タマシイトケルナツノゴゴ

naka-motoo

タマシイトケテトケテ・・・ソシテトオクノマチマデ!

 彼女と出会ったのは夏の午後。

 セミの声が静寂になるような神社の大木の横。


 僕はこの神社に用がある。

 街中まちなかなのに林だから。

 大木が並び立つから。


 そして時折、一番太い幹の根っこのカーブをリクライニングにして、ランニング用の濃いブルーのシューズを投げ出して眠る。

 ランニング用のキャップを目深にして。


 まるで巫女さんみたいな自然さで声を掛けてきたんだ。


「こんにちは」

「は・・・えと」

「涼しいでしょう?」

「はい・・・そ、ですね」

「このおやしろへはよく?」

「はい。先祖が祀られてるので」

「わあ・・・兵隊さんだったんですか?」

「武士、です」

「わあ」


 ここは僕の住む街の護国神社。


 可愛い人だ。

 年齢はちょっとわからないけど、中3の僕より若いってことはないだろう。

 なんで年齢が分からないかっていうと服装が古風だからだ。


「あら。おかしいですか?」

「え! いえいえ。似合ってます」

「ふふ。誰も服のことだなんて言ってないのに」

「え! いや・・・」

「日差しがダメなんです。だったら外に出るなって話ですけど」


 その人は純白の服を着ていた。

 真夏だけれども長袖。

 白いブラウス。

 白い裾の長いパンツ。

 白のくるぶしより上までのソックス。

 白いスニーカー。紐も白。


 白の、ソフトハット。


「あなたは? ランニングしておられるんですか」

「はい」

「目標は?」

「ほんとはフルマラソンなんですけどまだ中学生なので制限かかってて。冬少し前の10kmの大会が今のところの目標です」

「あ。部活とかじゃないんですね」

「はい。孤独なランナーです」


 ふ、とその人は笑った。


「おかしいですか」

「いいえ」


 笑い顔を直してきりっとした表情になってから言った。


「素敵ですよ」


 僕はこの人が好きになった。


 だって、美しい。


「さっきご先祖様が『武士』っておっしゃいましたね」

「はい。戊辰戦争で戦死したそうです。僕の家にその人の肖像の掛け軸があります」

「そうですか・・・あなたと似てるんですか?」

「目が」


 僕はそこまで言って躊躇した。

『涼しい目がそっくりだ』

 と祖母からいつも言われていたその言葉をそのまま言うのは自慢のような気がしたから。


「目が似てる、って言われます」

「素敵」


 この人から素敵と言われると、恥ずかしさと嬉しさが両方最大値になる。


「さ。わたしは行きます」

「あの・・・」

「はい」

「この近くに住んでるんですか」

「いいえ。近くではないですね。むしろ遠いですよ」

「どこですか」

隠蹴町かけるちょうです」

「うわ」


 以前GPSウォッチで近辺まで走った時に計測したらちょうど10kmほどあった。遠い。


「えと。車ですか?」

「いいえ」

「じゃあ、バス?」

「歩くんです」

「うわ」

「ふふっ。驚かないでください。あなただってそれぐらいの距離を走るんでしょう?」

「そうですけど・・・あなたはウォーキングですか?」

「ええまあ」

「あの・・・炎天下を歩くのはよくないですよ」

「少し、理由わけがあるんです」

「そうですか・・・あの」

「はい」

「僕もご一緒していいですか?」


 彼女は嫌な素ぶりは見せなかった。

 逆に僕のトレーニングを心配してくれたけれども、僕も今日は軽く流すつもりだったのでウォーキングでも構わないのだと伝え、一緒に歩き出した。


「あの、お名前お聞きしてもいいですか? 僕は谷原たにはらです」

三枝みえだです」

「直線コースですか?」

「いいえ。うねりますよ」


 そう言うと彼女は楽しそうに笑った。


 実際、うねった。


