白花に寄せて

秋糸庭 結祈

白花に寄せて

 五月も終わりが見えてきた。騒がしいクラスメイト達も新しいクラスに慣れてきて、ようやく落ち着きを取り戻し始めた高校二年の春。

 まだ太陽が昇るのには早い時刻に一人の学生が教室の扉を開いた。ガチリと固い照明の電源ボタンを押し込み、強い白色蛍光灯の光に目を細める。

 取り立てて述べることもない紺のブレザーの制服に身を包み、肩口で奇麗に切りそろえられた髪に紺のフレームの眼鏡を掛けた、やや目つきの悪い女生徒。

 はっきりと言えば地味な少女だった。こうしてヤケに早い時間帯に登校していることを除けば他の生徒たちとなんら変わることは無い。

 じりじりと壁掛け時計が控えめに音を立てている。その音をかき消さないように慎重に扉を閉めて女生徒は窓際の列、最後尾の席へと腰を掛ける。

 その後、制服のポケットから一冊の文庫本を取り出す。どうして女生徒がほかに誰一人として登校していないような時間帯に登校するのかと言えば、読書の為であった。

 だがそれほどまでに熱心な読書家なのかと問えば女生徒は頑なに否定するだろう。普段喧騒に包まれている場所で静かに読書できるという特別感に浸りたいだけだと、女生徒は主張していた。

 もっとも本なんて月に一冊読むかどうかの女生徒のクラスメイト達には本好きの変人として認識されていたが。取り立ててソレを否定する気はなかった。変人なのは事実だろう。

 栞を頼りに女生徒は文庫本の頁を開く。明治の文豪が書いたような小説、なんてことはない。ただの流行りの恋愛小説である。ドラマ化もして来年には映画化も、とよくある大ヒット小説であった。

 そんな小説を女生徒はいつもどおり淡々と無表情のまま読み進めていく。けしてつまらないと思っているわけではなく、本を読んでいるときの女生徒はいつもこの調子だった。

 それに加えて女生徒自身が恋愛感情というものをよく理解できていないのもある。多くの歌で綴られて、幾多の物語に描かれて。それほどまでに輝かしいモノなのだろうという認識は女生徒にもあった。

 だがそれと同時にあくまでも、女生徒はなんら関係のない遠い世界の出来事でしかないという認識も。

 意味なんて辞書を引けばいいし、リアルな体験談ならネットにいくらでも転がっている。浮いた噂なんて欠片もない女生徒だったが異性と付き合ったことがないわけでもない。

 だから、だろうか。女生徒は特に好んで恋愛小説を読む訳でもなかったが、一度読んだ恋愛小説は執拗なまでに読み返していた。

 自身の周囲に目を向けるのではなく恋愛小説を読むことを選択するあたりから本気で恋愛感情を理解する気があるのかは疑問だが。本人はいたって真面目だった。

 あるいは既に諦めていると言った方が適切であるかもしれない。好きだ好きだと言われた時も、別れようと言われた時も微動だにしなかった当時の心境を思えばそもそも恋愛なんてものは無理だったのだろう。

 なんだか負けたような気がして悔しいので女生徒は頑として認めていないが。


 ――唐突にチャイムが鳴って、女生徒は肩を跳ねさせ手にしていた本を落とした。読書に集中していたとはいえただのチャイムにここまで驚いているのは、この学校では女生徒ぐらいなものだろう。

 誰も見ていないとはいえ羞恥で若干挙動不審になりながらも本を拾い上げて、頁が折れ曲がっていないか確認した。それからしっかりと読み進めたページに栞を挟み込んで閉じた。

 物語の山場も終わり、残りは放課後にでも読んでしまおうと決めた。表紙を軽くはたいてポケットの中に仕舞い込む。

 ドラマ化記念特別表紙と称して、表紙はドラマの主演男優が飾っていた。それ目当てで買う者がいる程度には有名な人物であったが、女生徒には名前すら憶えられていなかった。憶える気もなかった。

