピアカミミガメが、心配そうに首を伸ばす。


「俺はマコトと出会えて良かったと思っているよ。ニホンカワウソが実は滅びずに生き残っていただなんて、喜ばしいことじゃないか」


「喜ばしいこと、ねぇ……」

 子カワウソは不満そうな声を漏らす。


 今度はアカミミガメの隣にいたブルーギルが口を開く。

「まぁ、喧嘩してどん底な気持ちになることはあるよね。とことん落ち込む日があっても良いんじゃない? マコトにも好きなこととか楽しみはあるんでしょ。美味しいもの食べて楽しいことして、嫌なこと忘れていけばいいよ」


「……ありがと、サフィ」

 ブルーギルののんびりとした口調に、少し安心したように子カワウソが返した。


「でもねー、私、やっぱり人間向いていないのかも。家出しちゃおっかな」

 まだぼやいているカワウソに、ブルーギルが陽気に答える。

「おっ、いいねぇ。じゃあここにおいでよ」


「いいの!?」

「マコトなら大歓迎だよ。ねぇ、ピア」


「いや、お前食われるぞ」

 名前を呼ばれたカメが冷静に突っ込んだ。



「フフフ、そういえばサフィって美味しそうだよね」

 カワウソが歯を見せていたずらっぽく笑う。


「ひぇーっ、僕はノドに刺さるし美味しくないよ」


「そっか、サフィのヒレはチクチクして痛いんだった。……でも美味しくてもチクチクしなくても、サフィのこと食べたりしないよ。友達だもん」

 カワウソのさっきの発言は冗談だったらしい。


 その会話を聞いてミシシッピアカミミガメのピアが言った。

「友達だから食べたりしない、か。そう言えるのはやっぱりマコトが人に化けて人間の暮らしをしているからだろうな。野生で生きるということは、その時その時見つけた獲物を全力で追わなければいけないということだ。チャンスを逃してはならない。あの子が友達だなんだと甘いことを言っていたら、獲物をとれなくなってしまう」


 その言葉にブルーギルのサフィが反応する。

「あー、そっか。獲物見つけたら素早く追いかけて捕まえなきゃねぇ。するとマコトがこの川に住んだら、僕は逃げ回らなきゃいけないわけだ」


「うーん、もうちょっと夢見させてくれてもいいのに。でも野生も大変なんだよね、ピアの言うとおり」

 カワウソのマコトは、おとなしく頷いた。内心、カワウソと友達になるミシシッピアカミミガメもかなりの変わり者なのだから、野生を語るのはおかしいんじゃないかと思っていたが……。


「そうそう。マコトは人間暮らしが気に入らないみたいだが、人間は人間で良いものなんじゃないか? 君たち一族は、人間に化けて暮らしているおかげか、随分寿命が延びたそうじゃないか。マコトの一生は長いんだから、これからやりたいことをできる機会がきっとたくさんあるよ」


「そうだね……ありがとう」



 二匹と話しているうちに、マコトの気持ちは落ち着いてきたようだった。

「あー、やっぱりサフィやピアと一緒にいると心地いいなぁ。なんていうのかな、魂の故郷というか、DNAが安らぐっていうか?」


「DNA?」

 ピアが聞き返す。


「えっとね、この間読んだ本に出てきたんだけど……いや、授業で習ったんだっけ……なんだったかな」


 口には出したものの、あまり意味は分かっていないらしい。マコトは何かを思い出そうとするように数秒間空を見つめたが、諦めたのかそのまま話を進める。

「私、水に住む生き物が好きなんだ。カニとかカエルとか。よく図鑑や絵本のイラストを眺めているの。でもね、さっきのサフィを食べるかどうかって話のときにも思ったんだけど、私たち、時系列が違うような気がするんだよね」


「ジケイレツ?」

 サフィが聞き返す。


「こないだタイムマシンっていうすごい機械が出てくる映画を見たんだけど、そこに出てきた言葉なんだよ。とにかくね、私と、ピアやサフィとは何か違う気がするの。なんていうか、私たちはミシシッピアカミミガメやブルーギルに会ったことがない……いや、馴染みがない気がするんだ」


「え? 昨日も会ったじゃない。どういうこと?」

 サフィが訝しがって尋ねた。


 マコトの言葉を頭の中でなぞっていた様子のピアが、不意に顔をしかめる。

「あー、つまり、アレだろう。お前も俺たちのことを外来種だなんだと言いたいんだな? ニホンカワウソ一族が人間に化けて川を離れる前の、あるべき川の姿とは違うってことか」


「ガイライシュ?」

 今度はマコトが聞き返す。


「お前な……図鑑とか見るのが好きってことは、外来種って言葉を見ただろう?」


「いやごめん、私、図鑑は好きでよく見ているけど、書いてあることの意味はあまり分からないし覚えていないんだ。図鑑に限らず本を読むときは、なんとなく読んでる」


「……」


 マコトには、人間界の複雑な概念がいまいち理解できないのだった。



「あ、そろそろ学校行かなきゃ! ……の前に、家にカバン取りに行かなきゃ」

 サフィやピアと話しているうちに結構時間が経っていたようだ。マコトは短い四つの足ですっくと立ち上がった。


「あ、もうそんな時間かぁ。行ってらっしゃい」

「行っておいで」

 二匹がマコトを見送る言葉をかける。


 マコトは二本足で立ち上がり、そのまますうっと人間の少女の姿に変化した。静かでおとなしそうな姿だった。

「二匹ともありがとう、楽しかった。また来るね。行ってきます」

 少女はそう言うと、家へと走って戻っていった。

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ウソノマコト 月澄狸 @mamimujina

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