カレーを食う

神澤直子

カレー

 カレーを食おうと思う。

 年末で仕事が忙しく、今日は少し遅くなってしまい、正直夕飯を作るのがめんどくさい。別にカレーでなくても構わないのだが、家から一番近くて遅くまで開いているのがこのチェーンのカレー屋だった。なにせ、辺ぴな片田舎に住んでいるものだから、どこもかしこも閉店がやたらと早い。もうちょっと早い時間だったら、少しは選べたのだけれども、すでにどこもかしこもシャッターが降りていた。

 そういうわけで、今日はカレーを食う。

 店に入ってまず食券を買う。

 カツカレーがおススメの店で、様々な種類のカツカレーがある。いつもだったら迷わずにロースカツカレーなのだが、今日はあまり豚肉の気分ではない。たまにはチキンカツなんていうのもいいかもしれない。そう思って今日はチキンカツカレーだ。もちろんいつものように大盛りで、カレーに合うのか合わないのかはわからないけれどもビールも一杯注文する。一日の労いの晩酌は毎日していて、別にコンビニで適当なつまみを買って、家で飲んでもよかったのだが、なんとなくめんどくさかった。こんなところで時短をして、労いもクソもあるかという感じではあるものの、毎日の習慣というものを変えるのは中々勇気がいる行為である。

 テーブルについて店員に食券を渡す。

 愛想の良くない中国人らしい店員は、じろりと嫌な目つきで睨みつけながら食券を受け取った。半券を切って、ぞんざいに残りの半分をカウンターのテーブルに置く。別に目の前にいるのだから渡してくれてもいいのに、とは思ったのだけど日本人の気質というものなのだろうか、喉まで出かかった言葉を飲み込んでしまい、何も言うことができなかった。まあ、こんなことで角を立てても仕方ないしな、と自分に言い訳をして納得させる。

 そういえば、この店の店員は外国人ばかりだ。今いるのはさっきの愛想の悪い中国人男性と、インドかネパールあたりの色の浅黒い男性、あとは東南アジアっぽい雰囲気の女性だ。ちょっと前までは日本人のおばちゃんも働いていたのだが、そういえば最近とんと見ない。割と気立てのいいおばちゃんで、いつも常連さんに対してガハガハと笑顔で接していて、別に特別仲が良かったわけではないけれどもしっかり顔を覚えられてはいたのでたまにサービスでエビフライやら温泉たまごやらをつけてくれることがあった。チェーン店だからそういうことには厳しいのではないかとは思っていたけれども、いなくなった原因がもしそれだったら少し申し訳なく思う。やめていなければいいが。もしかしたら、シフトが変わっただけなのかもしれない。いや、そうであることを願いたい。

 最近、こういう店では外国人の店員が増えた。近所のコンビニも八割が外国人の店員だ。別に外国人だからどうっていう話ではないけれども、外国人の店員が増えて少し嫌なサービスを受けることが増えたような気がする。特に中華系の店員が最悪で、さっきの男性店員しかり、楽しくなさそうな接客をしてくるイメージがある。まあ、たしかに仕事は楽しくなんかないし、正直な人だなとは思うのだが、それでも日本の文化で育ってきたのでなんか釈然としない気持ちがある。逆に感じのいいのが、東南アジア出身ぽい人たちだ。みんなよく働くし、なによりも愛想がいい。女性は少しシャイなところもあるけれども、それが可愛らしく感じられた。

 きっとお国柄なんだろうな、と思う。

 そんなことを考えているうちに料理が運ばれてきた。

 中国人店員がぼそりと何か聞き取れないことを呟いて、どすんとテーブルに料理とビールを置く。もうちょっと優しくおいてもいいだろうと思ったが、やはりそれを直接伝えるだけの勇気はなかった。

 少し不満に思いながら、目の前のスプーンを取る。ここのスプーンは少し面白くて先が割れてフォークのようになっている。使いやすいかと言われればそうでもないのだけれども、付け合わせのキャベツを食べるときに少しは役に立つのだ。

