第11話:恋は誰にだって対等で、自由である。

 ゆらゆらと自由に、気持ちよさそうに泳ぐ魚。

 それを見るだけで、気持ちが少し落ち着く。暗くて、静かなこの場所。 

 気持ちの切り替え。昨日の出来事を忘れたくて、無理言って山田君にお願いし、一緒に水族館に来てもらっている。

 目の前に広がる自分より数倍に大きい水槽で泳ぐ魚はキラキラと人口の光を当てられて輝いて、自然と目で追ってしまう。

 魚たちは何を思って泳いでいるんだろうか。

 私は何を思って生きているんだろうか。


 本質は同じ。



 自由なのに、自由じゃない。



 そっと水槽のアクリルガラスに手を添え、


「……私と同じ」


 同意してほしいのか、通じもしない、聞こえすらしないのにそんな独り言が出た。

 大きな小さい箱に閉じ込められ、本意ではない場所で泳いで。抗いもせずにただ与えられた環境を現実を受け入れるように。

 本当は広大な海で泳ぎたいんじゃないのだろうか。ここに来たくて、来てるわけではないのに。

 もっと広い世界があるのに、閉じこもったって現実は何も変わらないし、変えられない。

 わかっていても、そうできない。したくても。自分が邪魔をしている。

 

『魚心あれば水心』ってね。


 まずは自分の心を開けってことかな……。

 私はそうではなかった。ただ一人で気持ちを押し付けて、心を開いていたつもりでいただけのただの迷惑者で、相手の気持ちなんて何も考えてなかった。


「全然同じじゃないね。ごめんね」


 名残惜しいように、アクリルガラスから手を放した。

 結局、これも私の身勝手な押し付けだね。


「花宮先輩、あっちに水槽がトンネルになってる場所ありますよ。見に行きましょ!」

「はい、行きましょうか」


 アーチ状に作られた水槽トンネル。

 180度全てが水槽で、顔を上げれば海の中にいるような感覚。色んな魚の腹が見える。


 エイがアーチ状になっているトンネルを這うように、泳いでいく。

 その顔が私を笑うように見えてしまい、つい目をそらしてしまった。

 込み上げてくる涙を、瞳で抑え、止まっていた足を動かしてトンネルを抜けた。


 そこを抜けると近くにベンチがあったので、腰を下ろして深呼吸をする。

 ————だめ。考えちゃだめ。もう終わったんだから。


「大丈夫ですか? ちょっと俺トイレ行ってきます。ここで待っててください」

「はい。待ってますね」





****





 無理に笑顔を作る花宮先輩を見ているこっちが辛い。

 ありゃ相当滅入ってる。

 気持ちを切り替えるとは言っていたけれど、逆効果な気がした。あんな顔をするなんて思いもしなかった。

 俺ができることなんて、何もない。ただ傍にいて、元気付ける事くらいだ。それすら意味があるとは思えない。


「あれ、祐介じゃん」

「げっ」

「げってなんだよ」

「まじでタイミングが悪すぎるわ……」

「何だよそれ。失礼すぎるだろ」

「何すか? 蓮水とデートですか?」

「まあそんな所だ」

「うまくいってるんですか?」

「俺自身だけうまくいってないな。気持ちの整理がつかん」


 何言ってんだこの人。もう決まってるんじゃないのか? 花宮先輩を振っても、まだ蓮水にいけないのか? それもう好きじゃないじゃん。


「俺言いましたよね。変に期待させんなって」


 段々と苛々してくる。こんなに情けない人だとは思わんかったぞ。


「ああ。だから二人に対して真摯に向き合おうと思ってる」

「は? 花宮先輩振ったんでしょ。何を今さら二人にってふざけてんですか」

「待て待て。祐介落ち着け。なんか話が変わってる気がする」

「は? どういうことですか?」


 それから佐伯先輩は、この前の出来事を一から話してくれた。


「はぁ!? じゃあ別に振ってないじゃないですか!」

「だからそう言ってるだろ」


 頼むよ花宮先輩……。あなた振られてないじゃないですか。ちゃんと話聞けよ……。これ花宮先輩に話してやらんと。でも直接言うのは俺の仕事ではない。

