天使×××――《同意書と診断書、それとアキラ》(2)




「はっ……はっ……はぁ……はっ……」


 息が乱れる。胸が熱い。


 ――これは、どういう意味だ?


 脳外科手術? そんなもの受けた記憶はない。


 反社会的行為を未然に防ぐ? そんなことしようと思ったこともない。


 人工知能? リーゼ? 一体何のことなんだ?


 いくら『被施術者』の項目をこすってみても、そこにある自分の名前は消えてくれない。


 目を何度も泳がせて繰り返し書類の上を走る文章を読みふける。


 不穏な字面がいたるところに散りばめられた書類の日付は、アキラが生まれてから約三年後を示していた。


 震えながらも、アキラはさらに紙をめくった。


 そこには、出生時のアキラの検査結果が事細かく載っていた。上から順繰りに流し読んでいく。


 遺伝的な疾患の有無。将来の病的リスク。性格や知能の指向性や強度。


 あらゆる人間的、生物的な要素が項目ごとに分類され、ランクごとに数値化されていた。


 その中の一つに、強烈に目を惹く項目があった。





『出生時遺伝子スクリーニング検査項目:脳機能』


 2.量子シミュレーションによる当該人物の将来の傾向と社会に与える影響


 ――眼窩前頭皮質に未成熟な部分が見られる。高度成長シミュレーション検査結果(量子シミュレーション検査委員会)により、本人は、反社会的人格障害を伴う可能性は極めて高く、先天的に共感能力や良心に欠けることが予測される。加えて規則規範を遵守する能力に乏しく、クリミナルマインドネス(犯罪心理)が醸成される傾向を得やすい。精神病質サイコパシーを含む広汎な人格障害を罹病することは避けられない脳機能状態にある。

 特に懸念されることは、本人は暴力行使に抵抗を表さないことにあり、何かしらの対策を講じない限り、幼少期から小動物や児童への暴力行為の有無を細かく監視する必要が――




 長々と続いていく今の自分とは真逆な人物評価の記述を、アキラは無感情に読み続けた。


(環境差異のみによる人格の矯正を行ったとしても、養育状況によっては、社会にとって取り返しのつかない犯罪行為を起こす可能性も、決して低くはない…………)


 二〇三八年現在、


 高度に発達したコンピュータのおかげで、乳幼児が、いや、受精卵のときから遺伝や環境の影響により、将来どんな人間に育つのかというシミュレーションがかなり精確に出力できるようになった。


 これによる社会が受ける利益は大きい。


 全ての子が全ての可能性を持っているわけではない。


 個によって向き不向きがあり、それは様々な要因から狭まり選択されていく、というのはもはや定説だ。


 ゆえに、遺伝や環境要因から乳幼児が、将来どんな人間に育っていくのかを計算することが可能になる。


 自分の得意を伸ばし、不得意を遠ざけるという効率的な生き方が幼少よりできるということだ。


 理系に向いていない子供が科学者を目指す、という非合理的選択が容易に排除できる。


 学校選択で、就職活動で、あらゆる社会の一場面でそのシミュレーションは活用される。


 もちろん、子供の選択の幅を狭めるのか、と過去には一部反発も起きたが、一定の層には受け入れられた。親はいつでも、子供に失敗してほしいとは願わない。成功への一助になるのであれば、利用したいと教育熱心な親は思うだろう。