 ゆっくりと、息を吐く。

 腕を枕代わりにして机に突っ伏す。ひんやりとした空気が頬を撫でる。俄かに降り始めた雨の音が大きく響いてきた。早々に外れた天気予報に恨み言を言おうか、雨が降り始める前に学校にたどり着けた幸運に感謝すべきか女生徒は迷った。

 ひとまず帰るまでに雨が止んでいればそれで良いと、女生徒は目を閉じた。このまま時間が許すなら寝てしまいたいと思う。けれどもそれが許されないのは、ひとえにもうクラスメイト達がやってくる時刻だからである。

 寝ているからと言って表立って揶揄されるようなことは無いが、暢気に寝ていられないほどに騒がしい。それに文句を言う気は無いが、どう思うかは自由だろう。

 程なくして幾つかの笑い声が女生徒の耳に届いた。女生徒除けば一番早く登校してくるバス通学組がやってきた証だった。雨なのにというのもおかしいが、女生徒は彼らが笑顔に翳りを見せてやってきた日を知らない。素晴らしいことだと、女生徒は皮肉半分に思った。

 段々と声が近づいてきたかと思うと、勢いよく教室の扉が開いて、三人のクラスメイトが入ってくる。嫌でも耳に飛び込んできた会話の端々から丁度先ほどの小説の、ドラマの方の話をしているのだと分かった。

 俳優の誰それが格好良い。誰それはやっぱり役に合っていない。話の内容はそっちのけで演じる役者にばかり話題に上がるのはなんだか寂しい気がした。

 加えてその手の話題に疎い女生徒には役者の名前を聞いてもそれが一体だれを指しているのかさっぱり分からなかった。理解できるように努めるべきなのだろうとは思っている。

 しかしながら、今更どんな顔をして既に出来上がったグループに割って入ることができるというのだろうか。精々その場は適当にあしらわれてその後陰で笑われるのが関の山だろう。

 女生徒は臆病だった。クラスメイトと話したいという憧れはあっても、それ以上に笑われることを恐れていた。傷付く位ならばクラスの中で浮くことなんて何でもないと固く信じていた。そんな調子だから、女生徒はますます周囲からズレていくのだが。


 ……カラカラと、誰かが窓を開ける音が聞こえてきた。雨が降っているというのにどうして窓を開けるのかと、女生徒は僅かに顔を上げてそちらを見た。

 クラスメイトが一人、身を乗り出すようにして空を見上げている。風で雨が吹き込んできたのか小さく悲鳴を上げると慌てて窓を閉めた。何をやっているんだと思いつつ、興味を失った女生徒は再び腕枕に顔を埋めた。

 こうして息を潜めていれば、何かの間違いでもなければ誰かから話しかけられることは無い。実際一人のクラスメイトを除けば、周囲との関りを遮断しようとしている女生徒に話しかけられる者はいなかった。

 傍から見て気分の良いモノではないのだろう。仲良くする気はないと宣言しているようなものなのだから嫌われるのも仕方がない。延々と、意味も目的もない自己嫌悪を垂れ流していく。

 女生徒の思考はよく沈む。少し過激な空想の迷路に陥ることもあれば、ただただ自身を傷つけるだけの言葉を繰り返すこともある。他人に対して明るく振る舞えるような考え方をしていたなら朝から机に突っ伏すことはない。

 どうにもならない鬱屈を込めて、女生徒は溜めた息を吐いた。

 続々とクラスメイト達がやってきて一気に教室が活気づいていく。煩いなあと、誰にも聞こえないように小さく呟くのが精一杯だった。

 この喧騒もろとも笑い飛ばせたならどんなに楽だろうか。あるいは前触れもなく爆発が起こって右も左も分からない混乱に陥ったなら。そのなかで訳も分からないままに死ねたなら、きっとそれが幸福だと思う。

 消えてしまいたい。ここじゃない何処かに行きたいなんてそんな曖昧な思いじゃなくて、この意識そのものを消せたなら、それでいいのだ。

 思考を遮るように、自身の肩が軽く叩かれたのを女生徒は感じた。

 重い頭を持ち上げて肩を叩いた主を見る。まず目に入ったのは紺の制服と赤みの強い長髪。それから徐々に不機嫌そうに眉根を寄せた三白眼の少女と目が合う。今日も隈が目立っていた。

