第10話 天使―ライアン

 日常に戻れば、仕事は相変わらず多忙を極めた。

 ......というより、状況は悪化の一方を辿るばかりだった。患者達は増加するだけでなく、その症状も深刻化していた。


 親と名乗る保護者による「γf2」などの薬剤の過剰-不適切投与や、もっと酷いケースでは類似品の違法薬物の投与によって心身に深刻なダメージを受けた子ども達が運ばれてくる。

 

 最も悲惨なのは、カプセルを使用する権利を持たない移民や難民の男女が、能力のある子どもを産むことで生活の安定を得ようとして、能力覚醒効果を謳った違法薬物を妊娠中に大量に摂取して生まれた違法児童イリーガル-チルドレン達だ。


 「γf2」を始めとする合法薬物であっても、過剰な摂取は松果体の異常な活性化を促す反面、脳下垂体や脳幹の機能を低下させる副作用があり、妊娠初期-中期の使用では肢体の不完全な形成、脳神経機能の損傷といった生命体である人間としての肉体や精神に深刻な障害を発生させる。違法薬物ならば尚更である。


 また、妊娠晚期や出産後の乳児期の直線的な服用は、心肺機能の停止、脳機能の損傷、人格形成に必要なホルモンバランスやシナプス自体の構成に物理的な損傷をもたらす。


 万が一、万が一無事に生まれて、成育しても、能力の暴走をコントロールできる意志-精神力を獲得できる子どもは多くない。


 これは、ラウディアンのカプセルから生まれた優性子であっても例外ではない。原因は、......成果を成長を急ぎすぎることにある。スタディ-エリアは第一エリアから第四エリアまであり、その後専門エリアに分かれるのだが、第一エリアから合格できれば、政府が全面的に成育の経費をもち、なおかつ毎年、『成績』によって精子と卵子の提供者には、『褒賞』が与えられる。


 子どもがスタディ-エリアに所属し、高い成績をあげることは、移民や難民としてラウディスに移住してきた者達が市民権を得る一番早い方法でもある。


 ライアンは、そうした移民の親によって作られた深刻な犠牲者のひとりだった。

 彼(性別は未分化なのだが、便宜上、彼、とする)は、妊娠中の違法薬物の過剰な摂取により、完全に物理的な視力を失っていた。と同時に生殖機能の全てが未発達だった。排泄の用には耐えるものの、睾丸も卵巣も子宮も満足に形成されぬまま、産まれた。


 最も深刻なのは、運動機能を司る脳幹に著しい損傷があり、立つことはできても歩くことが出来なかった。


 皮肉にも、リラ星の末裔である彼の容姿は非常に美しく、窓辺に佇んでいる姿は、まさしく『天使』そのものだった。プラチナブロンドの髪に黄金の瞳、抜けるように白い肌......生殖機能を全く持たない彼は、この世ならぬ清らかさを保って存在していた。


 だが、物理的にはどんな言語を話すこともできず、食事も咀嚼の必要の無い流動食だけ。介助する者が無ければ、一切生活出来ないのだ。


 彼は、幼少期から十歳前後までは極めて幸せだった。『生ける天使』として周囲にも政府にも大事に扱われた。

 しかしながら、分別のつく年頃になって、自分が如何に作為的に身体に損傷を持たねばならなかったのかを知ってしまった。


 つまり、盲目であるぶん、霊的な視力は高く、どんな離れた場所の様子でも、過去でも未来でも見て、聞くことができた。


 彼は、彼の母親が人を使って、管理局の保存精子の中からS S ランクと言われる精子を盗み、闇医者の手で受精を行い、その上で大量の違法薬物を摂取したのだ。


 闇医者が、―身体的に異常を起こす―と警告したにも関わらず、頑として受け付けなかった。


―健康な身体なんか、要らないのよ。この子に誰よりも高い能力さえあれば、私はA 級市民になれるんだから...―


 彼がビジョンで見た母親の顔は悪魔そのものだった、という。彼の母親の思惑どおり、彼の能力は想像をはるかに超えていた。

 

 そして、絶望した彼は、母親と自分を殺した。高い階層のビルに母親を誘導して、自分もともに身を投げさせた。

 だが、地面に叩きつけられたのは母親だけで、彼は偶然にも車線オーバーした車のボンネットに落ちた。


―死ぬのが怖くて、咄嗟に意識が働いたのかもしれない―


とDr. クレインは言っていた。


―人間には自己防衛本能がある。それは悪いことじゃない―


 結果、一命を取り止めたライアンは、保護を名乗り出る全ての『知人』を拒み、この病院で観察され、データを提供することを選んだ。


―僕みたいな子がもう産まれないように...― 


 背中に大きな傷を負ったその姿は堕ちた天使そのものだった。


 十六才になり、成人病棟に移った彼は、私の患者ではなくなっていたが、回診に回っていると、声無き声でいつも呼ばれる。エーテル体を飛ばして、白衣の袖を引っ張ることもある。


―先生の顔が見たい。先生、僕をハグして。―


 その声に引かれて病室に入ると、いつも見えない目で見つめ、にっこりと微笑むのだ。




 今日も、いやいつも以上に呼ばれて病室に入ると、ライアンはベッドの上で、今までに無い深刻な表情で、私を見た。

 そして、腕を伸ばして私の頬に触れた。運動機能の充分でない彼には、それでも重労働なのに......。


―先生、自分を愛して。愛を受け取って。愛は一つじゃない。色んな愛し方、愛され方があるんだよ。―


 ライアンは声にならない声で語りかけ、そのエネルギーで私をハグした。


―僕は、ずっと先生の傍にいる。先生を助ける『天使』になる。―


 

 

 ライアンが急に息を引き取ったのは、その夜遅くだった。

 そして、物理的な生を終えたライアンは、文字通りの『天使』......アストラル体だけの存在になって、小児病棟の子ども達の巡回やケアをアシストしてくれている。


『ライアン先生』は、子ども達だけに見える。だが、彼の決意の意味を私が知るのは、もっと後のことだった。


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