第14話 罪人の証

 私が産んだ女の子にはエルミニアという名が付けられた。レジェスと二人で相談して決めた名だ。


 この国では呪われないように誕生日は隠される。誕生月が同じ場合は、男の子が上になるのでマウリシオが第一子になり、エルミニアは第二子とされた。


 夫はレアンドロなのに。慌ただしい子育ての中で、そう思う瞬間が減っていく。政務に忙しく没頭し子供たちを見向きもしないレアンドロの替わりに、レジェスが何かと気に掛けてくれる。


 乳母や侍女にすべてを任せてもいいと言われても、私は必要な公務以外の時間を子育てに費やした。子供たちに向かい合っている間は、レアンドロのことを忘れていられる。


 一年が経つと、レアンドロは二人目の王子を求めた。世継ぎが一人では心もとないと言われれば、私はまたレジェスに抱かれるしかない。


     ◆


 夜の寝室で再び抱き合うレジェスの腕は温かく、背中には私を助ける為に刻んだ魔術紋様が残っている。

「レジェス……体調は大丈夫なの?」

 体に負担が掛かっているはずなのに、レジェスは表情にも仕草にも出さない。

「平気だよ。毎日全身を鍛えているような感じだね」

 空気が重く感じるだけだと笑う。


「……これは治癒魔法でも消えないのね」

「怪我じゃないからね。リカルダや子供たちを護るために役に立ってるから無駄じゃないよ」


 レジェスが作った護り袋は一生に一度しか製作できない物だった。今はその替わりに護りの魔法を掛けてくれている。クレトがいなくなって私に毒を盛られることはなくなったものの、先代の王に毒を盛っていたのは誰なのか疑問を持ちながら、誰にも相談できずに過ごしている。


「エルミニアには精霊の護りがあるから、僕の術は余分かもしれないけどね」

 あの土の精霊の護りは神官長すら驚く程の強力なものだ。怪我や病気を患うこともなく、元気に育っている。


「余分なんてことはないわ。子供を育ててみてわかったの。子供は常に世界に興味を持っていて、様々な危険に囲まれてるって。私一人の手では足りないことも多いの。レジェスの護りはそれを補ってくれてるのよ」

 何かに気を取られて突然走り出したり、余所見をしたりと子供は落ち着きがない。常に気を配っていないと子供を危険にさらしてしまう。ふと気が緩んだ時、レジェスの護りが役立つことがある。


 子供たちにレアンドロを父、レジェスを叔父と教えることが不自然だと思いながらも、王妃である私はそうするしかない。


「ごめんなさい……レジェス……」

「リカルダ、謝らなくていいよ。もう何度も言ってるけど、これは僕が自分の為に選択してきたことだ」

 

 レジェスが夫だったら。そんなもしもを繰り返す。どんなに冷たく残酷でも、レアンドロが夫というのが現実だ。王妃である私はそんな現実から逃げられない。


「……次は男の子を産めるかしら」

「それは女神様にお願いしないとね……」 

 レジェスの深い口付けを受け止めながら、私はレジェスの背に腕を回した。


     ◆


 一年後、私は男の子を産み、第二王妃が女の子を産んだ。その子も私が育てることになり、日々慌ただしさが増していく。私が男の子を産んでもレアンドロは喜んではくれなかった。やはりという諦めもレアンドロの冷たい態度も、四人の子供たちを育てていると忘れていられる。


 初夏に向かう明るい王城庭園は、新しく瑞々しい緑の葉が生い茂り、白い花が咲き乱れている。爽やかな風の中での散歩は毎日の日課の一つだ。


 まだ歩くことができない赤子二人を乳母車に乗せて二人の侍女が押し、私がエルミニアとマウリシオと手を繋いで歩く。春に就任した護衛の騎士をエルミニアが嫌がるので、いつも庭園の出入り口で待機させている。


