第15話 願いの代償

 目を開いた時、緑柱石の瞳の色に体が強張る。私の顔を覗き込み、手を握っているのがレジェスだと気が付いて、緊張が解けていく。


「よかった……」

「……私……」

 何があったのかと聞こうとして、アデリタに短剣で刺されたことを思い出した。脇腹に鈍くて重い痛みが走る。


「痛むのか?」

 私の傷はレジェスの治癒魔法で癒されていた。傷は無くなっても、体が痛みを覚えていることがあるとレジェスが言う。


「……子供たちは? 無事?」

「ああ、怪我一つないよ。二人とも、とても心配していた。朝になったら呼ぼう」

 無事と聞いて、涙が零れる。本当に良かった。


「……あの……レアンドロは?」

「…………何か、重要な件を抱えているらしい」

「嘘はつかないで。子供たちと私の心配はしていないのでしょう?」

  私の予想は無言で肯定された。溜息にも似た諦めの息が口から洩れる。


「アデリタはどうなったの?」

「騎士にその場で処分された。バランシエラ公爵家も取り潰しになる」

 可哀想だと思いながらも、仕方のないことだとも思う。王子を殺そうとした時点で死刑が免れない反逆罪だ。

 

「説明は落ち着いてからにしよう。僕が付いているから、今日はゆっくり眠るといい」

 レジェスの手が私の頬を撫でる。温かな手は優しくて、頬を寄せれば心の底から安心できる。寝室は完全に人払いがされているらしく侍女の姿はない。


「……気になって眠れそうにないの。できれば今、聞かせて」

「何から説明すればいいのかな……」

 レジェスは私の手を握り、沈黙が降りた。


「……結論から言うと、すべては王妃になりたかった彼女の仕業だった。まずは僕の父――先代の王に毒を盛っていたのは彼女だ。恥ずかしい話だけど、彼女は父のお気に入りだったんだ。さすがに手を出すことはなかったらしいが、親愛の情以上の愛情表現はあったと聞いてる。彼女からの酒や菓子については父の希望で毒見が行われなかった」


「彼女は父に緩やかな毒を盛るのと同時並行で次代の王であるレアンドロに狙いをつけてみたものの、すでにリカルダという婚約者がいる。そこで人を雇い〝黒い森〟の近くでレアンドロを襲わせた。魔物に喰われたと偽装するつもりが、雇った人間も魔物に喰われてしまったらしい」

 先王を毒殺したことより、レアンドロが行方不明になった原因がアデリタの策略ということに衝撃を受けた。


「殺害に失敗したことを知らずにレアンドロを排除できたと思った彼女は、僕との婚約を希望した。僕と同等の魔力を持つ貴族令嬢は彼女しかいないこともあり、父の王命で婚約が決定されたんだ」

 レジェスが〝黒い森〟での捜索に参加している間に突然発表された記憶がある。


「レアンドロが戻ってきた直後、毒が回った父が死に、僕ではなくレアンドロが王になると知った彼女は動揺した。魔力を使って土の精霊と〝魔法契約〟を結び、それを知って近づいたクレトにリカルダへ毒を盛るように金銭で依頼した。その直後にバランシエラ公爵に察知されたらしい。……父を殺した毒は公爵が若い頃に外国から持ち帰った品だった。父が死んだ時、毒が減っていることに気が付いた公爵は彼女を疑っていたんだ」


「バランシエラ公爵は僕に助けを求めてきた。娘を幽閉するから、公爵家だけは助けてほしいと。ただ、精霊との契約やクレトへの依頼はその時点では僕にも伏せていた」

「どうして王になったレアンドロに助けを求めなかったの?」


「正義感の強いレアンドロは容赦なく公爵家を切り捨てると思ったらしい。確かに僕もそう思う」


「政治というのは、正しいことだけを突き詰めればいいという訳にはいかない。バランシエラ公爵は辺境伯と友人だ。病死とされた父が毒殺だったというのは、公爵の証言しか証拠がない。そんな状況で王が公爵家を取り潰せば、必ず辺境伯が友人の為に兵を挙げる。国を二分する争いになりかねない」