 さすがに勘違いでいつまでもあの状態は可哀想すぎるが、それはまた別の話だ。


「じゃあ何、佐伯先輩は何なの。蓮水なの? 花宮先輩なの? どっち」

「それは……」

「あーもういいです。言わなくて」

「何それ。お前さ、最近俺に対して冷たくない」

「当たり前じゃん。俺の好きな人とイチャコラしやがって。嫉妬するわ」

「は、蓮水か!?」

「だったら何ですか。このうじ虫」

「おまっ、俺上司だぞ!? 言い過ぎじゃない!?」

「ここまで言わんと動けんのなら上司とか関係ないわ。いい加減にしてくださいよ。こっちはいい迷惑なんですよ。どちらを選んだとしても、俺は祝福します。だからはよしろマジで」


 そう伝え、手を洗って、乾燥機に手を突っ込んだ。

 止まらせていたのはこの人で、未だに決まってないような感じがする。


「好きが分からなくなってきたんだ」

「童貞かよ。告白された時どう思ったんですか」

「蓮水は驚いた。そのおかげで沢山の顔を見れた気がする。花宮さんは…………驚いたけど、嬉しかった」


 もう決まってるじゃん。何が分からないんだよ。


「そうですか」


 分からないんじゃない。それは分かろうとしていないだけでしかない。あんたは逃げてるだけだ。優しさなんていらないし、もはや優しさじゃない。


「決まってるか? 俺にはわからない」

「どこのラブコメラノベの高校生だよ。気持ち悪いな。拗らせてんじゃねーよ」

「仕方ねぇだろ。前の彼女長すぎて恋愛が難しくなったんだよ!」

「まあいいや。じゃあデート楽しんで」

「ちょっ、おい!」


 呼び止める佐伯先輩を放って、花宮先輩の元へと向かったのはいいのだが、何やら誰かと話していた。


 立ち止まって傍観していると、佐伯先輩は俺の横を通り過ぎ、花宮先輩に向かって走って行った。


 だからもう決まってんじゃんって。






******





 ダメだなぁ私。山田君に迷惑ばかりかけて、気を使わせてばっかりだ。年上のくせに情けない。

 俯いてばっかり。前を見ないと……

 顔を上げようとした時、視界に足が入って来た。

 山田君の靴ではない。では……誰?

 顔を上げると、そこには以前会った佐伯君の元カノさんが立っていた。


「こんな所でまた会えるとはね。柊の婚約者さん」

「何ですか」

「柊もいるの?」

「関係ないじゃないですか。関わらないでください。前も……」


 あの時と今は左程、時間が経っていないけれど、状況が変わってしまったので、言葉が続かない。続けられなかった。

 振られたのに、まだ偽る必要はない。……でも、出ない。


「前も? 何? てか何その顔。あははっ! もしかして振られたの?」


 ぐっと怒りを押し込んだ。意識していなくても拳に力が入る。

 言われたことが事実過ぎて耳を塞ぎたくなるほど痛い。やめて、それ以上は言わないで。


「だったら何だって言うんですか……」

「別に? ざまあみろって感じ」

「おい、またお前か」


 え……なんで佐伯君がここに……。

 突然に目の前に立ちふさがった。


「柊、久しぶり。元気にしてた?」

「もう人を困らせるのはやめろ」

「たまたまだって。私もなの。と」

「じゃあもういいだろ。その大好きな達也って人のとこ行けよ。花宮さんを困らせるな」

「お待たせ————あっ……」


 そこに現れたのは、会社の上司、関谷さんだった。

 確か関谷さんは既婚者だった……はず。


「関谷さん……」

「……こんにちは。関谷さん」

「佐伯に花宮まで……」


 焦っていた。会社の部下に浮気現場を見られて。そしてその相手が佐伯君の元カノさんだという事を知られて。


「違うんだ佐伯……これは……」

「別にいいっすよ」


 全然良くない。悪い事に蓋をして見なかったことにはしちゃいけない。佐伯君、それは嘘でしょ? なんで強がるんですか……。

 