 いいや、うねるなんてものじゃなくて迂回・小路・民家の軒下なんかをまるで若猫が自活したてで街の地理を叩き込むかのような経路をちょこまかと僕らは歩いた。


 そして、チェックポイントとして神社とお堂があった。


「観音堂ですね」

「はい。谷原さん、このお地蔵様の後ろを見てください」

「はい」


 僕が覗き込むように見ると、お地蔵様の後ろに剣を手にした石仏があった。

 不動尊だろうか。


「この石の仏さまはね、この一帯をお護りくださってるんですって」

「へえ」

「ふふ。曽祖母が教えてくれたんです」


 不思議な気がした。

 前に出ず、後ろに控えて護る。

 いじらしい気がした。


 石仏や観音様に手を合わせたと思ったら次は神社。そしてまたお堂・神社といく箇所も曲がったり登ったり下ったりしながら歩き続けた。

 僕が驚いたのはこんな街中なのにたくさんの神社やお地蔵様があったことだ。歩けば神さま・お地蔵さまにぶつかるぐらいの勢いだ。

 八百万やおよろずって本当なんだな、と僕がぼんやりと考えていた時、彼女が目を閉じたまま顎を上げて立ち止まった。息が荒い。


「大丈夫ですか」

「はい・・・ちょっとお茶を飲みます」


 彼女はステンレスの小振りのアイスポットをきゅる、と開け、カラン、と氷が容器の内側で転がる音を立て、こくこくと飲んだ。


 かなりの量を飲む。

 なんだかこの人にしては意外な感じがした。


「ごめんなさい。さあ、行きましょう」


 約10kmの道程も残りわずかとなったところで、桜並木が続く川の側にある小さな神社の境内に彼女が入って行く。

 社務所もなく、見ると社殿の扉も閉ざされている。


「誰も来ませんね」

「はい? ええ、静かですよね」

「入ります」

「え」


 彼女はウエストポーチから長い棒状の金属を取り出した。僕が何なのか認識できずにいると、社殿のやはり金属の錠前にそれを差し込んでキッ・キッ、と何度が動かした。

 ジャ、と錠が外れる。


 そのまま扉を開ける彼女。


 社殿の中は畳が敷かれていて、真正面には祭壇の上に丸い月のような形の鏡があった。


 そしてその少し上に掲げられた畳一畳よりも一回り大きな木の一枚板。


 鮮やかな顔料で着物を着た大勢のひとたちが賑わう喧騒が絵として描かれている。


 白に赤い着物を着た女性が絵の中心に立っており、その額からおそらくは金箔なのだろう、金色の光の筋が何本も放射線状に周りの群衆を貫くように放たれていた。


天岩戸あまのいわとの絵です」


 片方だけ開けた扉の外から社殿内の神秘の空間に差し込む日の光が絵の中央部分に直射する。


 その光線が彼女の目のあたりを照らす。


 彼女は笑っていた。


「なぜわたしが鍵を持っているか訊かないんですか」

「・・・訊いた方がいいですか」

「・・・いえ・・・」

「じゃあ訊きません」

「わ」

「訊きません」

「素敵です。とても男らしい」


 そうなんだろうか。

 訊かないことが男らしいんだろうか。

 彼女は絵についての説明をしてくれた。


「天岩戸のお話は知ってますか?」

「はい。大まかには」

「素戔嗚尊が数々の乱暴を働いたことに堪忍袋の尾が切れた天照皇大神宮が天岩戸に閉じこもると世界は闇に包まれました。困った八百万の神々が相談して様々な儀式を行ない、ウズメが踊ってタヂカラオが岩戸をこじ開けました」

「なんだかこの絵、楽しそうですね」

「ふふふ。つまりは八百万の神様たちの『大宴会』ですからね」


 社殿の中は狭い。彼女が汗ばむ首筋を近付けて僕に言った。


「もっと近くで観ましょう」


 彼女も僕もシューズを脱いで畳に上がる。ふたり揃って絵の真下に正座した。


 正座の姿勢でぺたん、と潰れて面積の広がった僕と彼女の太腿のその隙間は驚くほどせまく、けれどもこの社殿の中は極めて涼しい空気が支配する空間だった。彼女・・・三枝さんが僕に笑顔で語りかけてくる。