「おはよ、叶。」

 硬い声音で少女は、水城 葉菜は言う。どうにもいつもと様子が違うように感じられたが、寝不足なだけだろうと女生徒は軽く流した。漫画家になるために勉強しているのだと本人は主張しているが、その真偽に興味はない。

「……おはよう。」

 ちらりと壁掛け時計を見ると、もうすぐ始業のチャイムが鳴る時間だった。授業の準備をしなければと軽く伸びをしながら女生徒は体を起こす。

 いそいそと葉菜は隣の席に腰かけた。中学時代から慣れ親しんだ並びだった。クラスで浮いた者同士、根なし草の様に教室の端で群れていた。目に見えて悪辣な虐めが無いだけ奇跡だと女生徒は思う。

 ――チャイムが鳴った。今度は、肩を震わせることもなかった。



 授業の終わり、昼休みの直前ともなればクラスメイト達はそわそわと落ち着きのない挙動を繰り返している。先生によってはお前ら高校二年生だろなんて小言を言われるが、その先生の授業でなければいつもこんな調子だった。

 虫の居所が悪ければうっとうしいと思うことはあっても、基本的には無関心を貫いている。お互いに不干渉で幸せなのだから、これぐらいでちょうど良いだろう。密かに女生徒は欠伸を噛み殺した。

 隣の席では葉菜が気楽に船を漕いでいる。かれこれ20分は船旅を満喫しているが、一体どこまで行けたのだろうか。そんなことに思いを馳せているとチャイムが鳴る。挨拶もそこそこに、せっかちなクラスメイトは教室を飛び出していく。

 一体何が彼らをそこまで駆り立てるのだろう。いやまあ学食の争奪戦だということは女生徒も知っていたが、全力疾走した直後にご飯を食べるのは辛くないのだろうか。

「葉菜、授業終わったよ。」

 まだ暢気にうつらうつらとしている葉菜を揺り起こす。放っておけば五限が始まっても寝ているだろう。それからどうして起こしてくれなかったのかと冗談交じりに文句を言ってくるに違いない。

「……うぇ?」

 なんとも間の抜けた声を上げながら葉菜は辺りを見渡す。クスクスと笑い声が聞こえたが、二人にとってはいつものことだった。

「二階、先にいってるから」

 それだけ告げると女生徒は机の横に掛けていたコンビニの袋を手に取って教室を出る。背後から慌てて呼び止める声が聞こえたが、足を止めることは無かった。

 廊下に出てまもなく、向かいから歩いてきていた他のクラスの生徒と女生徒はぶつかりそうになった。大して人がいる訳でもない、充分な広さがある廊下でぶつかりかける場面なんてのはそうそうなく、苛ただし気な舌打ちには睨んで応戦する。

 相手にするななんてどこかの大人は言っていたが、顔には関わりたくないとはっきり書いてあった。降りかかった火の粉を放っておけば、普通燃えるだろう。燃えたって助けてくれるか怪しいのに燃えるまで我慢なんてしていられるかという話だ。

 まあそれでも最近は変えようとしているみたいだけどと、他人事のように思いながら女生徒は横目で柱にでかでかと張られたイジメ撲滅を訴えるポスターを見る。この手のポスターを真面目に見て考えられるような人ならばイジメなんて最初からしないだろう。

 バタバタと騒がしく走る音が背後から聞こえてくる。振り返る間もなく葉菜は女生徒の横に並んだ。酷く乱れてしまった髪型を二人掛かりで整えた。

「今日はどちらに?」

「準備室かな。」

「ん。」


 本館と別館を繋ぐ渡り廊下を渡り、階段を一つ降りれば美術室とその準備室に着く。別館自体がそもそも人気のない場所なのに加え、彫刻刀で遊んでいた生徒たちが大怪我をしてからは美術部以外が立ち入ることはほとんど無くなっている。

 なので例えば美術部員二人が昼休みにこっそりと、準備室の窓から侵入してもそれを見咎める者はいない。

 女生徒は軽々と、葉菜はやや手間取りながら窓枠を乗り越える。準備室の中は、寂しいモノだ。使われなくなって埃を被った道具たちと美術部員の作品だけが片隅にまとめられて置いてある。中央には大きな机が一つ陣取っているがその上には何もなく、埃だけがうっすらと覆っていた。