 立ち上がって一歩前に出る。


「良くありません! 関谷さん、あなた何を考えているんですか? 既婚者ですよね? それに元カノさんは知ってて付き合っているんですか?」

「既婚者……?」

「知らなかったみたいですね。この人は、既婚者です。結婚しています。お子さんもいます」


 また彼女は泣いて、崩れ落ちた。

 因果応報ですけど……少しかわいそうです。


「すまん。この事は黙っててくれ! もう彼女とは会わないから。佐伯も本当にすまない。どうか許してくれ」

「だから別にいいですって。俺、花宮さんがいるんで」


 肩を寄せられて、佐伯君の隣に並ばされる。

 振られたばかりなのに、彼は蓮水さんを選んだのに、こうやって勘違いをさせる行動を取る。でもそれが嬉しい。——私は……ばかだ。

 私を振ったのに、なんでここで嘘を重ねるんですか? 私に気持ちなんてないくせにそんな事をしたら蓮水さんが悲しみます。やめてください。


「じゃ、じゃあ俺はこれで帰るな」

「待ってください! 責任もってこの人を送ってください」

「分かった。行くぞ、沙也加」


 嫌々ながらも、彼女は手を取られ、立ち上がり、重い足を動かして帰って行った。


「花宮さん、大丈夫だった? なんか顔色もあんまり良くないけど……」

「はい。顔色が悪いのは、水族館の青さのせいですから、大丈夫です」

「急にごめん。トイレから出たら、なんか絡まれてるの見えちゃって」

「いいえ。それにしても偶然ですね。蓮水さんですか……?」

「あぁ、まあ。そんなところです」

「じゃあ早く戻ってください」


 まただ。またこうして行ってほしくないのに、このままいてほしいのに、自分は嘘をつく。

 いっぱしに人の心配をしておきながらも、このザマだ。

 

 それくらい彼が好きなんだ。諦め切れないんだ。


「そうですね。今度ちゃんと話したいことがあるんで」

「はい。わかりました。早く戻ってください」

「じゃあ、また」

「はい、また……」


 大きな背中を見送ると、力が抜け、へにゃっとまた椅子に座った。

 話したい事って何ですかね。蓮水さんと同棲でもするのでしょうか……。

 でも、その方が安心かもしれない。一人でいる方が辛くないのかも。気まずい中での生活なんて息が詰まって苦しいだけ。

 家賃とか置いといて。それ以前に私が、彼が、彼女が、嫌かもしれない。ちゃんと相手の気持ちを考えないと。

 私だけの気持ちを話すのは、押し付けでしかないから。


「終わりましたか?」

「見てたなら助けてくださいよ」

「俺があの場に入ったら蓮水はどうするんですか? 俺は俺の役割を果たしたまでです」


「もしかして、見てたんですか?」

「その辺は大丈夫です。他の所に気付く前に移動しましたから」

「いつも助けられてばっかりですね。本当に迷惑かけてごめんなさい」

「大丈夫ですよ。佐伯先輩にはきつく言っておいたんで。いずれアクションがあると思います」


「……あくしょん?」


「はい、アクションです。失恋したからといって、諦めなくてもいいんですよ。

 好きって感情は自由ですから。みんなが持っている自由です。

 好きな人に彼氏がいるから好きになっちゃダメとかはないんです。

 好きな人の身近に好きな人がいても、それに対して遠慮もしなくていいんです。好きでいていいんです。

 対等ですから。だから諦めるにはまだ早いんじゃないんですか?」


「私は諦めなくていいんですか? このまま好きでいてもいいんですか?」


「はい。自由ですから。佐伯先輩の声にもっと耳を傾けて、何回でもアタックしていいんですよ」


 そうか……私は諦めなくてもいいんだ。自由なんだ。

 好きでいようと、問題はないんだ。


 そう思うだけで、心は穏やかに、そして解放されていく気がした。


 



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