第22話「暴走族【闇夜叉】の受難(後編)」

「はぁ、はぁ、よ、よくも、まぁ、のこのこと俺様の前に現れたものだ」


 銃をツイン女に向ける。


 力が入らず、銃口が定まらない。殴られたダメージが予想以上に身体に残っている。


 足がふらふらして気を抜くと倒れそうだ。頼りになる部下もいない。全員ブチのめされて気絶している。十中八九、ツイン女の仕業だろう。


 本来であれば、撤退の一手だ。体力は完全でなく味方もいない。


 だが!


 歯を食いしばりツイン女を睨みつける。


 こんなクソ餓鬼になめられるわけにはいかない。


 俺は、関東の覇者【闇夜叉】のヘッドだ。いずれは全国制覇を成し遂げ、裏社会を牛耳る王様になる。


 女子供相手に逃げるなどプライドが許さない。


 こんなもの劣勢でも何でもねぇ!


 銃のトリガーに指をかけ、力の限り威圧する。


「殺されてぇか?」

「うふっ♪」


 ツイン女は、笑みを浮かべている。


 荒くれ共を震え上がらせた俺の殺気がまったく通じない。


 この女!


 こっちは銃も持っているんだぞ。しかも、至近距離で銃口を向けている。


 なのに、なぜそんなに平然としていられる?


 俺が撃たないとでも思っているのか?


 まさかただのモデルガンとでも思ってやがるのか?


 舐めやがって!


 ためらうことなく引き金を引く。


 ズカンっと爆音が鳴る。鉄筋の床がべこりとへこみ、硝煙の香りが辺りを漂う。


 どうだ?


 俺は、やるときはやる男だ。


 ツイン女を見るが、顔色一つ変えていない。


 さっきの銃撃で、向けられている銃がただのモデルガンでないのは理解したはずだ。威嚇射撃とはいえ、俺の引き金が軽いこともわかったはず……。


 なぜだ?


 どんなに腕自慢で怖い物知らずな男でも銃には大抵ビビる。口では強がっても、怯えの色が目に浮かぶ。


 ツイン女は、顔色一つ変えず不動の姿勢だ。


 ……正気じゃねぇ。少なくともただの中坊ではない。


 天下の【闇夜叉】を壊滅に追い込んだとはいえ、相手は中学生の女だ。体格も小柄でどこか舐めていた節があったのは認める。


 こいつは、普通じゃない。


 今までぶちのめしてきた不良共とは格が違う。


 警戒レベルを最大限に上げる。


 まずは、情報だ。ツイン女の目的を知る。


「……で、お嬢ちゃん、こんな場所までわざわざ俺に何の用だ?」

「聞きたい?」

「あぁ、ぜひ聞きたいね」

「簡単に言うなら、後始末よ」


 ツイン女は拳を握ると、腰を低く落として大きく構えてきた。


「けっ、そうか。要するにもう一度俺とろうって言うんだな!」

「えぇ、そうよ。あんたのような男の性分はわかっている。下種なあんたが、逆恨みして襲ってこないように身体で教えてあげるわ」

「はぁ? てめぇ、ふざけんのも――」


 口上の途中、がんっと頭に衝撃が加えられ意識を失った。


 


 


 ここは……。


 うっすらと目を開ける。


 埃が多く薄暗い。


 鼻がひくつく。


 すえた臭いがした。


 目を凝らせば、地面に血痕がついている。


 なるほど。ここは、拠点の地下室のようだ。


 よりによってここか。


 この地下室では仲間内で薬をキメたり、敵メンバーをさらってリンチしたりするのに利用していた。


 やましい部屋であり、警察サツに見つからないように入り口を隠していたが……。


 ツイン女め、よく見つけたな。カンがいいのか、いや違うな。部下の誰かが口を割ったのだろう。


「起きた?」


 状況把握に努めていると、不意にツイン女が声をかけてきた。


 その顔には笑みが浮かんでいる。完全に俺を舐めているのがわかった。


「て、てめぇ! うっ!?」


 動けない。


 椅子に座らされ、拘束されているのに気づいた。


 必死に身をよじるが、びくともしねぇ。


 後ろ手にワイヤーのような紐状のもので固く縛られているようだ。


「俺をどうする気だ!」

「慌てないで。手前にバケツが見えるでしょ」


 バケツだと!?


 確かに目の前にバケツがある。さっきは拘束されていた驚きのほうが大きく気づかなかった。


 大きなバケツの中は、なみなみと大量の水で満たされている。


 何の目的でバケツなんかを?


 嫌な予感がする。


 早くこの場から逃げねぇと。


 うぉおおおお!!!