 国境を護る辺境伯は、膨大な軍事力を持っている。辺境伯がどちらに付くかで勝敗は決してしまう。


「公爵との駆け引きの裏で、僕はずっと辺境伯を説得してきた。辺境伯は証拠があれば僕を信じると言ってくれたので、僕は証拠を探していた」


「リカルダがさらわれた時、僕は真っ先に彼女を疑った。すぐに証拠を押さえて魔力封印をして、それからずっとバランシエラ公爵が領地で幽閉していたんだが、ついに抜け出してきたらしい」

 私がさらわれた直後に魔力封印をしたので、精霊への魔力供給が止まったようだ。


「魔力封印をされていたのに、転移魔法を使っていたの?」

「……髪やいろんな物を代償にして、一時的に魔力を増幅させて封印を無効にしていたんだと思う。転移と結界破りで魔力を全部使い果たしたらしく、駆け付けた騎士に大した抵抗もできなかったそうだ」

 髪を切り、美しさを代償にしてまで彼女は王妃になりたかったのか。


「彼女は幼い頃、王妃になる運命だと神官に言われたらしい。ずっと自分は王妃になるんだって信じていたそうだ」

「……言ってくれれば、替わってあげたのに……」

 思わず漏れた言葉に自分でも驚く。同時に元婚約者だったレジェスにとっては不快な言葉だと気が付いた。


「ごめんなさい。貴方の気持ちも考えず……」

「……正直に言えば、彼女と結婚しなくて良かったと思っている。僕は彼女のことを何とも思っていなかった。彼女は最初から、王妃になる自分しか見ていなかった。王妃になれるなら、相手は誰でも良かったんだ」


「……謝るのは僕の方だ。リカルダに打ち明けるのが遅かった。魔力封印やバランシエラ公爵の必死な姿を見て、もう終わった話だと油断をしていた」


「いいの。私は助かったし、何よりも国が乱れなかったことは良いことよ」

 すべてを聞いて私は安堵していた。これまで、何度も何度もレアンドロのことを疑っていた。その疑いがすっきりと拭われた。


「ありがとう」

 私はレジェスの手を握りしめ、心からの感謝の言葉を告げた。


     ◆


 公爵家の娘による第一王子の殺害未遂事件は、貴族たちに非常に大きな動揺を与えたものの、レアンドロの即断即決の処分によって、すぐに鎮静化した。


 バランシエラ公爵家の取り潰しに反対する者はおらず、友人だった辺境伯も殺害未遂の一部始終を目撃者から聞いて沈黙したと聞いている。


 それから半年が過ぎ、王家主催の華々しい舞踏会が開催された。最初は王と王妃のダンスから始まる。レアンドロが私と踊ってくれるのは、この時だけだ。後は最後まで椅子に座ってしまう。


 愛する夫の笑顔が胸の鼓動を早くする。たとえそれが作り物の笑顔だとしても。

 無言で差し出された手に手を乗せると、緊張でドレスの下で脚が震える。王妃として失敗は許されない。


 踊っている間だけは、昔の優しかったレアンドロを感じることができる。笑顔を見ながら思い出すのは楽しかった日々ばかりだ。思い出に浸っているとレアンドロが口を開いた。


「マウリシオはよく熱を出すそうだな」

「ええ。でも大丈夫よ。医術師の薬が良く効いて、次の日には下がっているの」

 レアンドロが初めて子供の心配をしてくれていると、私の心は喜びに満ち溢れた。


「三人目が欲しい」

「え?」

 何を言っているのかわからなかった。脚は無意識でも動いている。


「わからないのか? 三人目の王子が欲しいと言っている」

 微笑みながら、他の男に抱かれろという夫の顔を私は凝視した。

「……私……貴方の子が産みたいの……」

 零れた言葉にレアンドロは一瞬不機嫌な顔を見せ、また笑顔に戻る。

 

「泣くな。人が見ている」

 その一言で溢れそうな涙は止まった。


 そして私は、またレジェスと夜を共にするようになった。

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