夜明けの蜂蜜酒

松脂松明

醸造者達

『*{}?>_`+@~~』



 人には言葉とすら認識できない言語のアナウンスが流れる。

 毛むくじゃらで身長が3メートルに届こうかという大男が、カウンターで大人しく列に並んでいる。

 外では城のような鉄塊が今まさに飛び立とうとしていた。


 ……ここはある地方都市の、何の変哲もない空港だった。神秘が開示されてもう何年になるだろうか? その影響は世界中に広がって久しく、今では一部の過激思想の持ち主でも無い限り誰も気にしなくなっていた。



「ミスター・ソウボウ。お話大変ためになりました。見返り無しの情報提供に、見送りまでして貰えるとは……」

「いや、なに。私にとっては護衛は苦になりませんから。それに貴方方のやろうとしていることは険しい道のりです。これぐらいはさせていただきたい」



 メガネをかけたビジネスコート姿の男にそう言われ、ジョンは東洋の礼として教わっていた静かな礼……頭を下げて、感謝を示した。

 ジョンは背の高く、鼻が長い典型的なイメージの西洋人といった見た目をしていた。だが、使命に対する決意とそのために蓄えてきた知識が彼を内側から輝かせていた。



「遭遇例はそれほど多くありませんが、時が経てば積もります。何年かに一度は訪ねてきてください。同業からも出来得る限りの収集はしておきますから」



 メガネの男はそう言って、協力を確約してくれた。メガネの男は魔と相対することを生業とする“退魔師”と呼ばれる者だ。彼にとっても情報は金に変わるもののはず。それをいつかの再会の時のために、約束されたワインのように取っておいてくれると言う。

 ジョンは危うく“仮面”が剥がれそうになり、一言だけ紡いで空港を後にした。



「……アリガトウ、ゴザイマス」



 その言葉に少しだけ寂しそうに、メガネの男は手を振って見送ってくれていた。いつまでも……


/


 世界は変わった。呪い師達が隠してきた技術は暴露され、今では誰もが当たり前に使う。そしてそれに関わっていた世界の裏方達の存在も知れ渡った。

 妖怪、魔物は言うに及ばず。平和的な種族なら彼らも今では“ヒト”である。


 素晴らしいことだ……ジョンはそう思いながら、微笑みと怒りを持ってペンを急いで走らせる。そこに空港で見せていた和やかな空気は無い。


 ジョンは退魔師ではない。だが戦う者であり、今こそまさに戦っている最中だった。ジョンの武器はペンと言葉だったが、ジャーナリストというわけですらない。


 ジョンは“夜明けの蜂蜜酒ドーン・ミード”と云う組織の一員だ。もっと正確に言えば“夜明けの蜂蜜酒ドーン・ミード”は組織であって組織ではない。個々人が動き回り、成果を預け合う……ある種のサロンやクラブに近い。

 だが、その構成員達は命をかけていた。その熱意が誰にも理解されずとも、彼らは真に命がけである。



「〈紫樹むらさき〉……人造深淵。〈合成深淵ハイブリッド〉……バスタード。〈嫉みし者〉……未登録のマインドイーター」



 急き立てられるような勢いで、情報提供者から得た知識を分厚い手帳に記していく。それに自分だけの私見を注釈に入れて、最後に己で思いつく対処法を記すと既に次の空港が見えてきていた。


 ジョン達、“夜明けの蜂蜜酒ドーン・ミード”が追っているのは深淵と呼ばれる存在だ。妖怪でも無い、魔物でもない、なにもかもがデタラメな怪物。

 かつてはフィクションであり、今では伝説となったクトゥルフ神話の存在などに類似している。



「怪物……そう、モンスターだ。あいつらだけがこの世界を蝕む、本当のモンスターだ……!」



 “深淵”に対抗する勢力は他にもいる。“深淵”を撃退し、封印する“封印騎士”などがその代表だ。他の勢力もはた迷惑な怪物が現れたら、即座に武力をもって相対する。


 ……その勇気を否定する気は無い。


 だが“夜明けの蜂蜜酒ドーン・ミード”達は別の道を選んだ。

 “深淵”の中には原子レベルまで分解しても、翌日には蘇っているような常軌を逸した存在もいる。ならば退治・撃退は犠牲を増やすだけという一面も出る。


 それを補うため、“夜明けの蜂蜜酒ドーン・ミード”が選んだのは“我慢”だ。

 ひたすらに記録し、知識を集積する。幾星霜の果て、必ず人間は彼らを凌駕する日が訪れる。その時、一助となるために今日を使い捨てる。

 それが“夜明けの蜂蜜酒ドーン・ミード”。ある者は元“封印騎士”、ある者は元ジャーナリスト。また、ある者は一介の教師に過ぎなかった。

 だが、彼らは戦う。同士が実在するかも定かではないが、それでも明日のために……1000年先のために。


/


 次の空港へと降り立ったジョンは、頭の中で計画を練り始めた。敵はどこにいるか分からない。ゆえに突発的な思いつきで計画を完成させるという素養が、彼らには必要だった。


 ふ、と視界に風船が目に入った。

 下を見れば、子供が風船を差し出して笑っていた。

 思わず微笑んで、膝をついて目線を合わせる。


 瞬間、ジョンの腹にめり込んでいた。

 

 ジョンはペンで戦う者だ。痛みになぞ慣れていない。だが今はそれが救いだった。理解できない未体験を、痛みとして認識しきれないでいるのだ。

 ジョンは呆然とした顔を上げる。風船を持っていた子供と目が合う。子供は笑っていた……その目は。子供はスキップしながら、どこかへと去っていった。



「っは。クソ、狂信者どもめ……」



 強大な“深淵”には魅せられたように、崇める者共がいる。コレもそいつらに違いない。クソと内心で連呼しながら、震える指先を床に押し付ける。


 だが見ていろ。10年か、100年か、1000年か、それとも億年か。いずれ我らはお前たちを凌駕する。


 吐血した血で円を描き、中央に手帳を置く。これだけが“夜明けの蜂蜜酒ドーン・ミード”達が使える魔術だ。

 所属者達の成果。命の結晶。その手帳を彼ら自身も知らぬどこかへと送り出す転移術……ジョンの手帳もかき消えた。


 ジョンの戦いは終わった。


 手帳はちゃんと届いただろうか? いや、それもどうでもいいことだ。我々の静かで小さな反感が、今まで出会ったヒトに伝わっていれば……それだけで我々は勝利できる。強大無比な貴様らには理解できまい。


 ああ……でも。最近、誰かと再会を約束していた。私から音沙汰が無くなれば、その誰かは悲しむだろうか。悲しんでくれるだろうか。



「なんて……幸運……」



 最後に痛みと怒りではない感情が訪れるなど、きっと自分は組織の中で最も幸福な最期を迎えた一人だろう。

 見果てぬ先ではなく、暖かな今を抱いて……ジョンのまぶたが落ちた。


/


 この日の空港での死者は16名。

 今日は少なかったなと思いながら、空港職員は死体置き場モルグを消灯することにした。混沌とした世の中では、連続する突然死も騒ぐことではない。


 だが、今日の遺品の一つを見て職員は首を傾げた。

 

 後日、別のセクションに回されるであろうパスポートの一つ。それには顔写真すらなく、氏名だけが記されていた。


 ジョン・ドゥと。

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夜明けの蜂蜜酒 松脂松明 @matsuyani

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