 血管がはち切れるほど力を入れるが、拘束してるワイヤーは、少しもゆるまない。


「はぁ、はぁ、くそ。ほどけねぇ!」

「無駄よ。それは絶対に自力では解けない。それよりバケツを見てよ」

「あぁ? さっきからふざけた真似しやがって。バケツがなんだってんだ!」

「ふふ、なんだと思う?」

「知るか、ボケ。さっさとこれをほどきやがれぇ!」

「それはね……こうするのよぉ!」


 髪を強引に掴まれ、バケツ一杯に入った水に顔を潜らされた。


 口や鼻の穴に強制的に水が注ぎ込まれていく。


 く、苦しい。


 息ができない。


 数十秒だろうか水中に潜らされ、窒息死寸前で引き上げられた。


「ぷっはぁああ! はぁ、はぁ、ごほっ、ごほっ! く、くそ、なにしやがる!」


 息苦しさに耐え兼ね、大きく息を吐き出す。激しくむせ返った。


「バケツの意味……正解は、水責めよ。古典的だけど、経験上これが一番、調教・・に効くのよね」

「調教だぁ!? なめやがって。完全にキレたぜ。てめぇは、ただじゃおかねぇ。必ず地獄を見せてやる。お前もお前の家族も全員道連れにしてやるからな!」

「そう、地獄を見せるの……それは懐かしいわね」

「冗談じゃねぇぞ、本気だ。俺をただのチンピラと思うなよ。俺は、関東一円を傘下に収めた族のヘッドだ。気に食わない奴は誰であろうと潰した。やり過ぎてぶっ殺した野郎もいる。俺は、悪の中の悪だ、わかったか! てめぇはそんな大悪党を怒らせたわけだ」

「悪の中の悪ね……まぁ、小悪党だろうと大悪党だろうと変わらない。私にとっては一緒よ。確実に屈服させてあげる」


 ツイン女は俺の髪を掴み、バケツの水の中へ顔を潜らせる。


 死にかけるまで水に漬けられ、引き上げて空気を吸わせると、またすぐに漬けられた。


 水責めでは、息を吸う代わりに水を飲んでしまう。その場合、腹を蹴られて水を吐かされもした。


 苦しい。


 水が減ったら補充されるので終わりがない。


 何度も何度も繰り返す……。


 水から引き上げられる度にツイン女を脅してみたが、変わらない。あの手この手趣向を変えて脅しても一緒だった。


 ツイン女は平静そのもの。


 だめだ。この女に脅迫をかけても無駄だと気づいた。


 方針転換する。


 次に水から引き上げられた時が勝負だ。


 そして……。


「ぷっはぁ! はぁ、はぁ、お、俺が悪かった。お前を見くびってた。好きなだけ金をやる。お友達にも手を出さない。だ、だからもうやめてくれ!」


 下手に出てみた。


 どうだ?


 ツイン女は、じっとこちらを見ている。


 水責めを一旦中断しているところを見ると、俺の態度の変化を見て話を聞く気になっているようだ。


 よし、ここだ!


 頭を下げるべきときは、躊躇せずに下げる。意地を張りタイミングを間違えば、死に繋がる。


 こちとら何度も修羅場を潜ってきたのだ。


 後ろ手に縛られて身動きできない。外部とも連絡が取れない。この状況はあまりに不利。不利な状況で戦うのはバカがやることだ。なだめすかして、この場を乗り切ったら百倍返ししてやればいい。


「へ、へっへ、俺がわるかったよ」

「そう、悪かったの」

「そうだ。反省している。もう二度とお前達にかかわらない」

「私ね、相手の心がわかるんだよ」

「はぁ? へっ、ならわかるだろう? これで終わりに――」

「あなたの場合、まだまだってところね!」

「ぐはっ!!」


 頭を強引にバケツの水の中に潜らされた。


 水責めの再開。


 くそ、頭を下げても変わらねぇ。何度も何度も水の中へ顔を潜らされる。


 苦しい。


 窒息しそうだ。


 引き上げられる度に懸命に息を継ぐ。


 はぁ、はぁ、はぁ、水責めがこんなに苦しいとは思わなかった。


「げはっ、ごぼっ、うぇ……もうやめてくれ」

「まだよ、まだまだ牙を隠している」


 ちっ、この場だけの言葉だと見透かされている。


「なんだよ、牙なんてねぇよ。かんべんしてくれよ」

「牙が抜けるまでやめない」

「……か、勝手にしろ」


 この女、半端なさすぎる。容赦ねぇ。


 本心は違うとはいえ、族のヘッドがプライドを捨てて弱音を吐いているというのに。


 少しは動揺してもいいだろう。本当にこいつは中学生なのか?


 俺は、てめぇの親の仇じゃないんだぞ。


 怒りを持続させるのにもパワーが必要だ。


 ツイン女にとって、どれだけ大事な友人だったか知らないが、未遂だったじゃないか!


