第13話 波乱の一日

 夜十時。明日に備え、そろそろお風呂に入って寝なければ。

 そんなことを考えていると、カナミが思い出したように「あっ」と声をあげた。


「そうだ、ミサキさんの寝床」

「ん? どっかに予備の布団とか無かったっけ?」


 俺の問いかけに、カナミはかぶりを振る。


「前はあったけど、いつだか処分しちゃった気がするんだよねぇ……」


 カナミはどうしたものかと腰に手を当てる。

 するとミサキが遠慮するように言った。


「私はそこのソファで寝るからいいよ」

「いや、それは駄目だ。明日に向けてしっかり休んでおかないといけないんだし、ソファで寝かせる訳にはいかないって」


 声をかけると、ミサキは「そっかぁ……」と困った表情を浮かべた。

 というか、夕飯の時の妹と似たことを言っているな、俺。


「じゃあ、お兄ちゃんのベッドとか?」

「え? 何でだよ?」


 妹の唐突な発言に、思わず強い口調で返す。


「お兄ちゃんはミサキさんにぐっすり寝てほしい。で、ミサキさんは愛しいお兄ちゃんを感じながら寝られる。お互いウィンウィンの良いアイディアじゃない?」

「それウィンウィンじゃないだろ。俺はどこで寝ろってんだ?」

「んー、ソファ?」


 俺もちゃんと寝たいんだよ。

 呆れてため息をつくと、ミサキが口を開いた。


「そしたらユウト君、二人で一緒に寝る?」

「は? ミサキ、何言ってんだ?」


 俺は驚いてミサキの顔を見るが、彼女はいたって真剣な様子だ。

 別に変な感情があるわけではない。しかし、女の子と二人で同じベッドで寝るというのは妙な緊張感がある。


「嫌、だった……?」


 淋しそうに首を傾げるミサキ。

 俺は顔を赤らめつつ答える。


「まあ、ミサキがいいなら、いいけど……」

「良かった。そしたら私、お風呂入ってくるね」


 ミサキはふふっと微笑み、立ち上がる。


「ミサキさん、タオルとか適当に使っちゃってください」

「うん。ありがとね、カナミちゃん」


 カナミはミサキがリビングから出て行くのを見送ると、小声で囁きかけてきた。


「……お兄ちゃんって、ミサキさんとどこまでいってるの?」

「いや、今日が初デートだったんだから、何もないよ」


 俺が視線を逸らすと、妹はジト目で見つめてきた。


「じゃあ、夜が楽しみだね?」

「なっ、おま……」

「あはは。お兄ちゃんにそんな勇気無いか〜」


 悪戯な笑みを浮かべ、けらけらと笑うカナミ。

 事実、ミサキに手を出そうなんて思っていない。しかし、ここまで馬鹿にされると、それはそれで傷つく。


「人工知能の俺が、ミサキを本気で好きになって良いのかな……?」


 呟くと、カナミは俺の肩にぽんと手を置いて言う。


「いいんじゃない? 少なくとも、ミサキさんはお兄ちゃんのこと、愛してると思うよ?」

「ああ、それは分かってる。でも……」

「大丈夫だって、もっと自信持ちな? お兄ちゃんはホント意気地なしなんだから」


 優しく微笑みかけるカナミ。

 妹に背中を押されるなんて、ちょっと情けないな……。俺はこくりと頷き、静かに俯いた。




「おやすみ、カナミ」

「おやすみなさい、カナミちゃん」

「お兄ちゃん、ミサキさん、おやすみなさーい」


 俺はミサキと共に自室へと入る。

 自室は学習机とベッド、クローゼットがあるだけのシンプルな部屋だ。見られてまずい物もない。


「片付いてる、というよりは物が少ないって感じだね。もしかしてユウト君はミニマリストなの?」


 部屋の中を見回し、問いかけるミサキ。

 俺はベッドに腰掛けながら首を振る。


「いや、ただ単に物欲が無いだけだよ」

「そっか。結婚するなら無駄遣いしない人がいいし、物欲が無いのは素敵だと思うな」


 ミサキは俺の横に座り微笑みかける。

 結婚……。きっとミサキは現実世界での理想の相手の話をしているのだろうが、彼女の顔を見ていると、つい自分がミサキと結ばれたらと想像してしまう。

 いや待て。ミサキがこの状況でこの話をしたということは、まさか俺と結婚したいと考えているのでは?


「ユウト君、どうしたの?」


 顔を覗き込まれ、俺はハッとして笑顔を作る。


「ごめん、ちょっと考え事してた。明日は何が起こるか分からないし、もう寝ないとな」

「そうだね。まずは矢印の方向に行って、それから二十三区の外を確かめて。あとはレナりんとも合流しなきゃ」

「ああ、レナが帰ってきたら美味しいものを腹一杯食べさせてあげよう」

「ふふっ。レナりんと早く会いたいなぁ」

 

 俺とミサキは、並んでベッドに入る。


「じゃあ、電気消すぞ」

「うん」


 電気を消すと、部屋は真っ暗になった。

 すると、掛け布団の中でミサキがぎゅっと手を握ってきた。


「ユウト君……」

「どうした、ミサキ?」

「私、どうなっちゃうのかな……?」


 その声は震えていて、とても不安そうに聞こえる。

 仮想世界に閉じ込められているという恐怖が、急に押し寄せてきてしまったのだろう。

 俺はもう一方の手でミサキの頭を撫で、話しかける。


「どうもしないさ。言ってるだろ? 俺がちゃんと元の世界に帰してやるって」

「……ユウト君は、強いね。本当に、強いよ……」


 強くなんてない。俺は弱い人間だ。

 ただ、ミサキを元の世界に帰してあげたい、ミサキには幸せでいてほしい、その想いがあるから俺はこうして頑張れる。ミサキがいなければ、きっとワールドリゲインタワーを目指そうなんて考えもせず、家に引きこもっていたはずだ。


「強くいられるのは、お前のおかげだよ。ミサキ」


 こうして、俺とミサキの波乱の一日が幕を閉じた。

 しかし、これはまだ長い旅路の始まりにしかすぎなかった。

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