「不思議ですよね・・・この太陽の女神さまはつまりお怒りでふてくされて岩戸に閉じこもられたわけですもんね。ふふ」

「三枝さん。世界が闇に包まれるって、どんな感じですかね」

「そうですね・・・例えば災害」

「はい」

「地震や津波や火山の噴火や・・・まるで先の見えない不安な状態って闇の世界ですよね、きっと」

「はい」

「それから、戦争もそうだとわたしは思います。谷原さんのご先祖さまは戊辰戦争で戦死なさったんですか?」

「はい。その肖像の掛け軸は供養にと絵師に依頼して描いてもらったそうです」

「そうですか・・・戦争も終わりない闇夜でしょうね。でもわたしはこう思うんです」


 彼女は歩き疲れているはずだけれども背筋を伸ばして僕に話し続けてくれた。


「個人的なことだ、って言われるような苦しみでも。たったひとりでも辛い人がいるのならば、それだけでこの世は闇夜です」

「そうかもしれません」

「日の光も月の光もすべての人に届くはずなのに・・・」


 僕らはその神社を出て残りの距離を歩いた。


 ゴールは隠蹴町のコンビニだった。


「谷原さん、ここで失礼します。本当にありがとうございました」

「僕の方こそありがとうございます。知らない世界が見えました」

「ふふ。本当は神社やお堂の空間こそが空虚でない現実の世界なんでしょうけどね。谷原さん」

「はい」


 そのまま彼女は動きを止めた。

 随分と長い時間、間を開ける。

 けれども何かを決断した後の彼女の動きは迷いが無かった。


「『********』わたしのSNSのアカウント名です」


 ひとこと僕の耳元で囁いて、そして彼女は手を振り、行ってしまった。


 にこっ、とした笑顔を残して。


 夜。暗くなってもまだセミが鳴いている時間帯、僕は自分の部屋で彼女が囁いてくれたアカウント名を検索した。


 彼女の闘病を淡々と綴ったブログだった。


 タイトルは、


『いつもひそかに生きています』


 それはこんな紹介文ではじまっていた。

 ・・・・・


 わたしはリンパ腫です。

 生きる時間が限定されます。

 できることも限定されます。

 けれども山のような制限の中

 考えるまでもなくやることが決まります

 わたしは、歩きます


 ・・・・・


 そして今日の記事がアップされていた。


 ・・・・・・


 男の子と会いました。

 ほんとうはいけないことですが、わたしを憐れんで日の女神さまの絵をいつでも眺められるようにと宮司さまがお貸しくださっているある神社の鍵を使ってその男の子と一緒に絵を眺めました。


 楽しかった。


 でも、反動がものすごい。


 死にたくない。

 死ぬとどうなるのか、怖い。

 だから神社やお地蔵様に毎日歩いて参拝しています。

 雨の日も風の日も雪の日も今日のような真夏の炎天下も。

 一日たりとも休んだら、それでもう死んでしまう気がするから。


 闇の底に沈むような気がするから。


 もしわたしがもっと若くて、その男の子と同じ学校に行っていたとしたら。


 きっとわたしは彼のことを好きになっただろう。


 ううん。


 好きになった。


 一緒に歩いた今日だけで好きになった。


 わたしは10代の少女に戻る。


 だから、あなたを好きになったことを許して。


 ・・・・・・・・


 僕は窓を開けた。

 月が見たい。

 でも、ビルがいく筋も建っていて見えなかった。

 遍く届くはずなのに、どうして見えないんだ。


 ・・・・・・


「あら誠治せいじ。新聞読んでるの?」

「うん」

「誠治も今度受験だもんね」


 別に論文対策にコラムを読んでるわけじゃない。

 僕はずっとあの日から読んでたんだ。


 そして今日、見つけてしまった。



『おくやみ


 三枝 美露(みえだ ミロ) 35才

 通夜・葬儀とも隠蹴町セレモニーホールにて』


 僕も、好きだ。

 美露さん。

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