 椅子を美術室から持ってきて、二人は窓際に並んで座る。高校に入ってからずっとこうして二人で昼食を取ってきた。特に何かを話したりするわけではない。日によっては食べ終わるまで何も話さないなんてこともある。

 けれどもその間の沈黙はクラスの中のような居心地の悪さを感じることもなく、箸が転がったことにさえ心置きなく笑えるような安心感があった。そんな空間を、女生徒は愛していた。

「ん、そういえばさ。叶は末永君イイと思わないの?」

 何気ない口調ではあったが、葉菜からその手の話題が出るのは女生徒にとって意外でもあった。話題の主語が自身でなければコイバナかと女生徒は食いついていただろう。他ならぬ葉菜からの質問であれば真摯に答えようと女生徒は思ったが、一つ致命的な問題があった。

「……ごめん、誰それ。」

「え。」

「え?」

「いやあの、クラスの一番右前に座ってる子。」

 ……ああ、思い出した。なんてそう言った裏で女生徒は必死にその男子生徒の顔を思い出そうとしていた。いや何となく思い出せてはいたが、その顔が本当に末永君とやらで良いのか確信が持てなかった。

 葉菜がその眼を細めて女生徒を見る。分かってないでしょと言う呆れた声音に、女生徒は素直にうなずくしかない。深々と葉菜はため息を吐いた。

 まぁ、いいんだけどさ。つまらなさそうに言う葉菜の言葉は女生徒への非難の色を帯びていた。仕方のないことだろう。女生徒は甘んじて受け入れた。

「……そういう葉菜はいないの?」

 どうしようもなくなって女生徒は葉菜に主役を押し付ける。

「いやぁ、いないかな。まだ叶と一緒にいる方が楽しいし。」

 女生徒はその言葉に僅かばかりの引っかかりを感じた。けれどもその真意なんてものを読み取れるほど、女生徒は人の心の機微に詳しくない。十年近く他人の言動で自身が傷つかぬように窺って、ようやく親友の言葉に違和を感じ取れる程度だ。

 そうして感じた違和も、ほとんどは口に出すこともなく記憶の奥底に投げ込んでいる。違和を咎めるだけの言葉を女生徒は知らなかった上、ソレを口に出せば間違いなく不和を招く。今日もまた、言えないことばかりが溜まっていく。


「――あれ、この絵ってたしか一年の時の部長のだよね。」

 女生徒目掛けた言葉が飛んだのは、先に昼食を食べ終えた葉菜が暇つぶしに部屋を物色している時のことだ。女生徒は一瞬だけ呼吸が止まるような圧迫感に襲われた。けれども一瞬の異変を女生徒に背を向けていた葉菜が気付くことはなかった。

「んー?置き忘れたんじゃない?」

「あの部長が?ないない。にしても、花の絵なんて描くんだね、あの人。」

 意外だと葉菜は言う。それはそうだろう。あの人は後にも先にも花の絵はもう描かないと言っていたから。もっともその言葉がどれほど信じられるかは分からない。少なくとも今はもう、欠片も興味がない。

 狭いキャンバスに描かれた小さな花瓶に、さらに押し込められた一輪の青い花に意味なんてない。ちょうど空っぽの私と同じように。……ああもう嫌だ、消えてしまいたい。今すぐその絵を投げ捨てて、その上に飛び落ちれば素敵な絵面の完成だろう。速く、速く、速く。席を立って今すぐに!