 殺したわけでもないのに、ここまで冷徹に追い込める者はそうはいない。


 苦しい、もう勘弁しろ。


 本当になんなんだよ、この女!


 完全にイカレてやがる。


 薬物中毒者ジャンキー、ホストを刺したメンヘラ女……イカレた奴は何人も知っているが、こいつは特にやばい。


 どうすればいいんだ?


 今も容赦なく水責めを繰り返すツイン女の顔をじっと見る。


 はぁ、はぁ、はぁ、いや、待て。


 違う、違った。


 ツイン女がこれまでかかわったイカれた奴らとは決定的に違うのがわかる。


 眼だ。


 いわゆる眼力というやつである。これは案外バカにできないものだ。


 相手の力量を図るときに都合がいい。


 こいつの眼、どこかで……どこかで見たことがある。


 どこだ? どこで見た?


 そうだ!


 ヨハネスブルグだ。


 数年前に薬の取引でヨハネスブルグに行ったことがある。


 そこで本物のマフィアと会った。ツイン女は、そのヨハネスマフィアと同じ眼をしている。


 やばい。とんでもない女に手を出してしまった。


 俺は、殺す殺すわめき実際は何もできない口先だけのチンピラとは違う。人をぶっ殺した経験はある。ただ経験者でも人を殺す時は何かしらのブレーキが入る。


 報復、刑罰、良心など、様々な要因でだ。


 ヨハネスマフィアには、それがない。たんたんと自販機のジュースを買ってくる気安さで銃の引き金を引く。数ドルの金欲しさで命が失われる、生まれた時から命のやりとりをしてきたのがヨハネスマフィア達だ。


 日本のヤンキーとは、立ってる土台が違う。


 奴らを怒らせたら命がない。だから、平身低頭で取引を行った。多少、こちらの分が悪い取引でも要求を飲んだ。奴らが恐ろしいからだ。何をされるかわからない怖さがあった。


 ここでは、俺は上にはいけない。


 だから、日本に逃げた。


 戦争も紛争も本当の意味での貧困もないこの日本でなら成り上がれると思ったから。


 なぜだ?


 なぜこんな平和ボケした日本で、こいつは奴らのような眼ができるんだ?


「い、いつまで続けるんだ」

「あなたの心が折れるまで続ける」

「こ、これ以上は……死んじまう」

「そう、死んだらやめてあげる」

「そ、そんな理不尽な……」

「ふふ、冗談よ。安心して。死なせはしない。死ぬぎりぎり一歩手前で攻めてるから」

「ぎりぎりって……死ぬ」

「大丈夫、人はそう簡単に死なない。昔からその辺の見極めには自信があるのよ」


 昔っていつの時代の話だよ。


 幼稚園か小学生の時か? ふざけるなよ、まじでつらいんだ。


「勘弁してくれ。あんたがボスだ。絶対に逆らわない。本当だ」


 戦意は無くなっていた。


 ボスにするというのはうそだが、この女に逆らわないというのは事実だ。


 こいつにはかかわらない。こいつはヨハネスマフィアと同等の化け物だ。


 もう俺の負けでいい。


 敗北を実感している。二度とかかわらない。


 なのに……。


「うげぇ、げふっ、げ、げぇ……お、お願、い……もう……あんたには逆らわない。本当だ」

「それはこちらで判断する。さぁ、続きよ」


 容赦なく水責めは続く。


「はぁ、はぁ、ゲ、げぇぷ……もう夜が明けてるんじゃないか……この辺で」

「ふふ、脆弱ね。まだ一日も経ってないわ。大丈夫、時間は空けてある。二日でも三日でも一週間でもあなたの調教が終わるまでとことんつきあってあげるわ」

「あ、あ、あ、死ぬ、死んじまうよ。ま、待ってくれ。俺が死んだら、警察沙汰になる。報復で大勢の族に、ね、狙われる。脅しじゃない、事実を言っているんだ。あ、あんただって生活があるだろう? はぁ、はぁ、困るよな? 頼む。許してく、れ」

「安心して。何度も言うけど、殺さない。それに仮にあなたが死んだとしても全然困らないわ」

「う、うそだ。今までのような平穏な暮らしはで、きない。地獄のような生活にか、変わるぞ」

「ふふ、嘘じゃないわ。警察? 族の報復? 私にとっては生ぬるい地獄ね。こんな些事、昼下がりの紅茶ブレイクと変わらない。脆弱なあなたには本当の地獄・・がどんなところなのか見せてあげたいわ」