 器の中にはキャベツとどろりとご飯を覆うような少し黒いカレールー、あとはその上にチキンカツが乗っている。なんの変哲も無いカレーだ。

 このチキンカツが問題で、びっくりするくらいに薄っぺらい。一口かじると、中身より衣の方が多いくらいの薄っぺらさだ。でも、チキンカツはロースカツよりも少しマシで、ロースカツなんかは明らかにロースよりも衣の方が厚い。

 1,000円を切る値段でカツカレーを出しているのだから仕方ないのだろうと思う反面、他のチェーン店では割としっかりとしたカツが出てくるので、金額的には安いはずなのにどこか損をした気分にさせられる。

 テーブルの上にはソースと醤油。あとは福神漬けとらっきょうが食べ放題だ。これは少し嬉しい。どうやら今日は無類の激辛好きがいたらしく、その隣にデスソースが置いてあったが、これはいただけない。見なかったことにして、隣のらっきょうを手に取った。このらっきょうが結構好きで、いつも10個は食べてしまう。本当はもっと食べたいのだけれども、なんとなく店に悪い気がして、10個までと決めているのだ。

 とりあえず皿に三個を取って一粒スプーンに載せて、ビールで流し込む。

 ああ、なんて美味しいのだろう。

 らっきょうの酸味にビールのしゅわしゅわとした喉越しがとてつもなくあう。金額からどうせ、発泡酒か第三のビールと呼ばれるものだろうが、そんなことは知ったことか。とにかく疲れた身体には極上の飲み物なのだ。

 もう一個らっきょうをつまもうかと思ったけれど、10個までと決めているんだ。そんなに一度にたくさん食べてしまっては後がない。そう思って、次にらっきょうの隣のソースを手に取った。カツにかけていく。

 別にカレーのルーをかけるだけでも、それなりに美味しいのだが、ソースをかけることによって少し旨味が増すように感じていた。ついでに隣のキャベツにもソースをかける。

 そして、均等に切り分けられたカツにフォークの部分を突き刺し、頬張る。相変わらず、「衣」感のあまりに強いカツだ。ほのかにチキンの匂いがするからチキンカツだと認識できるが、匂いさえなければきっとパン粉を揚げただけの食べ物だと認識するだろう。人間の嗅覚はなんと素晴らしいものか。

 カツを味わっていると、男女が入ってきて、隣に座った。そこまで混んでいない店内なのだから、もっと距離を開けて座ってほしいと思う。かと言って、自分から距離をあけるのもおかしいかと思って、そのままそこに座り続ける。

 男女は50代くらいだろうか、どうやら夫婦のようだ。たぶん、子供が遠方の大学に通っているらしい。仕送りがどうとか、息子の彼女がどうとか、そんな話をしている。女性はカリカリとした雰囲気で、男性は気の弱そうな雰囲気。きっと尻に敷かれているんだろうな、という想像が捗る。隣の席にビールが一つ運ばれてきて、男性の前に置かれたのだが、それをひったくるようにして女性が飲んだ。「ははは、みんな勘違いするよね、僕弱くて飲めないのに」と男性は笑っていた。

 本当だったら、きっとこういうときは隣に彼女がいるのだろうな、と思った。

 笑顔が可愛くて、少しぽっちゃりしていて、美味しそうにご飯を平らげる彼女。帰りは無邪気に指を絡めてくるような彼女。

 とは言っても恋人が出来ず5年が経ってしまった。5年前に別れた恋人は、はじめての恋人で、初体験の相手だ。大好きだったし、結婚しようと思っていたのだが、振られてしまった。今になると顔もおぼろげになってしまっているが、まっすぐな長い髪の毛だけは印象的に覚えている。一般的には綺麗や可愛いと言われるような部類ではなかったけれど、それでもとても可愛いと思っていたし、大好きだった。なぜ振られたのか理由はわからない。