 周囲の物音も聞こえなくなったように女生徒は窓から外を食い入るように見つめていた。

「おーい。聞こえてるー?」

 そんな女生徒を現実に引き戻したのは葉菜の声だ。我に返った女生徒は直前までの己の思考を顧みて自己嫌悪に陥る。女生徒はなによりも臆病な己のことが嫌いだった。

「え、ああ、ごめんごめん。聞いてなかった。」

「はぁあああ。」

 深く溜め息を吐かれた。怒っているフリでどちらかと言えば心配しているのだとその瞳は言っているような気がしたが、そのことはなんとなく女生徒も察したが、それでも気まずい沈黙が流れる。

「じゃあ続きは放課後でね。そろそろ戻らないと授業に間に合わなくなっちゃう。」

「ん。」

 二人は手早く椅子を片付け窓枠を飛び越えて部屋を出た。

 本館に戻ればいつも通り騒々しい日常が待ち構えている。そのなかに三つ四つと罵声が紛れ込んでいても、わざわざ足を止めるほどの価値もない。今はまだ隣に心を寄せられる葉菜がいた。いなくなった先のことは、その時になったら考えよう。

 女生徒にはそれが精一杯だった。未来に夢も希望もないのに、どうしてまだ生きているのだろうと疑問ばかりが募っていく。大丈夫。まだ、大丈夫だから。我が身を呪うよう女生徒は心の中で何度も繰り返した。



 退屈な授業がようやく終わり、そして退屈な学校が終わった。今日は部活もない。けれども外は予報外れの豪雨が白く染め上げている。とてもすぐに帰る気分にはなれなかった。

「先に美術室行ってるからね。」

 葉菜がそういって教室を出ていく。

 すこし遅れて、一つ欠伸を噛み殺しながら女生徒は席を立った。葉菜が話を先延ばしにする時は、少なくとも彼女にとって大切な話であることが多い。決断を先送りにして、迷いに迷って。それでもいいと女生徒は思う。

 どんな言葉で切り出されるだろうか。どうやって答えればいいだろうか。友人として答えるべきなのだろうか。どうにもならない思考が空回りするのは似た者同士だった。どんなに考えたって、なるようにしかならない。精々、結果への心構えができる程度。

 通学鞄を背に負って女生徒は教室を出る。一刻も早く帰りたい者、部活へ行きたい者が大半で、少し待てば嵐のような喧騒は去っていく。わざわざ女生徒に絡んでくる生徒たちも放課後は多忙を極めているらしく今は影も形もない。

 そのまま明日から消えてくれれば良いのにと女生徒は願う。それほど深く恨んでいるわけではない。女生徒に絡むことに大した理由が無いように、女生徒も彼らが消えて欲しいと願うことに大した理由は無い。それぐらいは願ったっていいだろう。

 本館から別館へと渡って、階段を一つ降りる。葉菜が美術室の前で待っていた。

「お待たせ。」

「ん、待ってた。」

 そういって葉菜はぎこちなく笑った。緊張しているのが嫌でも伝わってきたが、女生徒は気付かないフリをして一緒に笑った。それからしばらく沈黙が流れて、意を決したように葉菜は口を開いた。

「私さ、漫画家になりたいって言ってたじゃん。」

「確かに言ってたけど、なに、諦めるの?」

「ううん。諦めない、諦めたくない。けど才能がないのは認めなきゃいけないと思ってる。」

 そんなことないとは口が裂けても言えなかった。そんな言葉は何の慰めにもなりはしない。

「だから、手伝ってほしい。って言っても実際の作業を~とかじゃなくて、その、この先描けなくなったときには傍に居て欲しいなぁ……なんて」

 声は段々と萎んでいって、後半は耳を澄ませてやっと聞き取れるかという程度の声量だった。

 頼りなさげに視線を右往左往させている葉菜の頼みを断るつもりは、女生徒にはなかった。しかしながら、どんな言葉で答えようか。

 女生徒が思案している間、葉菜は何かを言いかけては口を閉じることを繰り返していた。

「えっと、まあ、いいよ?」

 結局良い言葉も浮かばずに女生徒がそう答えると、葉菜は力の抜けた笑みを浮かべた。ちょっと呆れたような安堵したような、そんな笑み。羨ましいと嫉妬を含ませずに思った。葉菜は私なんかよりもずっと、花に似ている。

 その傍に少しだけ、ほんの少しだけ身体を寄せて。それで幸せだと思えるこの気持ちが残っているうちに、消えてしまいたい。私も、彼女の様に夢に向かうことができれば変われるだろうか。下らない気まぐれだったが、それで変われるならそれでもいいかもしれない。

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