テノヒラガエシ

長月瓦礫

テノヒラガエシ


窓の向こうは一面の夕焼け空が広がっている。

夕陽がさしこみ、明日香の顔をオレンジ色に照らす。

彼女は机に座り、俺を一心に見つめていた。


太陽の光がスポットライトのように当たり、彼女の髪はより輝いてみえた。

明日香のほおに触れると、合図したように目を閉じる。


長いまつげと色白の肌、絵に描いたような美少女がここにいた。

俺の恋人であることが未だに信じられない。

俺と彼女の二人だけの世界だった。


彼女と唇を重ねようとした瞬間、軽い音が教室に響いた。

自分の顔面に受けた衝撃を理解するまもなく、俺は床に倒れ伏せた。


「気安く触らないでくれる? 社会のシラミが」


いつの間にか机から降りていた彼女は俺の目の前に立って、腹部を蹴り上げた。

一体、何が起こったんだ? 何で蹴られてんだ、俺。


「私のものじゃないから大事にしない。そういうことよ」


「え?」


「もしかして、全然気づいてなかったわけ? マジでウケるんですけど?」


耳障りな高笑いが教室に響く。

おい、誰かこの状況を説明してくれよ。


俺が何をしたっていうんだ。

何で俺がこんな目にあってるんだ。


「何でアンタみたいなボンクラと付き合ってたか、考えなかったの?」


何でって、そっちから告白してきたんだろうが。

そんな可愛い子から好きって言われたら、断る理由なんかねえよ。


「本当に何も分からないのね、かわいそうに」


彼女は俺のつま先を踏みつける。

ぐりぐりと押し付けられ、痛みが走る。

女王様か何かのつもりかよ。


「感謝しなさい、私はまだ優しいほうだから」


優しくてふわふわとしたオーラを放っていたた天使から、ただの暴虐な悪魔へ変身した。これだけ人を暴行しておいて、優しい方だと?


「ふざけんじゃねえ、どういうことだ!」


「いい加減気づいたらどうかしら?

アンタのそれは愛情ではなく、ただの支配欲だわ」


支配欲?

彼女は何が言いたいんだ。

俺の何を知っているんだ。


「自分に文句ひとつ言わないような、お人形さんが欲しかったのよね。

かわいそうにねえ、そんなのどこ探してもいないわよ」


彼女は目を薄く開け、口角をあげて笑う。

ゲスみたいな表情ですらも、美しいと思ってしまう。

その表情に一瞬だけ、見とれてしまっていた。


「こっち見んな、下種が」


また俺の腹をけり上げる。

落ち着いてきた呼吸がまた乱れる。


つまり、俺をもてあそんでいたってことか。

恋人ができて、浮かれていた俺を馬鹿にしてたってのか。

自分の今ある状況を理解した途端、腹の底からふつふつと何かが沸き上がる。


「じゃあ、今までの全部、嘘だったってのか?」


「私は結構楽しかったわよ? 

アンタのマヌケな顔、本当に最高だった。

理想のカノジョと過ごす毎日はどうだったかしら?」


理想の彼女、そうだ。

まさに、目の前で足を踏みつけている彼女は俺の理想そのものだった。

小柄で人懐こい女子が理想だった。


目が覚めるような美少女とまではいかなくとも、可愛い子と付き合いたい。

男なら、誰だってそう思うんじゃないのか。


俺はゆっくりと立ち上がる。


彼女のためなら、何でもしたつもりだ。

欲しいものなら何でも買った。

彼女のおねだりに勝るものはなかった。


あれだけ尽くしてやったのに。

簡単に捨てるのか、俺のことを。

俺は拳を固く握る。


彼女はなお、笑い続ける。


「そんなに怒らなくたっていいじゃないの。

私もアナタのワガママを全部聞いてあげたのよ?

見せていいもの悪いもの、あんなことやそんなことができて楽しかったでしょう?」


ああ、そうだよ。

一線を越える寸前のところまで、関係は進んでいた。

お前は俺の物のはずだろ。違うのか。


「本当に哀れな人ね。何も分からないなんて。

人間やめたらどう?」


彼女は俺から離れ、教室のドアを背にして立った。

ドアを引くと、そこに美優が立っていた。


「お、お前……何で!」


今日は部活でここにはいないはずなのに。

何でここにいるんだ。


「明日香に呼ばれてきたんだけど……どういうこと?」


夕実は俺の恋人だ。

彼女と穏やかにすごす時間もよかったけど、正直、飽きてきていた。

そこに現れたのが明日香だ。


ひとつひとつの動作が小動物みたいで、より魅力的に見えた。

俺の心は次第に、明日香のほうへ移っていた。

そして、彼女に告白された。断る理由もなかった。


夕実と明日香とは接点がなかった、隠し通せると思っていた。

何で一緒にいるんだ。

呼ばれたって、どういうことだ。


「ち、違うんだ! 俺は何もしていない!」


「違うって、何が?」


冷たい視線を俺に向ける。

明日香はにやにやしながら、やり取りを眺めている。

もしかして、すべて分かった上でこんなことをしたのか?


「もういい、さよなら」


それだけ言って、夕実は立ち去った。

いくら訴えても、誰も聞いてくれなかった。

夕実の冷たい視線で、俺の心は打ちのめされそうだった。


何で、どうして裏切ったんだ。

二人で何をしていたんだ。


明日香は静かにほくそ笑み、俺を置いて教室を去った。


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