隣人

 彼と別れた後、私は彼にメッセージを送ろうか悩んでいた。


〝今日はありがとうございました。楽しかったです〟


 たったこれだけのメッセージを何度も読み直して送信ボタンを押そうとした。すると、彼から先にメッセージが届いた。


〝今日はありがとう。実里ちゃんと色々話せて楽しかった。実里ちゃんのこともっと知りたいなって思った。また会いたいな〟


 絵文字の装飾が施されたその文面を見て、私の中でまた彼に対する評価が上がった。彼は返信をきちんとしてくれる人という印象になった。


〝こちらこそありがとうございます。私も楽しかったです。ぜひ予定が合えば〟


 私が返信すると、すぐに彼から返信がきた。


〝嬉しい。じゃあまた明日会いたいです〟


 そんなに近い日を提案されると思っていなかった私は少々戸惑ったが、わかりました、よろしくお願いしますと返信した。


 次の日、彼はまた私のアパートの近くのコンビニまで車で迎えにきていた。


「こんにちは」

 車に乗ると私たちはさらっと挨拶を交わした。私はまたかっこいい彼を誰よりも近くで堪能できることが嬉しかった。


「今日はどこへ行くんですか?」

 私がそう聞くと彼は家で映画を見ようと言った。彼が持っているアニメ映画のDVDを鑑賞するという。


 彼の家に行く道中にこんな会話を交わした。

「祐樹さんって本当に彼女いないんですか?」

「いないよ。なんで?」

「だってすごくかっこいいし」

 彼の容姿を褒めると少し照れた顔をする彼が好きだった。


「ちょっと前まで付き合ってた元カノがいたけど別れちゃったんだよね」

 彼は深刻な面持ちでそう言った。

「なんで、別れちゃったんですか?」

「俺が仕事で出張って言って家を空けてて、家に帰ったら元カノが勝手に合鍵作って家に入ってたんだよ。それが原因で彼女とは別れた。彼女最後ストーカーになっちゃって大変だったよ」

「そうだったんですね。それは確かに怖いですね」


 私は彼も大変だったんだろうなと同情しながら、話を聞いていた。私自身はストーカーなんてされるほど人から好かれたことがなかったため、彼の気持ちを想像するのは難しかった。


 彼の家に着くと、昨日と同じソファに腰掛けた。彼がテレビをつけると、アニメ映画が始まった。正直私はそのアニメをあまり面白いとは思わなかったが、彼の隣にいれるだけで幸せだった。


 アニメが始まって三十分もしない頃だった。

「おぎゃー」

 どこからか、赤ちゃんの泣く声がした。私は咄嗟に嫌な考えが頭をよぎった。彼に本当は奥さんがいて、子供もいて、今二階の部屋に子供がいるかもしれないと思った。そして、奥さんが留守の間に私と会っているのではないかと。


 私は黙ったまま彼を見つめていると、しばらくして彼が呟いた。

「生まれたんだ」

 一体どこで誰が生まれたのか事情もわからない私は、戸惑っていた。すると、隣の家の人がこちらの家の窓をコンコンと叩いた。


 彼が窓を開けるとそこには隣人らしい男の姿があった。見た感じ二十歳後半から三十歳くらいに見えた。

「子供が生まれた。ちょっと手伝ってくれ」

 その男は慌てた様子でそういうと、何処かへ行ってしまった。


「実里ちゃんも一緒に来てくれる?」

 まだ自体が何も把握できていない私は混乱した。

「え、でも私何も手伝えないです」

「大丈夫、一緒にいるだけでいいから」

 私は彼に言われるがまま、ついていった。


 外に出ると救急車のサイレンが近づいてきた。

 そして、出産したであろう女の人と子供が救急車に運ばれた。


 祐樹さんは隣人の車を移動させる手伝いをしていた。どうやら救急車が通れるように道を開ける必要があるみたいだった。彼は近所のおばさんたちから、そんなにしたらぶつかるだの、そっちじゃないだの色々と口を出されていたが、最終的には車を当てることもなく、見事に移動を終えた。


 何も出来ずにただ見ていることしかできなかった私には、彼がとてもかっこよく見えた。


 呆然と立ち尽くしていた私に、隣人の男が声をかけた。


「祐樹の彼女さん? ありがとう。あいつにも礼を言っといて」


 違います、彼女じゃないです、と否定しようとしたが、男は急いでどこかに行ってしまったので、結局誤解されたままになってしまった。私は彼の彼女であると思われたことが嬉しかった。


 しばらくすると、一仕事を終えた祐樹さんがやってきた。

「あの、お隣さんが祐樹さんにありがとうって言ってました」

 私がそう言うと、祐樹さんはニコッと笑って言った。

「あいつ中学の時の同級生なんだ」

 優しくて頼りになる彼に私は益々惹かれていった。


 その後、祐樹さんは隣の家の様子を見に行こうと言った。私はやめておいたほうがいいと意見したが、結局彼に流されて見に行くことになった。


 道を歩いていると、一瞬彼の手が私の手に触れた気がした。気のせいだと思い、心を落ち着けていると、次は本当に彼の手が私の手を掴んだ。私はされるがままに恋人つなぎを受け入れていた。どうしてこのタイミングで手を繋ぐのだろうと言う疑問もあったが、手を繋がれたことが何より嬉しかった。


 隣の人の家に行くと、彼は勝手に扉を開けた。玄関には出産した時に出たものと思われる血がべったりついていた。


「よく見とくんだよ。実里ちゃんも将来こういう風になる時がくるんだから」


 彼はそう言って私を見た。私は少し彼の言い方に違和感を感じたが、彼が私との将来を考えてくれているのかもしれないと一人で舞い上がっていた。

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