悪夢


 杏にはどうしても理解出来なかった。中学に入って新しい関係が広がるからといって、わざわざ離島で山登りなんてする意味が。ほかの生徒は、物珍しいかもしれないが杏は毎日島から本土へ通っている身……必要性を感じるわけがなく、こっそり家に帰ろうかとすら考えていた。


 島唯一の港の前で80人ほどが体育座りをして、先生のな話を聞く。

 山登りの危険性も、協力の重要性も教室で耳にタコが出来るほど聞いたというのに、なぜここでも聞かなければならないのか。そんなに信用していないなら、校外学習などやめたほうがいいと悪態をつきたい気分にまでなる。


 膝に顔を付けて寝たふりをしていたせいか、全員が立ち上がるのに一歩出遅れる。


「おい! 吉岡! 何をぼさっとしているんだ。自分の班の後ろに並べ」

 担任の林先生は、杏に冷たい口調で指示する。


「杏ちゃーん、こっちこっち! この島に住んでるなら、道も完璧だよねー」

「うちらの班だけ、島人いて余裕じゃーん」

 班員のキャピキャピとした女子達が、からかうような口調で杏を急かすが、本人は何とも感じていなかった。クラスメイトを一瞥してから先生の方へ向きなおす。


「先生、これは仲を深める為に行うんでしたよね?」

 杏は呆れた口調で問いただす。

「当たり前だ。さっさと準備しろ。俺はこうも言ったはずだ。一致団結しろと。お前はいつも、輪を乱すからな」


 どうやら言いたいことが分からないらしい。私を友達にする気がない人達と班を組んで登山させても、友情など芽生えるはずがない。どう考えても無事に山登りが終われないことだけは、想像できた。


「分かりました。頑張ります」

 棒読みで軽く悪態をつき、かわいらしいクラスメイトの後ろへ並ぶ。早く帰って布団にもぐりたい。出発の合図と同時に杏は大きくため息をついた。


 港から山へと歩いていく。なだらかな坂を上りながら、殆どの生徒がワイワイと話しながら進んでいく。杏は、前の方を見てから後ろを振り返る。どう見ても、話す友人がいないのは自分だけのようだった。


 やらかしたな……。入学式早々、他の人が分からない話で熱くなったせいに違いない。すっかりクラスで浮いてしまっている。別に、友達がいなくても困ったことはないのだが、こういう強制的な場ではどうしても必要になり唐突に後悔をしてしまう。


 ふと気が付くと、山の入り口まで来ていた。すぐ側には小さな神社がある。

 最近は山に入ることはないからか、ふいに懐かしい思い出が蘇る。


「おばあちゃん。どうして、山の入り口には神社があるの?」

「そうさね、杏はこの島の猫の秘密を知っているかい?」


 杏はまだ5歳くらいの頃。まだおばあちゃんが元気だった頃、島に伝わる話をよく聞かされていた。じゃあ、教えてあげるねといい、おばあちゃんは話を始める。


「むかし、むかし、島には多くの猫がいました。しかし、ある時、悪い人間が食べ物に毒をいれて猫に与え、何匹もの猫が死んでしまいました。猫のリーダーは、ずっと島で暮らしていくために山の入り口の神社で神様にお願いしました。どうか、脅威から逃れ生き続けられる術をくださいと。何度も何度もお願いしました。すると、神様が現れて、願いを叶えるために1つの条件を出しました」


「じょうけんー?」

「そうだよ、条件を1つ出したんだよ。その条件は人間と心を通わせること。それが出来れば、その猫には不老不死の力を授けると約束したそうだよ。それから、あの神社は島猫神社とも呼ばれるようになったのさ」


 おばあちゃんは、そう聞かせてくれた。島の人であれば、だれしもが知っている話である。クラスメイト達は、猫が多くて可愛いとしか思っていないかもしれないが、もしかしたらこの中にも不老不死の猫がいるのやもしれない。

 少しだけ期待の目で、日向ぼっこしている猫に目を向けるが、ないないと自分の中で否定をする。

 一体どうやって心を通わせるというのか。言葉が話せるわけでもないのに、ばからしい。伝説のことよりも、この先で待ち受ける悪夢の方に集中すべきだった。


 山の中腹から、班ごとに分かれて山頂を目指していく。

「てかさー、5人班にした先生だいぶ酷くない?」

「え、なんでー?」

「だってさあー、ねえー?」

 班の女子達はニヤニヤと口元を緩ませてと杏の方を見る。


「2列で歩くとき、絶対誰か1人になっちゃうから、かわいそうじゃーん」

「え、ほんとだー! 美菜子、天才すぎだしー」


 どうやら班のリーダーは美菜子というらしい。自分を貶めるクラスメイトの名前など憶えていられない。こういう時、自分はどのような顔をしているのだろうか。完全に無視しているつもりなのに続けるということは、いじめがいのある顔でもしているのだろうか。


「それよりさ、他の班より遅れているけど大丈夫?」

 班のメンバーに初めて口をきいた気がする。しかし、進捗が悪いのは本当だった。特にこのコースは階段が多く、無駄口ばかり叩く班が抜かされていくのは必然だった。


「はぁー? 何様なわけ? 島人なんだから、もっと発揮しなさいよ。あんたのせいで遅れているんでしょ?」

 一番後ろに杏を並ばせたくせに、無茶を言う。それに山道は体力が必要なのであって、土地勘があっても歩く気がなければ仕方ない。しかし、杏自身もトロトロと進むペースに足が疲れきっていて、言い返す体力もなかった。ここは無視しておこう。


「すぐ、黙るんだから、こいつ」

「そんな奴に水筒なんか要らなくない?」

 疲れからか美菜子も苛立ちのピークを迎えている。杏のリュックに刺さった水筒をガシっと掴む。


「ちょっ……やめ」

 その時だった。杏は美菜子の手を振り払おうと、体ごと捻った際に足が絡まりバランスを崩し、崖側にそのまま滑り落ちてしまう。


 とっさに受け身を取るも、勢いよくズザザザと滑っていく。杏が落ちていくところだけ草や枝が避けるように跡がつく。

 幸運にも元居た位置から、そう高さは無い窪みで体は止まる。

 

 杏はゆっくりと目をあけ、見上げると美菜子達が驚愕の表情を浮かべている。表情が見えるくらいの位置でよかった。この山は初心者向けの山だ。少し回り道をすれば戻れるだろう。


 その時、美菜子が取り巻きを引っ張り足早に去っていくのが見えた。まあ、そうするだろうということは分かっていた。いじめっ子らしいなと微笑したものの、左腕と足の痛みが現実へと引き戻す。


 背中から滑ったが、木で左腕を切ったらしい。血が滲む。足も挫いたようですぐには歩けそうにない。


「はあー。なんでこうなるかなあ……人間向いてないのかな」

 1人で林に向かって話をしても答えは返ってくるはずもなく。結局美菜子に水筒を取られてしまったので、水分もない。


 まだお昼前だし、殆ど危険はないが早めに動けるようにならないと危ない。ジンジンと痛む左腕を、合宿で使うつもりだったタオルで巻く。痛みが強くなると心が弱くなる。はやく、はやく、立ち上がって動けるようにならないと。


 焦りを感じながら、側にあった木にリュックを預け枕にして休む。こういう時はジタバタしても仕方ない。静かに、意識を遠のかせていった。

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色なき風 豆腐 @tofu_nato

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