 新しい彼女はすぐできるだろうと踏んでいたのだが、それからなかなかできなかった。彼女と付き合いはじめたのは25歳のときでだいたい3年近く付き合っていた。別れたときは28歳。それから色っぽい話が全くない。こうやって考えると女性経験があまりに少なすぎると思う。小中学校は共学だったが、そのときは女の子に全く興味がなく、むしろ異生物のような感覚だったのでずっと男子とばかりつるんでいた。高校は男子校に入って、大学も女子の極端に少ない工業大学。その流れで入った会社も理系で女性は事務のおばちゃんが一人という有様だ。

 たまにもう少し都会に引っ越せば出会いがあるのだろうか、と思ったりもするのだけど、すでに職場はだいぶ都会なわけだし、それくらいで出会いが増えるわけがない。たしかに女性とすれ違う率は上がるだろうが、すれ違うのと出会うというのは全く別のことだ。

 以前の彼女とはもう会社を辞めてしまった同僚の紹介で出会った。こんな自分にも気軽に話しかけてくるような奇特なやつで、いい奴だった。あいつが会社を辞めて、疎遠になってから久しいけれども、どこかで元気でやっていてほしいなと思う。

 今になっては親しくしている友人もいない。最早誰かに紹介してもらおうなんて考えは捨てるべきだろう。

 そもそも、紹介してもらったところで女性と何を話せばいいのだ。先程も話したとおりに、ずっと男子にしか囲まれてきていないので、女性を目の前にするとドギマギしてしまう。性欲と何かわからないものに対する畏怖の念で話せないどころか、動きすらぎこちなくなってしまう気がしている。

 ああ、嫌だ。

 無理やり己の思考を遮った。

 こんなことを考えていると、ただでさえ毎日鬱々とした気分ですごしているのに、さらに悪化してしまいそうな気がした。

 皿を見ると、いつのまにかカレーは1/3ほどに減っていた。

 嫌な考えのせいで、全く味わえなかったなと思う。いや、味わったところでさして美味しいわけでないことはわかっているのだが。

 改めて味わおうと思って、一口を慎重に口に運んだ。

 相変わらず、美味くない。いや、不味いわけではないのだ。まあ、少し塩気が強すぎるかなとは思うけれども、そこそこの味ではある。でも、なんだろう。某バーガー店と等しく食べた時の感動のようなものがないのだ。

 まあこの値段だったら仕方ないよな、とも思っている。薄いカツといい、そこそこの味のルーといい、でも大盛りでもこの値段ではむしろ美味しいほうなのではないか、そうとすら思ってしまう。大絶賛するほどではないし、美味いか不味いかと聞かれたらたぶん「微妙」と答えるだろうけれども、不思議なことにたまに食べたくなる、そんな味だ。

 あとはガツガツと食べた。

 まあ、残り1/3程度だったから、たかが知れた量ではあるのだけど。

 隣に座っている夫婦の旦那は食べるのがやたら早く、もう食べ終わっているが奥さんの方はまだ半分も食べていない。

 最後の一口を口に入れる。

 それから最後に残ったビールを流し込む。

 カレーはイマイチだが、ビールは美味いなと思って、口元をおしぼりで吹き、席を立った。

 店を出ようとすると、あの中国人が最高の笑顔で挨拶をした。なんだ、あんな顔もできるのか。でも、なんで帰るときだけあんな顔なのだろうか。もしかしたら、客がいなくなって閉店が近づいて嬉しいのかもしれない。彼の左手の薬指には指輪がはまっていたから、きっと家には家族がいるのだろうと思う。それを考えたら少し気の毒だな。こんな安い給料で深夜まで働かされて、家に帰ったら家族はもう寝ているだろう。なかなか家族との時間がとれないのは可哀想だ。

 他人事だ、別にどうでもいいか。変な勘繰りをしても、実際にそうとは限らないじゃないか。

 そう思って店を出る。

 外は身にしみるような冷たい風が吹いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カレーを食う 神澤直子 @kena0928

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る