「お母様、あれは何?」

 マウリシオは様々な物に興味を持っていて、一つずつ説明をすれば一度で理解してしまう。エルミニアは静かに聞くだけだ。


 マウリシオは王家の男子の象徴である金の髪に、第二王妃の青い瞳を持っている。育て始めた時にはその瞳に違和感を持ったことがあったものの、今ではどちらも可愛い我が子だ。


 これ程可愛い子を手放さなければならなかった第二王妃が可哀想だと思うことがある。レアンドロの仕打ちに抗議しても、王命と言われれば誰も抗えない。


 昔はもっと優しかったのに。魔女に裏切られて、レアンドロの中で何かが変わってしまったのだろうか。


 赤子二人が泣き出し、部屋に戻ろうとするとマウリシオがまだ散歩をしたいと私にねだる。侍女に赤子と先に戻って欲しいと告げると難色を示された。


「ここは王城よ。庭園の周囲は騎士と兵士がいるのだし、安全でしょう?」

 昔から護衛はついていたけれど、王城内で襲われたことは一度もない。母子三人だけで歩いても、特に危険はないだろう。


 乳母車を押す侍女を見送って、また歩き出す。しつけに厳しい侍女の目がなくなって、子供たちは生き生きとした顔で走り回る。他人の目を気にするのは、小さな子供でも同じようだ。


「お母様!」

 叫びながら走り寄ってきたエルミニアが、私のスカートを握りしめた。

「どうしたの? エルミニア」

 何かに怯える表情が気に掛かる。娘の視線の先を追うと、風が集まっていく。


「これは何?」

 風が渦を巻き、赤黒い光が地面に魔法陣を描いてバランシエラ公爵家の娘アデリタが現れた。黄金の波のようだった髪はあご下で短く切られ、何故か痛々しい。サファイアの瞳は赤く輝いている。


 美しく魅惑的な曲線を描いていた体はやせ細り、首や手の骨が目立つ。平民のような質素なワンピースの上に魔術師が着用するようなフード付きの黒いマントを着用している。


 転移魔法を行使できるのは、王族並みの魔力を持っているからだ。……ここには転移を禁じる結界が張られていることを思い出した。


「これはこれは王妃様。お久しぶりでございます」

 所作だけは優雅に、口調は相手をからかうような挨拶が行われる。お決まりの挨拶を返すと、アデリタは目を細め、口を歪めて禍々しい笑みを見せた。


「……幸せそうね。王妃様」

  愛する夫の子供ではなく、その弟との子供、そして愛人の子供を育てていることが、幸せに見えるのだろうか。私は深く衝撃を受けながらも微笑み返す。子供たちに私の心を知られてはいけない。


「貴女とこの子たちがいなくなれば、わたくしが王妃になれるのよ」

「何を言っているの?」


「わたくしは王妃になる運命の下に生まれたのに、貴女がわたくしの運命を奪ったのよ。わたくしが先にレアンドロに会っていれば、わたくしが婚約者になるはずだった。貴女が王妃なのは間違いなのよ」


 アデリタの言葉が胸を抉る。私が王妃なのは間違い。確かにそうかもしれない。

 ぎらぎらと光る赤い瞳は、魔物の瞳を思い出させた。娘を背に隠し、息子の姿を横目で確認する。


「間違いは正さなければ、ね。わたくしは正しいことをしようとしているの。邪魔をしないで。王妃になれば、邪魔なこの封印もきっと解いてもらえる」

 マントの下から短剣を握る手が現れた。その甲には魔力封印の魔法陣が刻まれている。


「封印? アデリタ……一体、何をなさったの?」

 魔力封印は罪人の証だ。


「……誰か! 助けて!」

 私の叫びに応える声が聞こえても、すぐに護衛が来ると安堵することはできなかった。アデリタの短剣は、立ち尽くすマウリシオに狙いを定めている。


「無駄よ!」

 赤い瞳が不吉な輝きを増し、ガラスが割れるような音と共にレジェスの護りの魔法が壊された。


 子供たちだけは護らなければ。

 私は、振り下ろされた短剣を体で受け止めた。

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