 マジだ。


 この女は真実を言っている。


 族に喧嘩を売ろうが、銃で狙われようが、変わらない。本当の命のやり取りを知っている女だ。


 あ、あ、あ、本当の極悪マフィアがここにいる。


 その時、ヨハネスブルグの記憶がフラッシュバックされた。この女とヨハネスマフィアの顔がダブって見える。


「さぁ、続きよ」

「ひぃ!? もうやめてくれぇえええええええええええええ! 俺が悪かった。頼む、許してくれ。勘弁してくれぇよぉおお!!」


 心から屈服した瞬間であった。


 恐ろしい。この人と比べたら、小金沢グループの跡取りなど小悪党に過ぎない。紫門ゆりかどがどれだけ悪事を働こうが、子供のお遊びに見える。


 この人に逆らったら殺される。いや、殺されるだけで済むなら御の字だ。この人に逆らえば、文字通り本当の地獄を見ることになる。


 確信する。そう納得させられるだけの凄みをこの人から感じた。


「助けて、助けて」


 男のプライドなどとうに砕け散っている。


 恥もへったくれもない。幼子のように懇願し、泣きわめいていた。


「……まだよ。さぁ、始めるわ」

「あぁ、そ、そんな、助けて、神様」


 普段祈らない神に祈った。


 助けて、死にたくない。


 もう悪いことはしない。真っ当な人間になる。だから助けてくれ。


 必死に祈った。


 死ぬ、死にそうなのに死ねない。


 この人の言った通り、体力の限界ぎりぎりを攻めてくる。


 なまじっか体力がある己が恨めしい。


 いつまでこの拷問は続くんだ?


 あぁ、ここが本当の地獄だ。


 ……

 …………

 ……………………


 あれからどれくらい時間が過ぎたのだろうか?


 苦しい。


 それは当然、まだ水責めが続いているから。


 だが、苦しさが一定のラインを超えたところである種の達観に陥いった。


 この人は、なんでここまでできるのか……。


 水責めされている間、この人のことを考えていた。


 なんの揺らぎもなくたんたんと拷問している。拷問されるほうはもちろんだが、拷問する側にだって負担はある。それをこの人は、微塵も感じさせない。


 凄い。


 なんて美しい。


 もちろん容姿も美しい。アイドル級に整っている。だが、それより気になっているのは、この人のハートの強さだ。


 どこまでもタフだ。


 瞳の奥にしっかりとした芯が入っている。


 巷では、悪のカリスマが主人公の映画が流行っているらしい。


 今ならわかる。


 いつのまにか魅せられていた。


 ここまで度胸も腕っぷしもある女性がこの世にいたんだ。


 俺より頭もいい奴もいれば、腕っぷしも強い奴もいる。小金沢のように巨大なバックがついている奴もいるだろう。


 だが、それはそいつの武器ではあっても絶対じゃない。勝利するためには、絶対的なことがある。ハートが強くないといけない。正直、度胸だけは誰よりも負けない自信があった。


 でも、この人には負けた。


 完敗、大完敗だ。


 俺は死ぬだろう。でも、死ぬ前にこの人の名前が知りたい。


「あ、あ、あ」

「なに?」

「こ、このまま死んでもいい。ただ、一つだけ、一つだけ、はぁ、はぁ、一つだ、け」

「続けて」

「おね、がいがある。あ、あんたの名前を教えて欲しい」

「……」

「頼む」

「アリッサ」

「そうか…いい名だ」


 名前を聞けて満足した。


 俺に敗北の文字を叩きつけたのは、「アリッサ」という少女だ。


 そのまま意識を失った。


 

 翌朝……。


 ベッドで目を覚ます。


 拘束はされていない。


 目の前には、アリッサ様がいた。


「……殺さなくていいんですか?」

「牙を抜いたから」

「そうですか」


 自然と敬語で話してしまった。アリッサ様のカリスマに魅了される。体力が消耗してさえいなければ、ベットからすぐさま飛び起き、その場にひざまずいていただろう。


「この後、食事でもどうですか? 部下に豪勢な料理を用意させますよ」

「いい、帰るわ」

「ま、待ってください。じゃあ、これを」


 懐から携帯を取り出し、番号を伝える。


「いつでも連絡してください」

「ふふ、そう」

「へっへ、これからはあなたがボスです」

「近いうちに召集する。あなたはチームをまとめて待機してなさい」


 アリッサ様はそう告げると、そのまま出て行かれた。


 ついていく。


 関東をまとめたからなんだというのだ。今までの俺がいかにお山の大将であったかが実感できる。ヨハネスマフィアには苦い思い出しかなかったが、この人についていけば世界が取れる。


 闇夜叉は一回死んで、生まれ変わったのだ。闇夜叉はアリッサ様のチームだ。


 アリッサ様は、天下を取る。その一助となれるのならば、悔いはない。

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