 無駄な努力をしなくて済む。


 そのファクトはさらに加速度を増す情報社会で生き残るために人々を魅了したし、必須の要素でもあった。


 そしてこのシミュレーションは、自然とできてしまった子供に対しても平等に受けさせることができる。


 人間に対するそんな膨大なシミュレーション計算ができるのは、何も高度なコンピュータのおかげだけというわけではない。


 過去に生きた似通った傾向を持つ子供たちの症例サンプルが集められ、計算結果をより強固で確実なものにしている。


 アキラはさらにもう一枚ページをめくる。かつてあった症例とともに、アキラが起こすかもしれない事例がそのページには羅列していた。


 ………………帰宅後、少年Aはのこぎりで猫の首を切り落とし、プレゼントとしてクラスメイトの家に包装して送りつけた。


 ………………昼休みの教室で、少女Bは自分が忘れた宿題のためにノートを貸してくれなかったという理由で、友人の胸部をカッターで切り裂いた。


 ………………最後に少年Cが親や教師の前で行ったのは、笑いながら自分の首や胸に何度も包丁を突き立てるという、見せしめのような公開自殺だった。


 …………


 ……


 アキラの生まれ持っている傾向は、かつてそんな事件を起こした少年少女たちと似通っているという結論が、最後に付し記されていた。


 それ以上文章は頭に入ってこななかった。目は無意識に文を追っているのに、鍵がかかったように理解が進まない。


 余計な情報をこれ以上増やしても現実は変わらない。アキラにはそれがわかった。


 要するに、この長い長い文章の羅列はある一つのことを表しているにすぎない。


 ――アキラは誕生後すぐに、将来取り返しのつかない犯罪を犯すと予言された子供だった。


 予言の的中率が一〇〇%でないことが、今アキラが生かされている理由だ。


 シミュレーションは高精度だが、必ずしも予想通りの大人に育つとは限らない。


 育っていく過程で受ける外力の影響で、人は白にも黒にも変わる可能性を持っているからだ。


 だから人権は将来の可能性というだけで命を奪うことを今はまだ許可していない。


 一%でも異なる方向へ進む可能性がある以上、子供を無慈悲に屠るべきではない、と社会の大多数が考えた結果だ。


 それが幸なのか不幸なのか。それは子供本人にしかわからない。


 だが、ただ生かしておくというわけにはいかなかった。


 人倫の認める範囲内において、アキラの脳みそは改編されることになった。


 今では記憶力の補強や、五覚障害の補助など、脳に機械を取り付ける技術は既に確立されている。


 同じ技術が用いられているうちは、アキラへの施術になんら違法性はない。


 しかし少しばかり、特殊なものであることは間違いない。


 アキラに施された処置は、頭に小さなチップ片を埋込み、生まれながらに喪失していた倫理観を司る脳の機能を補完するというものだ。


 悪事を働いた際はチップから微弱電流が流れ、頭痛などの痛みによって行動を抑制させる。


 いわゆる、オペラント条件付けと呼ばれるものだ。


 逆に人助けなどを行った際は報酬系を操作してインセンティブを増加させ、幼少期から道徳性の高い人格を造り上げようという目論見だった。


 動力は人体に流れるわずかな電流を利用し駆動するため半永久的に活動し続ける上、脳とチップを繋げる電極は生体組織に近い特殊素材を使っているため、拒絶反応も起こりにくい。


 何が正しいか、悪いのか。それは時代によって移り変わっていくものだが、チップはその対応も成されていた。


 被施術者の知識や経験によって人工知能にフィードバックされ、時代に合わせて都度調整されていく。


 完璧なシステムのはずだった。被施術者がその存在を知らない限りは。


 今、アキラの精神は凄まじく揺さぶられている。


 倫理観というものは、自己同一性を形成する上で重要な要素の一つだ。


 それが人工物であったということは、自分の人生が歩んできた道の一つひとつが、全て「自分ではない」ものによって選ばれてきたと同じことになる。


 突然ぽっかりと穴を開けられた自分のアイデンティティ。


 強烈な自己否定がアキラを苛んでいく。


 自分由来のものだと思っていた精神の〈正しさ〉。


 それこそが自分の誇りの一つだった。なのにそれが人工物であるなら、他に自分には何が残るというのだろう?


 ユージやカナのような人間に嫌われても我慢できていたのは、自分の〈正しさ〉に自信があったからだ。


 それが自分の物じゃなくなったのなら、何を糧にすればいいのだろう?


 人工的な融通の利かない正しさは、周りの人間との軋轢を生んでいく。


 人工知能は、善か悪か、一か〇か、の判断でアキラの行動を機械的に判断する。


 そこに人間が持つ曖昧さや優柔さは一切差し込まれない。本来はそこが人間の精神のゆとりや柔軟さを生む場所でもあるのだが、アキラにはそれがない。


 知らなければ、多少こだわりの強い道徳心の高い人間で済んだかもしれない。しかしアキラは知ってしまった。これが人工的に起こされている事象だと。


 信じていたものが全て根元から瓦解した。アキラはこの先一生、自分が〈正しいこと〉だと思っていたことすら、それが本当に正しいことなのかと疑念を抱き続けなければいけなくなる。


 それでいてなおかつ、反することは許されない。


 頭の中の小さな独裁者は、アキラの心を抑えつけてでも〈正しき〉を遂行させるだろう。


 そして鋼の鎧を身に着けた天使は、いつでもアキラの罪を糾弾する執行人ともなる。


 ――みんながみんな、そうできるわけじゃないの。でも、アキラは心の中に天使を住まわせているの。それは他の人にはない、特別なことなのよ


 ――そう、天使。アキラは天使の声を聞けるのだから、それを守って生きていればいいの。そうしていれば、きっと幸せになれるから


 母親の言っていた言葉の、本来の意味が、ようやくわかった。


 天使。天使か。天使の正体が、これか。


 皮肉なものだ。天使が棲んでいたのは心ではなく、頭だったなんて。


 天使に人生を支配されて生きるくらいなら、僕は。


 気づけばアキラは、家を飛び出してあてもなく走り出していた。























………………




 ――その数分後。廊下の収納が、また静かに開けられた。

 綺麗に戻したつもりなのだろうが、動揺が残っている。

 封筒の口からは斜めに詰め込まれた書類の端がわずかに飛び出していた。

 これでは中身を触ったと丸わかりだ。

「…………」

 封筒を見下ろす女の目には冷たさしかなく、口元には微かに笑みすら浮かんでいた。







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